おとぎ話の「結末」。 決勝・第2戦。VSオリンピア。アウェー。 | 元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣の「世界一危険な国での挑戦」

おとぎ話の「結末」。 決勝・第2戦。VSオリンピア。アウェー。


王手。 決勝・第1戦。VSオリンピア。ホームの続きです。


「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19①


 決勝・第1戦をホームで「1-0」と制し優勝に「王手」をかけて迎えたアウェーの第2戦。オリンピアの本拠地であり、ホンジュラスの首都であるテグシガルパに上陸しました。

 テグシガルパまではトコアからバスで10時間以上かかってしまうため、疲労面などを考慮し、金曜日にはトコアを出発中間地点のシグアテペケに一泊して土曜日にそこで午前練を行った後テグシガルパに移動→そして日曜日に試合…という万全の準備を行いました。

 チームは第1戦を終えてからの1週間、確かに長距離移動や、普段、使っている練習場が突然、使えなくなり3度も変更になってしまう(しかもども最悪のピッチコンディション)というアクシデントありましたが、「優勝が懸かった試合」だからといって選手たちに硬さや緊張の色は見えず、いつも通りの良い準備を行い、いつも通り心身ともに良い状態に仕上がりました。

 いつも通り、自分たちのサッカーができれば、必ず優勝できる

 …その事だけはハッキリと分かっていたので、「ここまでは本当に、いつも通り』の流れできている。優勝できる流れだ」と、揺るぎない自信をもって試合当日を迎えました。

 エスタディオ・ナシオナル」に到着すると、おびただしい数のオリンピアサポーターにバスを囲まれブーイングを浴びます(上の写真。チーム関係者が撮影)。中にはバスを叩く者も…。異様な雰囲気に包まれたスタジアム周辺その光景を目の当たりにし、改めて「アウェーの地に乗り込んできた」事、「この試合がいかに重要な試合であるか」を再認識させられます。

 けれど自分の中で不思議と「不安」や「プレッシャー」はなかった。それどころか、この独特の雰囲気を、むしろ楽しんでいた。今日まで、やれる限りの事は最大限やってきた。恐れるものは何もない。ただただ全力を尽くすのみ。そうすれば必ず優勝できる。僕はチームを、GKを、他の全ての選手たちを、信じていました

 「負ける」イメージは一切、湧いてきませんでした。確かに「選手個々の能力」では最強王者のオリンピアにませんが、「サッカーの質」と「チーム力」では、完全にオリンピアを上回っています。このチームが負けるはずがない。いつも通り、自分たちのサッカーができさえすれば、絶対に勝てる優勝できる…。おそらく、チームの誰もがそう思っていた事でしょう。

 こうして揺るぎない自信を胸に、「いつも通り」、決勝・第2戦がキックオフしました。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19②

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19③


 しかし…。


 レアル・ソシエダが「いつも通り」だったのは、ここまで、でした。


 試合がキックオフすると、全ての状況が一変します。


 レアル・ソシエダの選手がボールを持つ度に、地鳴りのようなブーイングが360度全ての方角から集中砲火的に浴びせられました。時には暴動が起きて死者を出す事もある過激で熱狂的なオリンピアサポーターが、キックオフ直後から我々に凄まじいまでの圧力をかけてきたのです。逆にオリンピアが攻撃をすると、割れんばかりの大歓声で盛り上がる…。

 メンバーの大半が昨年まで2部リーグでしかプレーした事のなかった無名の「雑草軍団」であるレアル・ソシエダの選手たちにとっては、正に未だかつて経験した事がないスタジアムの雰囲気。さすがに萎縮してしまったか?あるいは、これが「優勝」のプレッシャーなのか…?

 キックオフ直後の1分目から、全くもって「自分たちのサッカー」ができません。何でもない5mのショートパスや、普通のトラップまでもミスしてしまう…。

 「残留争い」「準決勝」など、これまでいかなるプレッシャーも「怖いもの知らず」で乗り越えてきたレアル・ソシエダの選手たちが、最後の最後にして初めて経験不足を露呈した瞬間でした。

 チームは完全に、パニック状態です。


 そんな中、信じられない出来事が起こりました…。


 前半5分…。

 オリンピア陣内から放り込まれるロングボール…。

 ヘッドでコースが変わったボールに、オリンピアのエースでありホンジュラス代表FWであるロヘル・ロハスが反応…。巧みな胸トラップから、反転しながらシュートを放ちます。

 力のない、何でもない、普通のシュート。

 しかし、レアル・ソシエダのGKサンドロ・カルカモは、なぜかシュートとは真反対の方向に立ち、ゴールはがら空き…。シュートにも反応できず、ただ見送るだけ…。


 ゴール…。


 えっ…?ゴール…?あれが入るの…?どういう事…?

