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 少女マンガの全盛時代を築いた草分け的女性マンガ家の一人である里中満智子さん。
 女性読者を想定したこの出版社の 「こんな生き方がしたい」 シリーズに 『レイチェル・カーソン』 『ダイアン・フォッシー』 もある。
 

 

【できないといっている人は、いつまでたってもできるようにならない】
 お母さんは、台所仕事を夫と満智子にまかせっきりでした。
「包丁を持つと頭痛がするわ」
 そういう母を見て、
「私はできないといってしまったほうがトクなんだ」
 と満智子は思いましたが、自分は、できるようになろうと考えたのです。
「どんなにしかられても、私は負けない。必ずできるようになってみせる」
 そして、こうも思っていました。
「なんだってやればできる。できないといっている人は、いつまでたってもできるようにならない。私はできるようになろう」  (p.26)
 このように思ったのは、小学校低学年の頃なのだろうけれど、このように思える子供って、先天的に(つまり前世からの経験で)魂にバネが備わっている人なのだろうと思ってしまう。
 漫画家になることを決意していたのも中学生で、16歳高校生でデビューという、かつて前例のない人生のステップで、少女マンガ界を先導してきた人なのだから、やはり凡人ではない。

 

 

【中学2年生の決意】
「里中、進路をどうするつもりだ」
 中学二年になったとき、進学相談がありました。
「マンガ家になりたいんです。そのためにいろいろな知識を身につけなければならないので、受験勉強している時間がもったいないと思います。・・・(中略)・・・。」
「何を夢みたいなことを考えているんだ。正気になりなさい。君みたいに優秀な子が、もう少しまともなことを考えられないのか」
でも、どんなことを言われても満智子の意思はかわりません。闘志はふつふつと、湧き上がってきました。(p.45)
 勉強が嫌いだからマンガ家になりたいというのでは成功しない。
 里中さんの読書量は幼少の頃から並ではなかったらしい。
 小学生の頃から、ストーリーを作る楽しさを知っていたようだ。

 

 

【小学生のストーリー・テラー】
 小学校には体育館がなかったので、雨の日は先生がお話しすることになっていた。
 あるとき先生がいいました。
「誰かお話ができる人、前に出てください」
 先生のことばに、満智子ははりきって手をあげました。アンデルセンやイソップ物語、日本昔話など、知っているだけのお話をしました。知っている話がつきると、ロボットになって活躍する少女の話や、タイムワープして大昔から戻ってきた王女様の話を、自分でつくってしたのです。
「で、そのあとどうなったの」
 友達が真剣に聞いてくるのが楽しくてたまりません。ネタ探しのために本をめくる時間がふえました。(p.34)

 

 

【高校生活】
「マンガ家になったら、ひとりの孤独な仕事で一生を終えるのだから、学生時代は集団でなければできないことを体験しておこう」
 もう将来設計はできていました。演劇部は、マンガの勉強の上でプラスになることばかりでした。シナリオを読むことは、セリフの組み立ての勉強になります。声に出し、身振り手振りで演ずることで、間の取り方や、見せ方のヒントをもらいました。証明のやり方で、舞台がガラリと変化します。これは構図の撮り方の参考になったのです。
 なによりも大きな収穫は、ギリシャ悲劇にふれたことです。 (p.55-56)
 
    
【第1回講談社新人漫画賞を受賞】
 高校2年生の時に投稿した 『ピアの肖像』 が新人賞に選定され、それまで、満智子の漫画家志望に反対を続けていた両親も反対はしなくなった。
 「先生、ご心配をかけましたが、両親とも相談して、やはりマンガ家の道を進むことに決めました。一学期でやめて、東京に行ってがんばります」
 こうして、3年の1学期で高校を中退し、プロのマンガ家の道を歩むことになった。

 

 

