《前編》 より

 

 

【ぼーっとしているパラサイトには喝!】
 ムダな努力はしない、と言って、何も考えず、何も行動せずに毎日をぼーっと浪費していたのでは、まったく無意味です。虫でさえ、毎日エサを一生懸命探しているのです。努力もせず、エサも探さず、正しい努力への準備もしない人間は、虫以下ではないでしょうか。
 とてもじゃないですが、それは “新しい生き方” などではなく、ただの甘えであり、寄生です。(p.35)
 このような人生を過ごしているひきこもりは、親が死に、貯えが尽きたとき、やはり行動する気がないからと観念して、静かに自殺することを選ぶのだろうか。社会貢献もしなかったけれど、周りに迷惑もかけず、自らの意思において死を選ぶ。極限的に無意味な人生ではあるけれど、それはそれで一貫している。
 但し、神なるものの評価は、生成化育進歩発展し続けている実際の宇宙秩序に則しているから、何もせず人生を閉じたら、大いなる怠りとして最悪の評価を得ることは間違いない。
 もっとも、地方行政公務員の様な殆ど何もしていない多くの大人たちなど、ひきこもり以上に連日怠惰の極致でありながら公的な財を貪り続けているのだから、背任の咎を上乗せされて最悪の2倍以上の評価になることだろう。

 

 

【あるべき姿を忘れてしまっている会社や人】
 世の中には、あるべき姿を忘れてしまっている会社や人があふれています。お互いの夢がマッチしているかどうかも確かめず、滅私奉公を強要する会社。肩書きが、ただの 「役割」 であることを忘れ、部下よりも人格が優れているかのような顔をして、「管理」 や 「教育」 をしたがるオジサンたち。(p.111)
 このような会社や人は確かに相当数存在する。お金の流れの上流下流を意識して、謙虚というのではなく自発的に卑屈な行為にでる大人すら存在する。そんな大人を見かけると、本当にミジメだしホトホト嫌な気分になってしまう。このような行為を馬鹿げていると思えない大人達は、「一体全体何のために生きているのか?」 と私なんかは強烈に思う。ところが、当人たちは 「お金のために決まってるだろう」 と即答するのである。
 お金のために人生があるのではない。お金がなければ生きていけないという社会の方がオカシイと、何故思えないのか?

 

 

【文明を発展させてきたのは何のためだったのか?】
 社会のためにも、仕事をしなくて済むなら仕事しないほうがいい。日本は過剰生産過剰消費。無意味に生産して無意味に消費するというワンパターンなシステムから、新しい日本へ生まれ変わるためには、じっくり考える時間を持っている人たちのほうがきっとパワーを持っています。ずっと先を見通すことができるのは、目の前のことで頭がいっぱいの人間よりは、目の前のことから離脱した人たちなのでしょう。
 ヒラリーマンとフリーター。本当に自分のことを考えているのはどっちなのか。日本のことを考えているのはどっちなのか。
 なぜ人間が仕事をするのか、文明を発展させてきたのは何のためだったか、もう一度考えてみてください。(p.89)
 実質、民間企業であろうと公共機関であろうと、存在理由のない職業や部署というのはかなりある。ただ、雇用のために形式的に就業場所が維持されているだけで、実質的な意味はまったくない。ただただ生活のために、そのような無意味な職業や部署に出向くという行動に時間を割いている人々が最も多いのが日本の実状だろう。
 ひたすら空費されているそれらの人々の思念とエネルギーを有効活用できるようにならないと、日本は世界の範となる前例を示せない。日本の使命は、在来の在り方の延長上には置かれていないのである。

 

 

【地上的な努力と宇宙的な愛】
 私自身、努力と言う言葉は、大切であると感じながら、一方で、人類の進化にとって本質的な誤謬をもたらす可能性があるのではないと思い続けていた。愛という概念と努力という概念が、意識の流れの中で付随しないからである。地上的な生存を確保しなければならない人類にとっては美徳と思える努力が有用であったとしても、宇宙的な生存を可能にした人類に努力と言う用語はおそらく必要なくなるだろうと思っている。
 人類は、今、経済的にも地球環境的にも宇宙規模の因子による乱流状態に巻き込まれている。在来の概念で言うところの人為的な努力の多くが、既にことごとく効力を発揮し得ぬようになっているのである。
 この著作も、社会論、生き方論に傾斜した、その一つの表れなのだろう。
 

<了>

 

 

  宋文洲・著の読書記録

     『宋文洲の傍目八目』

     『努力しているヒマはない!』

     『中国人の金儲け日本人の金儲けここが大違い!』

 

 

    こちらもご覧ください。   ⇒    台湾人学生のための日本語図書依頼