 何が起こったのか、全く状況が理解できませんでした。正直、これが「失点」だとは受け入れたくありませんでした。何かの間違いであってくれ…。しかし、目の前で歓喜の雄たけびをあげるオリンピアの選手たちと熱狂するオリンピアサポーターを目の当たりにし、嫌でもそれが「失点」だった現実を突き付けられます。


 明らかな、GKのミス。


 「これは取り返しがつかない、とんでもない事が起こってしまった」


 「ホンジュラス最高の大舞台」で起こった、まさかの、GKの致命的ミス…。GKコーチとしての「責任」と「恐怖」を感じ、全身が凍り付いて血の気が引いていきました。

 こうしてレアル・ソシエダは、試合開始早々に自らのミスで第1戦の「1点リード」を失い、2試合トータル「1-1」の同点に追い付かれてしまいます

 その後もレアル・ソシエダは全く「自分たちのサッカー」ができず低調な出来のまま…。それでもGKサンドロは何とかショックから立ち直って1対1のピンチを防ぐなど追加点は許さず、前半はこのまま「0-1」(2試合トータル「1-1」同点)で終了。優勝への希望を残して、後半を迎える事ができました。

 過去ブログには「2試合トータル同点の場合はリーグ戦上位のオリンピアの優勝」と書きましたが、決勝ではそのルールは適用されず「2試合トータル同点の場合は延長、PK戦まで戦う」事になっていたので、「まだまだ全然、可能性はある。1点でも取れば優勝じゃないか」と、後半の巻き返しを誓いました。


 そして後半…。レアル・ソシエダの反撃が、ついに始まります。


「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19④


 やっとスタジアムの雰囲気に慣れたか…?もしくは、失点して逆に開き直ったか…?

 後半キックオフ直後から本来の姿を取り戻したレアル・ソシエダは、ボールを支配し、緻密なパスワークでオリンピアを翻弄!!「これぞレアル・ソシエダ」という素晴らしいサッカーを披露し、最強王者を自陣に釘付けにして防戦一方に追い込みます。

 何度も言うようですが「いつも通り」「自分たちのサッカー」さえ発揮できれば、オリンピアが相手でも絶対に勝てる事は分かっていたので、「この調子でいけば我々の得点は時間の問題だ。優勝できる」と確信しました。


 ところが…。


 後半14分。

 ようやく良い流れにな「さあ、これから!」という時に、カウンターからオリンピアに2点目を奪われ「0-2。2試合トータルスコアで、とうとう「1-2」と逆転を許してしまいます

 やっと本来の姿を取り戻したかと思ったら、その直後に追加を奪われる…。最悪の試合展開に、ショックは計り知れないものがありました。

 その後もレアル・ソシエダは、何とか同点に追い付こうと最後まで諦めず必死に攻めましたが、オリンピアの強固な守備を崩すには至らず…。


 そのまま、試合終了。


 レアル・ソシエダ、2試合トータル「1-2」で、オリンピアに逆転負けを喫する。


 クラブ史上初の「優勝」、そして、ホンジュラスリーグ50年間の歴史上初の「昇格1年目に優勝」という夢は叶いませんでした。



 昨年、昇格したばかりで前期は「最下位」。その前期よりもさらに戦力ダウンし、メンバーの大半は2部リーグでのプレー経験しかなく、財政難で外国人選手ゼロ。唯一にして最大の目標が「残留」だったチームにとっては、昇格1年目にして「準優勝」という結果は充分過ぎるほど素晴らしい結果で、クラブの歴史にもホンジュラスリーグの歴史にも残る「快挙」であり「偉業」です。僕は「準優勝」という結果を、誇りに思います

