イメージ 1

 “ソニーのイロハ” ではなく、 “色はソニー” という意味の内容だった。ブラビア開発に関するビジネス書としての記述は後半のみで、前半の 「色の文化誌」 的な記述の中に興味深い内容が多かった。
 テレビの画質など、それほど気にしていなかったけれど、この本を読んで考え方が変わった。

 

 

【リッチメディア】
 12センチの音楽CDに納めることのできる情報量に制限があったため、2万ヘルツ以上の音をカットする帯域制限が行われていたけれど、色に関しても、伝達系の制約の中で色情報は制限されていた。つまり、音も色も本当の音や色を再現できていなかった。しかし、近年のリッチメディアの発達によって、本来の音、本来の色彩のより忠実な再現が可能になっている。
 次のSACD(スパーオーディオCD)というのは10万ヘルツまで聞こえますから、出てくる音が違います。非常に自然で、音楽の本質を巧みに伝えてくれます。(p.21)
 色に関しては、ハイビィジョンの技術がそれに相当するのだろう。かつてのフイルム映像もデジタル修復したものをハイビジョンで見ると、見違えるほど素晴らしいものになっているという。

 

 

【パリの色】
 観察するとワインレッドが多い。でなければ深緑。その色がパリという街に統一感を生むんだね。極端に言えば、パリという都市空間の美学はワインレッドと深緑から発達している。
 具体例として鹿島が指したのは自らの書斎だった。書棚にはフランスで製本された書籍が隙間なく収まっていたのだが、その背表紙はものの見事に小豆色か濃いオリーブ色だった。(p.36-37)
 つまりパリに住む人々は、パリ近郊の地質・地形・風土に最も適した作物であるブドウを栽培している畑の収穫期の色を、最も好ましいと感じて取り入れていたのだろう。

 

 

【フランスの青】
 フランスでいい色とされているのは青。青は高貴で清純な色。トリコロールの国旗にもなっているし、実は聖母マリアの色でもある。マリアは白かと思うがそうではなくて、白が清純なイメージになったのは、最近のこと。 ・・・(中略)・・・ 産業革命が興って、ブルジョワジーが台頭すると、真っさらな木綿やリネンを着ていることが富裕のしるしになった。(p.38)
 白は太古からの人類共通の “清純の色” というのは全くの思い込みによる出鱈目である。
   《参照》   『「見た目」で誤解される人』 唐澤理恵 (経済界) 
            【白】

 

 

【デニム】
 デニムは藍で染めるでしょ。デニムはフランス南部のニームという街で生まれたんですよ。フランス語で “ニームの生地” という意味のトワール・ドゥ・ニームがデニムと呼ばれることになったんです。(p.39)
 ドゥ・ニームが英米人にはデニムに聞こえたということらしい。デニムは言うまでもなくジーンズの生地。ニーム出身のフランス系ユダヤ人、レヴィ・ストロース(levi straus)が後に米国で〈リーバイス(Levi’s)〉 を創業したと書かれている。こっちも英語読みである。

 

 

【 黒よりも黒い 「黒」 】
 葬儀に参列したとき、自分の礼服よりも黒い服を着た人を見かけると 『負けた』 と思う気風が、京都にはあるそうです。(p.65)
 「 ・・・(中略)・・・ 使用する染料や染め方の違いによって200色から300色の “黒” が生まれるんですね。もちろんそれらの黒には異なる名前が付けられ、確固たるアイデンティティーを持った色として生き続けるのだそうです」
 日本人ほど色の名前について豊かな表現を持った民族はいないのではないかというくらい、われわれは原始より四季折々に移り変わる自然の美しさを目に捉え、数え切れないほどの色の名前を作ってきた。そして実は “黒” という “単色” の世界でも、日本人ならではの色彩感覚が生んだ絶妙な色合いがあるのかもしれない。
 「深黒染」 とも敬称される 「京黒紋付染」。 長年の歳月によって生み出された究極の “黒” は、黒ければ黒いほど、その価値を高める。(p.66-67)
 日本には昔から染付職人さんのようなオタクのオジさんが、あらゆる職種において、いたのである。
 ところで、黒ければ黒いほど価値を高めるという記述を読んでいて、直ちに思い出したことがあった。カイロ空港で黒人女性の肌の美しさに思わず “息をのんだ” ことがあるのである。おそらく普通のテレビでその黒は伝わらないだろう。ハイビジョンの技術力をもってすれば伝わるものなのかどうか知らないけれど、黒という色に息を飲むほどの美しさを感じたことなんて、後にも先にもこの時だけである。日本ではあんな黒を見たことがない。
 シルクロードの東の果てであった奈良・京都にも千数百年前に、私が見たのと同じような “外黒人” が来ていて、染付師たちは瞠目しつつ見入っていたのではないだろうかと思うのである。

 

 

