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 お正月ですっかり呆けきっている頭に、何がしかの刺激を与えようとすれば、やはり凛とした書物が相応しい。

 

 

【「第一に神仏を信じ奉るべきこと」】
 北条早雲の家訓は、「早雲寺殿廿一条」 という。その冒頭に、
 「第一に神仏を信じ奉るべきこと」
 とあり、その趣旨として、こう説明がある。
 「神仏を礼拝することは、身の行いというもの。神仏を拝む気持ちがあるなら、ひたすらに心を正しくおだやかに持ち、正直一途に暮らし、上なる人を敬い、下なる者を憐れみ、つつしみふかく、有るをば有るとし、無きを無きとし、ありのままの心持ちで生活すべきだ。それが天意にも仏意にもかなう」
 宮本武蔵は、「仏神を敬い、仏神に頼らず」 と言っている。
 早雲は、天意にも仏意にもかなう生活をしていれば、祈っても祈らなくても、「神明の加護はある」 と言う。
 二人とも、神仏に頼るのではなく、神仏の意にかなう心構え、生活姿勢がたいせつであると言うのだ。(p.36)

 人を支えるのは、神仏を敬う心である。 (p.38)
 北条早雲(1432-1519)、宮本武蔵(1584-1645)、の他に、同じことをうたっている天神・菅原道真(845-903)の有名な句もある。
 「心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神やまもらむ」

 

 

【「武士とは、武勇に大高慢の、大曲者でなければならぬ」】
 これが中野清明の哲学、生きる指針である。
 武勇に大いなる自信を持ち、変人であれ。大勢に流されるな。
 中野が大勢に流されて切腹に反対しなかったら、鍋島藩は存在しなかった。中野清明の次男が山本重澄、その息子が 『葉隠』 の著者、山本常朝(つねとも)だ。 (p.49-50)
 「武士道とは、死ぬこととみつけたり」 などの句で有名な 『葉隠』 の基本精神は 「狂死に」 である、という解釈がある。そのように解釈できる “「葉隠」精神” の源流は、山本常朝の祖父・中野清明という人物にまで溯ることができそうである。

   《参照》   『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館

             【山本常朝の心】

   《参照》   『あなたの「死にがい」は何ですか?』 草柳大蔵 福武書店

             【 『葉隠』 の 「常住死身」 】

 

 

【剣の徳は不殺生に在り】
 安岡正篤は、「武」 の基本は平和主義だという。
 「 『武はホコを止める』 である。剣は決して殺生の具ではない。鏡と玉との徳を全からしめる力である。剣の徳は不殺生に在るというべく、・・・」  (p.57)
 三種の神器を有する大和の地に発祥する武士であればこそ、自ずとこのような理解に至れるはずである。
   《参照》   日本文化講座⑧ 【 武士道 】
   《参照》   日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】

 

 

【倫理の再建には、まず忍耐心を鍛えよ】
 「臆病から不義が生まれる」
 江戸中期の軍学者・大道寺友山は言う。悪事をなすのは、臆病で耐える精神が弱いからだと言う。
 倫理の再建には、まず忍耐心を鍛えよ。 (p.69)
 子供の忍耐心を鍛えようとするならば、現実生活において厳父の存在が必要である。怒ることのできないヤワな中性化した父親ばかりでは、日本国の倫理は立ち直らない。

   《参照》   『「興奮」を売れ』 小山政彦  ビジネス社

             【世界で一番怖い父親に学びたい】

 

 

【正直は一旦の依怙にあらずと謂えども・・・】
 「正直は一旦の依怙にあらずと謂えども、終には日月の憐れみを蒙る」
 正直は目先の得にはならないが、最後には神仏の加護がある。 『信玄家法』 にある、武田信玄の弟、信繁の言葉だ。
 同じく武田家の家訓集 『甲陽軍鑑』 には、「ありのまま申し置くが武道なり」 という趣旨の言葉がある。(p.73)
 ビジネスの現場においても、この認識は常々強調されねばならない。製造業におけるリコールの遅れ、食品産業における偽装、即座に命取りである。

 

 

【茶道は武家社会で開花した】
 大胆な言い方をすれば、侘茶と禅は、武士の精神から生まれたのだと思う。もちろん禅は中国から入って来たが、都では受け入れられず、武家社会の鎌倉で開花した。それは、禅の精神と武士の精神が共鳴したからだ。
 そういう意味では、もともと禅の精神は武士の心の中にあったといってよい。 (p.87)
   《参照》   日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】

 

 

【「知足」は侘茶の精神である】
 茶の湯の歴史には、貴人の茶湯と侘の茶湯の二つの“時代”がある。これは室町時代末期が境になるようだ。
 貴人の茶の湯の時代には、中国伝来の茶器が珍重され、茶の湯は、名物の鑑賞が主な目的だった。・・・中略・・・。 『山上宗二記』 には、茶の湯の名人の条件として、
 「一唐物所持」
 を挙げている。唐の名器を持っていなければ、茶の湯の名人にはなれないのである。
 これに反発したのが、村田珠光である。・・・中略・・・。珠光の弟子の弟子が利休だった。
 「知足」の人は、地上にあっても安楽、貧しくても富んでいる。それに対して、「不知足」 の人は、天堂にあっても不満、富んでいても貧しい。
 これが侘びの精神である。だから、侘茶の世界では、富者も貧者も、これを自覚することによって、同じ世界に入る。
 茶室のなかでは、殿様も家臣も足軽も、みな平等に扱われた。
 これこそ、武士の精神の精華といえる。 (p.88-89)