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 文武両道を校是としている高校は、日本中に沢山ある。しかし、日本人が文武両道を目指しているのは高校生の時まで、あるいはせいぜい社会人になる前までだろう。ところが、アメリカ人は長期間の人生のステージを通じて文武両道を実現している。
 文武両道を英訳すれば、スカラー・アスリート。この書籍には、アメリカ人を中心に20人以上のスカラー・アスリートの人生行路が紹介されている。彼らの志と人生行路を読んだら、誰だって少なからず魂が励起されてしまう。


【スカラー・アスリートが、日本にはいない】
 アメリカにはスポーツ界で名声を博した上で、医者や弁護士などで成功を収めているスカラー・アスリートが大勢いるのに、それに匹敵する人物が日本にはいない。社会の制度的な問題もあるとは思うが・・・・・・・・。
 「一つのことを長く続ける」 という日本の文化的な考え方が、確かに枷になっているようだ。「一芸に秀でた者は、万の芸に通ず」 とうような意味合いの言葉があっても、日本人は、あえて別な領域で再度チャレンジすることなく、名声の上に乗って安定した人生を志向する傾向がどうしてもあるようだ。
 このような日本人は、以下の言葉を読めば、ひとたまりもない。
 1996年アトランタ・オリンピックでソフトボールのアメリカチームを率いて金メダルを獲得した最年長者、ドット・リチャードソンが、人生におけるふたつの情熱―― ソフトボールと医学 ―― を比較するように言われて、「スポーツでは、アスリートはどんなに疲れていても自分を奥深くまで掘り下げて、勝つためにやるべきことをやらねばならない。同じように医者も自分を掘り下げて、全ての患者に自分の百パーセントを捧げなければならない。医者は究極のアスリートよ」(p.63)


【中田英寿よ、先陣をきれ!】
 この本は2003年に出版されており、サッカーの中田選手のことが、日本人で最初のスカラー・アスリートになる可能性がある、と語られている。私も中田を応援しよう。
 中田は、サッカー界だけではなく、日本の全てのスポーツ界の選手が、単なるアスリートではなく優れたスカラーでもあることを、遠からず証明してくれるであろう。
 中田が先陣を切り、その後、日本人からスカラー・アスリートが陸続と排出し、そんな若者達が、日本だけではなく世界のために惜しみない貢献をしてくれるようになるならば、多くの日本人は、日本人であることを無言の裡にも誇らしく思えるようになるだろう。
 日本の産業界は技術力を活かして既に世界に多大な貢献している。しかし、顔の見えない国際貢献は、国家としての誇りにはなりづらいのだ。個人として輝くスカラー・アスリートは格別な意味を持っている。

 『 山なみの連なるところ    大空は世界を抱く
   永遠の宇宙の際よ     青雲は峰に燃えたり
   ああ我ら懐かしき      この学び舎に集いて励む 』

 南アルプスの麓にある中田の母校である韮崎高校の校歌なのだけれど、この歌詞に地域特性はない。日本中のあらゆる高校の校歌として採用されうるような歌詞ではないか。であればこそ、中田よ、世界と宇宙を相手に、文武両道を成し遂げた日本人として、先陣をきれ!

 

<了>