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑦


 しかし、「GKのミスが大きな敗因となって敗れる」という結末は、GKコーチである僕にとっては最悪以外の何物でもなく、試合後は準優勝の喜びよりも、悔しさしか残りませんでした。

 試合後、ピッチにうずくまって号泣するGKサンドロ・カルカモの姿を見て「どうしてこの試合で彼に良いプレーをさせてあげられなかったのか」と、GKコーチとしての自分の不甲斐なさと自責の念にかられて、僕も涙が出そうになりました。「サンドロ、お前に責任はない。サンドロはよくやってくれた。GKに何かあれば、それは全て、GKコーチである俺の責任だ。チームがここまでこれたのも、サンドロの貢献があってこそ。本当に感謝している。今までありがとう」 泣き崩れるGKサンドロに、そう声をかけるのがやっとでした。

 昨年は2部リーグのチームでもサブGKに過ぎなかったサンドロは、今季全試合フルタイム出場を果たして「リーグ最少失点」を達成し、レアル・ソシエダの「奇跡の快進撃」の立役者、象徴的存在としてメディアでも大きく注目され、その活躍に「代表入り」の声も挙がりました。

※「リーグ最少失点GK」としてホンジュラスの新聞記事で特集されるGKサンドロ・カルカモ。下のコメントの訳は「昨季は2部リーグでもサブGKに過ぎなかったが、今季はハイロ・リオス監督の信頼を掴んで不動の地位を確立。僅か13失点に抑えた」 一躍、時の人となった彼に、まさか最後の最後に悲劇が待っていようとは…。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑤


 そんな「快進撃の立役者、象徴的存在」であるサンドロが、決勝・第2戦のミスにより、一夜にして「敗北の最大の戦犯」にされ、大バッシングと批判の嵐にさらされる事となりました…。敗北から3週間以上経過しましたが、僕も行くところ行くところで会う人全員に「何なんだあのGKは!あのGKのせいでレアル・ソシエダは負けたんだ」と未だに言われ続けています。中には「GKコーチであるYojiの責任だ」と言う人も。失点時の不可解な動きに「GK八百長疑惑」まで浮上し大きな物議を醸しました。とにかく本当、会う人全員に批判される日々…。まるでサンドロのこれまでの活躍など全くなかったかのように…。この悔しさ、歯がゆさ…言葉にできません。たったの1日(1試合)で、これまで命懸けでコツコツ大事に大事に積み重ねてきたものが一瞬にして崩壊するとは…人生の、サッカーの怖さを改めて痛感させられました

※試合のハイライト動画です。本当ならGKサンドロのミスが映った動画は掲載したくないし、掲載するのは心が痛みます。しかし、これが現実。2失点目に関しても「GKが手で行くべきところを足で行ったから失点した。2失点ともGKのミスだ」と厳しく批判されました。1失点目が1失点目だっただけに、もはや反論できませんでした。ただただ、悔しくてなりません…。




※GKサンドロとは信頼関係を築き、ここまで二人三脚で力を合わせて戦ってきました。時に激しく口論になる事もありましたが、それくらい本音で話し合い、問題を改善して向上に努めてきました。サンドロには感謝の気持ちで一杯です。Muchas gracias Sandro..

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑧


 致命的なミスを犯してしまったGKサンドロですが、試合前のアップまでは「いつも通り」の良い状態であり、「今日も大丈夫だ」とGKコーチとして自信をもって送り出しました。それは他のポジションの選手にも言える事で、前述したように本当、試合がキックオフするその直前まではみんな「いつも通り」の良い状態だったんです。それが試合が始まると、こうも豹変、こうも「いつも通り」じゃなくなり、こうも「自分たちのサッカー」ができなくなってしまうものなのか?実は今季のレアル・ソシエダは「アウェー」の勝率がオリンピアを凌いで「リーグ1位」。今季、ホンジュラスで最もアウェーで力を発揮してきたチームなのですが、その我々でもオリンピア相手のアウェーでの決勝・第2戦は、全く、本来の力を発揮できませんでした。「オリンピアにスタジアム使用禁止の処罰が正当に下されていればレアル・ソシエダが勝っていた」と言う人も多くいます。それほど、決勝の「エスタディオ・ナシオナル」は、想像を遥かに超えたプレッシャーを我々に与えました。オリンピアは4連覇した決勝・第2戦4試合をこのスタジアムで、全て「無失点」で勝利し優勝しています。それくらい決勝という舞台で、オリンピアにこのスタジアムで勝利する事は難しい事だった…。だからこそ、少なくとも3点は取れた決勝・第1戦で1点しか取れなかった事が、結果的に優勝を逃す大きな要因となってしまいました。

