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 マウンテンゴリラの調査を始めて、世界的な研究者となった女性の生き方をつづったもの。あまり感動しなかった。たぶん、執筆者の筆力のせいである。

 

 

【人間の代替+α】
 幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られたダイアン。母親は再婚したけれど、再婚相手はダイアンに見向きもしなかった。愛情の欠落を補うために、ダイアンの心は動物に向かったということだろう。愛犬ハックを可愛がったり、農場のようなところでアルバイトをしたりする学生時代だった。
 親友メアリーがアフリカを訪れた写真を見たとき、
 動物好きのダイアンは、メアリーの説明も上の空で、目を輝かせて動物たちの写真に見入っていました。
「ゴリラはいなかったの?」
 日ごろから、顔や体のつくりからしぐさまで人間に似ているチンパンジーやゴリラの映像を前にすると、ダイアンは目がはなせなくなってしまうのでした。(p.45)
 このような刺激を受けて、ダイアンは銀行から借金までしてアフリカ旅行に行くことを決心する。

 

 

【マウンテンゴリラ】
 キーリー博士との縁をえて、ダイアンは研究者として再度アフリカへゆくことになる。1967年のこと。行き先は、コンゴ東部のカバラという所。研究の助成金は、ナショナルジオグラフィック協会などから得ていたらしい。
 マウンテンゴリラの群れは、霊長類のなかでもっとも結束力の強い家族単位といわれています。
 オスのゴリラは12,13歳でおとなになると、背中の毛が黒色から白銀色に変わります。それが群れのリーダーになり、シルバーバック(白銀の背)と呼ばれています。それより若いオスは、ブラクバックと呼ばれています。(p.95)
 ゴリラとダイアンの交流に関する記述は、ないわけではないけれどそれほど多くはない。動物好きな人が読んだら、ちょっと肩透かしみたいな印象を持ってしまうかもしれない。そもそも、この本は 『女の生き方』 シリーズとして刊行されているらしいから、ゴリちゃん趣味で読むのは的外れなのだろう。
 マウンテン(山岳)ゴリラに対してローランド(低地)ゴリラという分類がある。ゴリラの個体は鼻のまわりの形(鼻紋)で識別する(p.160)と書かれている 。
 ダイアンの、マウンテンゴリラの直接観察時間は、485時間に達したと書かれている。1日に5時間観察したとして、ほぼ100日間ということになる。このときの観察記録は高く評価されたらしい。アメリカに帰国したダイアンは講演や執筆依頼が増えたという。

 

 

【結婚未満】
 1年前にはアレクシー・フォレスターとの結婚を予定していたなんて、まるで遠い日の出来事のようです。ゴリラの野外調査という願ってもない仕事にめぐりあい、それにのめりこんでいったダイアンにとって、もはや彼との結婚生活など考えられませんでした。(p.114)
 結局、未婚。つまり生涯独身。
 アレクシーは、ダイアンに合うために、わざわざアフリカに来たけれど、結婚をあきらめた彼は、別れ際に、こう忠告していった。
「ダイアン、もう一度言っておくけど、密猟者をこらしめるためといっても、彼らに嫌がらせをしていて、自分の身は安全だと思っていたら、罰が当たるかもしれないよ。アフリカ人は伝統的に、面子を重んじる人たちだからね。・・・(中略)・・・。独りよがりに振舞っていたら、そのうち誰かの恨みを買って、パンガ(大なた)で首をちょん切られてしまうようなことも、なきにしもあらずだっていうこと、忘れないでほしいな」 (p.117-118)
 アレクシーはイギリス貴族で、子供の頃からアフリカに住んでいたことがあったので、アフリカ人気質には詳しかった。十数年後、アレクシーの話が現実になってしまうことになる。

 

 

【密猟との戦い】
 トワ族は実はゴリラも狩ってはいたのですが、もともと食用が目的ではなく、シルバーバックの指と性器を呪術の儀式や薬に用いるためでした。しかし、今では、別の理由が加わるようになりました。訪れる外国人が剥製にしたゴリラの頭とか、灰皿にするために手土産にほしがり、あるいは、欧米の動物園に送り込むために、ゴリラの子供を高い値段で引き取るようになったからです。(p.137)
 こういった事情があって、ダイアンはゴリラの生態調査よりも、ゴリラを密猟から守ることに関して頭に血が上ってしまうようなことが何度もあったらしい。
 野生動物の保護は、密猟で自分たちの生活を支えている住民との対立というむずかしい問題をはらんでいたのです。人々の暮らしはたいへん貧しく、ダイアンの悩みは深くなるばかりでした。(p.137)
 それでも、ダイアンはゴリラの命を死守する側で行動することに変わりない。密猟者の息子を人質にして取引したり、黒魔術と戦ったりと、なかなか勇気あることをやっていた。

 

 

【研究方法】
 チェックシート方式による客観的な調査方法が原則だったけれど、ダイアンはこれをしなかった。
 ダイアンはゴリラの行動を物語風に記述することにしたのです。けれどもこのようなアプローチの仕方は、あらかじめ覚悟していたことですが、科学的な厳密さを求めるハインド教授には認められませんでした。(p.163-164)
 指導教授とのいさかいから、「学位論文は書きません」 とプッツンしたこともあったけれど、
 1976年春、学位論文 『マウンテンゴリラの行動』 は受理されて、ダイアンはめでたく博士号を取得しました。(p.164)
 英国ケンブリッジの博士号である。
 動物行動学関係の著作といったら、デスモンド・モリスの 『裸のサル』 を思い出すけれど、とってもおもしろい内容だった。もともと一般向けに書かれた書籍だけれど、チェックシート式のデータを引用して書かれていたりなんかしたら思いっ切り興ざめである。動物観察なんて主観的に関わった方が、興味深い結果が得られるのではないだろうかと思ってしまう。
 ついでに、『裸のサル』 に出合ったきっかけは、作家の曽野綾子さんが息子さんを題材にして描いた 『太郎物語』 を読んだことだった。太郎くんは人類学者になったのである。ダイアンみたいに霊長類系の動物を観察する人たちも人類学者の中に入るらしい。
 さらについでに、曽野綾子さんの作品を手にした理由は、 『氷点』 や 『塩狩峠』 の作者である三浦綾子さんの作品と間違えていたのである。どちらもクリスチャン系の女性作家で名前が同じという妙なややこしさである。 『氷点』 や 『塩狩峠』 を読んだのは、中学生か高校生の時だった。どっちもえらく悲しい物語だった。涙で曇って活字を追えなくなってしまうのである。

 

 

【女性研究者】
 キーリー博士は、ダイアンを含む3名の女性研究者を育てた。
 キーリー博士はなぜ女性を(それもずぶの素人を)、類人猿の野外観察に採用したのでしょうか。博士はその理由をひと言で説明します。いわく 「女性は男性よりすぐれた観察者である」 からと。さらに粘り強さが観察力に劣らず重要だとみなし、長期研究には女性が向いていると考えていたのです。(p.168)
 数ヶ月程度ではなく、何年間も山の中で観察するんですよ~~~。
 お好きな方はどうぞ、ダイアンの後継者におなりください。
 どうせ男なんてアホばっかですからね。

 

 
<了>