【天職】
「熱を出しても、目まいをおこしても、血を吐いても、誰よりも多く仕事をこなした。他の人の15倍も描いたかもしれない」
 のちに、満智子自身もエッセイを書いています。
 なぜ、それほど仕事に全力を傾けたのでしょう。
 ひとつは仕事が面白かったからです。なによりも、マンガを描くことが好きでした。 「天職」 だと思っていました。 (p.116)
 「この仕事は 『天職』 ではないから」 と言って直ぐに 『転職』 する人は、おそらく他の人の15倍働く気など毛頭ないだろう。
 満智子さんのマンガ家としての凄さは、これだけではない。
「里中というマンガ家は根性あるね。ふつう作品の欠点を指摘すると、女性は泣いたりするんだけど、泣いたことなんて一度もない。まるで男みたいでさっぱりしてやりやすいよ」
 男性編集者のあいだで、そういわれるまでになりました。
 満智子は、ズケズケと批判されたり、欠点を指摘されたりするほうが、結局マンガ家としての成長にプラスになることに気づいていました。
 泣いてしまえば、ひどいことも言われないし、男性は腫れ物にさわるように大切にしてくれますが、それっきりです。仕事を互角にやる相手とみなされなくなってしまうことを、編集者の話から察していました。 (p.119)
 された批判を成長の糧にかえることって、そう誰にでもできることではない。
 満智子さんの場合は、それ以前に積み重ねてきた実績と、女性マンガ家の草分けとしての使命感があったように思えてならない。

 

 

【日本マンガの強み】
  1996年に福島県いわき市で、「東アジアMANGAサミット」が開かれた。
 そこで交わされた、韓国や台湾や中国の若いマンガ家たちとの会話。
「日本のマンガを読んで育ったアジアの人に会えてうれしいわ。海賊版には翻訳されているのもあるけど、日本語のままのもあるでしょう。日本語がわからなくても、読んでいたの?」
「絵のおもしろさ、ストーリーの巧みさにひきつけられましたから」
「そこが日本のマンガの強みね」  (p.187)
 ストーリーの巧みさというのは、専ら作者個人の構想力に依存している場合が多いけれど、日本と欧米を比べた場合には、根本的に文化によるストーリー発想の違いが顕著にあることを、日下公人さんが何年も前から示してくれている。  
  《参照》  『数年後に起きていること』  日下公人  PHP研究所

          【日本マンガ・リテラシー(読み書き能力)が世界を変える】

 

 

【マンガの先にあるべきもの】
 女性マンガ家のみなさんは、夢みる乙女チックなマンガばかり描いているのではない。SF物・歴史物なども数多く描いてくれている。
 学生時代に読んで今でも記憶に残っているのが二つある。 萩尾望都の 『百億の昼と千億の夜』 と、大島弓子の 『綿の国星』 だ。ジャンルはぜんぜん違っている。どれほど違っていようと、人の内面は単一でなどありえないから、それは普通である。前者は私の興味の幅を大いに広げてくれた。二人とも、里中満智子さんとほぼ同年代のマンガ家なのだろう。
 萩尾望都や里中満智子のように売れっ子のマンガ家の皆さんは、相当多くの読書をしていることは間違いない。マンガの中に記述される文字は、削りに削られ最後に残った言葉のはずである。いわば帰納された言葉を読んで、それを演繹し理解の幅を広くさらに深くしてゆく作業は、読者自身に任されている。心理的・イメージ的・集約的なマンガ世界を、抽象的な世界に向けて展開させ深めてゆくには、奥深い日本語の能力が不可欠だと思っている。マンガ家達はそれだけの能力を持っているからこそ作品を描けるのである。
 だから、マンガの読者は、いずれは活字本の読者へと変遷して行かねばならない、とチャンちゃんは思っている。少なくとも日本マンガを読んでいる外国人読者は、漫画リテラシーを深めるために日本語リテラシーを高めたくなるはずである。向上心を欠いた怠惰な日本人マンガ読者より、勤勉な外国人マンガ読者のほうが、高度な日本語リテラシーを身につけてしまうことは、大いにありうるのである。
 
 
<了>