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 “自分探し” を告げて引退したヒデがセリエAでプレーしていた頃に、村上龍さんとヒデの間で交されたメールと対談が元になって作成された書籍。
 村上龍さんは社会的な問題のみならず、サッカーのこともとても良く知っている。

 

 

【ヨーロッパのサッカー文化】
[村上]:ヨーロッパではサッカースタジアムの標識が、港とか空港とか駅とお案じようにでてるんだから。
[中田]:初めてその街に来る人がいるときに、どこで待ち合わせをしようかということになったら。駅とかサッカー場というのが分かりやすい。あれは完全に文化の違い、あるいは歴史の違いでしょうね。
[村上]:歴史ね。世界のクラブの中には、明治維新より古いクラブがいっぱいあるから。イギリスのノッティンガムとかは1860年代だったかな。 (p.238)

 

 

【ネガティブな発想は自分のどこにもないことに気づいた】
[村上]:僕もよく言われたよ。今は人気があって、本も売れてるけど、書けなくなったらどうするのって。
[中田]:あんたに心配されなくても別にいいのって思うよね。自分のこと考えなさいと言いたくなるよね。
[村上]:僕は書けなくなるなんて、一度も考えたことがない。そういったネガティブな発想が自分のどこにも存在していないことに最近気づいた。
[中田]:僕もないですね。考えない。
[村上]:そういうネガティブな発想がデフレスパイラルを生むんだよ。(笑)そんなひまがあったら、ナンパするとか、まだ昼寝するほうがいいよ。
[中田]:たとえば努力するということだったら、それなりに努力もするけど、それは別に大変じゃなくて、自分にとっては当たり前のことなんですよね。気分的には辛いことだってあるけど、ごく普通のこと。
[村上]:うーん、なぜかとても不思議なんだけど、それをみんは「苦労」と言わせたがるんだよね。僕もいろいろ大変だったし、努力もしたけど、苦労なんてなーんにもしてないからね。でも、苦労なんか何もないと言っちゃうと、取材とか話はそれで終わりになってしまうからね。
 ポジティブな人は、努力を苦労とは思わない。
 ネガティブな人は、努力を苦労と思いたがる。
 前者は独立型人間に多く、後者は依存型人間に多い。

 

 

【独立型は、自分の特性を見極める】
[中田]:小さい頃よく考えたのは、よい意味で他人と違うことを考えようということだったんです。他人が考えないアイデアを考えて、とにかく相手の逆を取ろうと、そういうことばかり考えてやっていた。そうじゃないと楽しくないしね。
[村上]:チームの和を乱すとか、クラスの和を乱すと言われたことはない?
[中田]:ありますね。そういう問題ではないんですけど。
[村上]:僕も「おまえがいるからクラスの和が乱れるんだ」って、小学校からずっと言われて育ったんだ。その教師が間違っていたんではないけれど、でも冷戦が終わって、世界的にもいろんな変化が起こっているときに、みんなの言うとおりにしなかったし、みんなと一緒にやらなかったから、いまだに作家として生き続けられている。結局自分で考えていれば変化が起きても対応できるけど、人と同じことをやっていると対応できないんだよね。
[中田]:僕がサッカーをやっていていちばん大事だと思うのは、自分で考えることができるということです。いわれたことをやるのではなくて、自分には何が必要か、何をしたいのか、どうやればいいのかを、とにかくいつも考えてやるということですね。
[村上]:僕にとっての小説であるとか、ヒデにとってのサッカーであるとか、そういったものをまず見つけることも大事だよね。
[中田]:そうですね。自分の特性を見極めることですね。   (p.161-162)

 

 

【「パスと文体の精度」を高める独立型の繊細さ】
[村上]:日本の人に、ヒデはすごく強い人だと思われてるでしょう。
[中田]:そうですね。
[村上]:僕もどちらかというとそう言われることが多いんだけど、最近考えたことがあって、心の中のいちばんコアなところには、わりと子供の頃の自分みたいな、傷つきやすかったり、危機感がすごく強くて、これはやばいとか、・・・(中略)・・・。それはそのままだと傷ついちゃうじゃない。だから、強い殻を必要とする。

 その殻というのが、たとえば精度の高いパスとか、精度の高い文章だったりすると、それは一種のスキルだから武装できるじゃない。それは技術、スキルであるとか、語学のようなコミュニケーションスキルであるとか、あとは人間のネットワークだよね。そういうものでガードしてるんだけど、中の柔らかいところは、そのままなんだよ。そのままにしておかないと、何かあったときに対処できないでしょう。
 ヒデを見ていると、そういう感じがするんだよね。そうではない多くの日本人、もちろん日本人だけではないかもしれないけれど、そういう人たちは、集まることでガードし合ってる。ガードし合ってるから、そのうちコアの柔らかいところも固くなっちゃうんだよね。
[中田]:うん、そうですね。 (p.258-259)
 見極められた特性から生み出される精度の高いスキル(パスや文体)が外殻となって、内側の繊細なコアを守っている。独立型の人々に付随する孤高は、繊細さの裏返しといえるだろう。
 群れを成しやすい日本人は、“自分探し” の本源となるはずのコアとなる部分が死滅しやすい。そうなってしまえば、集団依存者としての生き方しかない。
 集団依存型人間は、独立型人間の“自分探し” を参考にすることはできない。そもそも、集団依存型人間の特性は、依存することにあるのだから、依存を選択して “自分探し” などきっぱり放棄するのが筋の通った生き方ではないのだろうか。集団の目標に同化してより良く生きればいいのである。そして、それは間違った生き方なのではなく、実に日本人的な生き方なのである。それで、良いのではないだろうか。
 
<了>

 

 

 

 

      ※ 中田英寿を取材して書かれた著作
        『 NAKATA MODE 』 高橋英子・宇都宮基子  小学館

 

 

      ※ 中田のことに言及している著作
        『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行 (PHP) 《前編》
          【イタリアで働くためには】

 

 

        『大村智ものがたり』 馬場錬成 (毎日新聞出版) 《前編》
          【韮崎高校時代】

 

 

      ※ 韮崎高校サッカー部OB・羽中田昌の著作
        『みんなの声がきこえる』 羽中田昌 四谷ラウンド

 

 

      ※ 韮崎高校OBのチャンちゃんが勝手に書いた韮高関連コメントがある著作
        『文武両道、日本になし』 マーティ・キナート 早川書房