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 “こんな生き方がしたい” というシリーズの物として作成されているらしい。このシリーズの対象は全て女性のようである。文章が単純かつ簡単である。対象読者としては小学生が想定されているらしい。夏休み中に子供が読むのに相応しい読み物みたいである。


【レイチェルが生まれた所】
 5人家族はアメリカ東部にあるペンシルベニア州スプリングデールという町に住んでいました。近くには鉄鋼産業の中心地、ピッツバーグという大都会がありました。
 両親は広大な農場を所有していたが貧しかった。その農場の地下に石炭が埋もれていることが分かり、売ることを勧められたけれど、父親は、自然が破壊されたら二度と元には戻らないからと、頑なに断わり続けたという。
 サイモント・ガーファンクルの 『America』 という曲の中にピッツバーグという地名が出てくる。ピッツバーグはアメリカの繁栄を代表する中心地であり、当時のアメリカ人の憧れの大都市だったはずである。
 カーソン一家は、アメリカの繁栄に乗じてかなり豊かな生活を手に入れることができたであろうに、それを拒んで自然と共に生きる人生を選択していた。勉強好きで優秀であったレイチェルの学費の工面もままならないほどに貧しかったのに、である。

 

 

【作家を志す】
 レイチェルが2歳の頃から、マリア(母)は毎晩のように、本を読んで聞かせました。そのおかげで、レイチェルは、本が大好きな少女に成長したのです。・・・友だちと遊ぶよりも、本を読んでいるほうが楽しい、とさえ思うことがありました。本の中にも、すてきな友だちがたくさんいるような気がしていたのです。  (p.29)
 幼少期から本好きだったレイチェルは作家を志して、大学では英文学を専攻していた。しかし、動物や海洋生物関連の書物にも興味が湧き、文学者になるか科学者になるか、とても迷っていた。
 そんな悩みの抱えていた嵐の夜、イギリスの詩人、アルフレッド・テニソンの詩を読んで、科学者になることを決意したのだという。その詩とは、
 はげしい風が巻き起こった
 それは海に向かって、ごうごうとほえている
 さあ! 私も行こう

 

 

【海洋生物学者】
 1932年、レイチェルはナマズの研究で修士号を取得し、漁業局で働くことになった。折から大恐慌で失業者に溢れた時代だっただけに、この就職は幸いだったようだ。
 作家を志していただけに文章が上手で、レイチェルは、さまざまな人々から海洋生物に関する書籍の出版を勧められていた。3年かけて執筆し1941年に出版した 『潮風の下で』 は、専門家からは高い評価を受けてはいたものの、戦争直前の時代だっただけに、一般大衆には殆ど読まれることはなかった。
 それから10年。戦争が終わり、アメリカ最盛期の頃である、
 『われらをめぐる海』 が出版されたのは1951年、7月2日のことでした。この本はアメリカの代表的な新聞「ニューヨークタイムズ」のベストセラーリスト、第1位にのぼりました。 (p.132)
 この機会に、『潮風の下で』を再度発行すると、この本もベストセラーに並んだそうである。
 レイチェルは海洋生物学者としてアメリカ人大衆に認知されていた科学者だった。日本人が、彼女の名前を知るきっかけになっている 『沈黙の春』 は、この時点では全く構想されていない。

 

 

【熱中する病と本当の病】
 レイチェルとたびたび取材にでかけ、挿絵を描いたボブ・ハインズは、そのころのレイチェルのようすを次のように語っています。
 レイチェルはいつも、観察に夢中になると、時の経つのも忘れて、いつまでも氷のように冷たい海水の中にしゃがみこんでいるんだ。足が凍えてしまって、感覚がなくなって、立てなくなってしまうことも、しばしばだった。そんなときには僕が、レイチェルの体を担ぎ上げて車まで運んであげなくてはならなかった。 (p.140)
 優れた業績を残した人の逸話らしさがあって面白いけれど、彼女は自分の体のことを、“病気のカタログ” などと書いている。極度に長時間人体を冷やしすぎると、誰だって病気のカタログになってしまうだろうに。 


【 『沈黙の春』 】
 農薬 (DDT) の被害を訴える手紙がレイチェルの元に届き、レイチェルは綿密な調査を開始した。そして、
 1962年、レイチェルの書き上げた 『沈黙の』 が、雑誌 『ニューヨーカー』 に連載され始めると、アメリカ中が嵐に巻き込まれました。
 9月になって本が出版されると、たちまちベストセラーに。それは、1日で4万部も売れてしまうほどの勢いでした。 (p.166)
 この後に起こった、彼女宛の企業からの執拗な嫌がらせや中傷の程は想像するに余りある。しかし、科学者であったレイチェルは、綿密な調査を基に書き上げていたのだから、微動だにしなかった。
 石炭採掘業者によって積み上げられた膨大なお金に微動だにしなかったお父さんの信念が、レイチェルの中にも生きていた。
 自然を愛し、自然を守り、世界中の人々に環境危機を訴えた、信念の人、素晴らしい人、輝かしい人、それがレイチェル・カーソン。
 
<了>