【はんなり】
 “はんなり” とは、主に色彩に対して使う言葉です。語源は “華やかなり” からきているでしょうけど、決してキラキラしたものだけが “はんなり” じゃない。 ・・・(中略)・・・ 。要するに京都では、雰囲気とか香りとか人の風情にいたるまで “はんなり” という形容が出来るんです。そういうときには “シックやけどどこか華やか人やね” という意味なんです。(p.79)
 “はんなり” とは、主に色彩に対して使う言葉 という記述にちょっとビックリ。
 であるならば “はんなり” こそが、日本人の嗜好にあう色彩であり人であるはず。色彩感覚が磨かれていないと、原色好みのケバイ色を平気で身に付けたがる。日本の若者のファッション雑誌が海外でも注目されているらしいけれど、日本人の大人から見れば 「かなりケバイ」。それでも外国人から見たら 「はんなり」 なのかもしれない。
 日本の大人が保持している本質的美意識が伝わる前に、日本の若者達は、中途半端な 「はんなりぶり」 で世界が日本化する過渡期段階での伝道者的役割を果たしてくれているのだろう。

 

 

【光の設計】
 大塚康生は、アニメの臨場感の素となり、作品の雰囲気を盛り上げ、ストーリーの本格感をも左右するのは、作画における “光の設計” なのだという。(p.99)
 アニメの構成要素は、ストーリー、キャラクターのフォルム、色、影 の4つなのだという。
 富士フイルムが、焼き付ける色彩の基調を地域によって変えることで、コダックを駆逐したという話は下記にリンクした書籍にあったけれど、アニメにおいては、影も高緯度地方と低緯度地方では、角度や明暗が異なるということも、臨場感の演出としては重要な要素になるということ。
 光の設計は、実写映像の撮影クルーにとっては、専ら撮影タイミングの問題程度でそれほど気にしなくてよさそうだけれど、アニメとしての 『クール・ジャパン』 を世界各地に展開させる上では、適応させるべき点として重要な要素になるだろう。
   《参照》   『これから5年 日本人が気付くべきこと』 小山政彦 PHP研究所 
             【色偏差】

 

 

【日本アニメの色】
 大塚は言った。
「日本のアニメは、日本人にしか表現できない色彩感覚で支えられているんですよ。同じ赤でも、海外のアニメと較べると、少しだけ枯れている赤。アニメにも、侘(わび)とか寂(さび)はあるんですなぁ」(p.101)
 ビジュアル機器の画質が上がれば、色彩においてもクールジャパンがより一層際立ってくる、ということになる。

 

 

【ビジネスのパラダイムシフト】
 (ソニーの)経営陣は韓国サムスン電子との合弁を決断、液晶パネル製造会社 「S-LCD」 が設立された。(p.119)
 合弁を始める以前、ソニーは液晶パネルを他社から購入していた。サムスンにしても日本企業から購入していた筈である。日本の液晶パネル製造会社が、韓国の工業団地でソニーとサムスン用の製造を始めたということなのだろう。
 20年ほど前、CDの登場によってオーディオ業界がデジタル化されたのと似たようなことが、映像業界でも起きつつあるという認識があっての世界戦略らしい。

 

 

【色は、コトバを超える】
「言葉だけだとイメージがわかないのが、そこに色が加わることで方向性が統一され、いろんなことがスムーズにいった。この世界レベルでの戦略の統一は、言葉だけではできなかったかもしれない」
 色の果たした役割をそうまとめた今井は、最後に一言、名台詞を吐いた。
「色は、コトバを超えるんですね」 (p.188)
 日本のみならず諸外国で販売するソニー・ブラビアの基本色を、多国籍の人材からなる戦略会議で、赤に決めたことでうまくいった。
 そりゃあそうだろう。 「色が言葉を超える」 なんて当然。名台詞とは思えない。日本国内のみで活躍している企業だって、目的志向性を高め統一化するために色彩を活用しているのだから。
   《参照》   『「見た目」で誤解される人』 唐澤理恵 (経済界) 
            【「プロジェクト・カラー」がチーム力を高める】

 

 

【色の質感】
 この本の冒頭に掲載されている茂木健一郎さんのインタビュー記事。
 情感に最も強く働きかけるものの一つが 「色」 です。そもそも人間の色覚は、果実が熟れて食べごろになったのを微妙な色の変化で見分けることで進化してきたとも言われていて、色は生物学的に見ても重要なシグナルなんです。だからすごくダイレクトに脳に働きかけるし、記号や形などでは意識できないような無意識の感情との結び付きがすごく強い。脳の働きという意味から言うと、それはとても大事なんです。(p.11)
 いい映像はものすごい大きな栄養を脳に与えてくれる。(p.10)
 『クオリア立国論』 を書いている茂木さんの言うクオリアとは、 “脳が感じる質感” なのだけれど、 “質感” と言うとついつい皮膚感覚ばかり思ってしまって、色や音の感覚を忘れてしまいがちになる。
 本書を読み終わってみて、冒頭の茂木さんのインタビュー記事の内容が、ポイントを突いていたことに気付く。
 優れた画質の映像は脳の活性化にもつながるはずだから、ボケ防止のためにも、テレビのデジタル化に合わせて買い替える場合、少し無理してでも画質の優れたテレビを買ったほうがいいと思うようになった。
 

<了>