 前人未到の「4連覇」を成し遂げたオリンピアですが、決して勝てない相手ではありませんでした。実際、オリンピアが攻勢に出てこれたのは前半最初の「15分」のみ。その事は試合前から充分に分かりきっていた事で、「開始15分を凌げば勝てる」とチーム全体で確認していたのですが、まさか、その15分以内にGKのミスから失点するとは…。この失点で、全てのプランが狂いました。それくらい痛恨の失点でした。そして我々の低調な出来がオリンピアを助けました。2失点目も、やっと自分たちのサッカーを発揮し始めたかと思ったら、その矢先に何でもないカウンターから失点…。我々が力を発揮できたのは、僅か10分間にも満たなかった…。相手に負けたと言うより、完全なる自滅…。これまでも負け試合はありましたが、ここまで力が発揮できなかった試合はありませんでした。今季最後の試合にして最高の舞台で、今季最低の試合をしてしまった事…しかも、GKが痛恨のミス…その事が何よりも悔しくてなりません。しかし、これが現時点でのレアル・ソシエダの実力なのかもしれません。


※最後に3人のGKたちと。サンドロはショックの中にありながらも、何とか必死に笑顔で写真に写ってくれました。そんな彼のこの写真の笑顔を見る度に、切ない気持ちになります。僕は今季限りでレアル・ソシエダを去るので、彼らと共にGK練習をする事はもうありません…。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑨


 こうして僕のレアル・ソシエダでの戦いは、「準優勝」という結果で幕を閉じました。

 昨年6月に体調不良によりアルビレックス新潟ユースのGKコーチを辞任。そこから長期に渡ってなかなか状態が回復せず、本当に苦しい日々を過ごしました。昨年から今年にかけてのこの時期は、自分の33年間の人生の中でも「最も苦しい日々」だったと言っても過言ではありません。「サッカー界に復帰する事は、もう一生ないかもしれない」 そう考えていました。

 そんな「人生で最も苦しい日々」を過ごす中、家族や友人・知人、たくさんの人たちの温かい支えにより何とか状態が回復。そして、今年2月。ハイロ・リオス監督からオファーを受け、「人生で最も難しい決断」を下してホンジュラスに行き、夢であったホンジュラス1部リーグのレアル・ソシエダのGKコーチに就任。アルビユースのGKコーチを辞任して以降、実に「8ヶ月ぶり」となる「GKコーチ業復帰」を果たしました。

 こうして8ヶ月ぶりにGKコーチとして現場復帰を果たしてからは、途中「33年間の人生の中で最も衝撃的な展開」となった電撃解雇など数々の困難がありましたが、スポンサーのドン・レネのサポートなどホンジュラスでもたくさんの人たちの温かい支えに助けられ「残留確定」→「リーグ最少失点」→「準決勝進出」→「決勝進出」→「決勝・第1戦、勝利」…とチーム一丸で目標を1つ1つ、ことごとく達成。奇跡的な快進撃を見せる我々に不可能などないと思われましたが…。最後の最後…。本当に最後の1試合(決勝・第2戦)だけは、思い通りにいきませんでした。今までの自分の人生もそうでしたが、神様はなかなか「ハッピーエンド」で終わらせてはくれません…。

 決勝・第2戦で起こった勝敗を大きく左右するGKの致命的ミス…。本当にショックでしたし、心に深い傷を負いました。この試合の事は一生忘れる事ができないし、この心の傷は一生背負って生きていく事になるでしょう。なぜ神様は、最後の最後にこのような悲劇的な結末を用意したのか…?考えれば考えるほど歯がゆい気持ちになるのですが、今は「これは神様からの『お前は、まだまだ甘い。GKコーチとして、もっともっと成長しなければならない』というメッセージなのかもしれない」と前向きに捉え、この悔しさをバネにして成長し、「ホンジュラス代表GKコーチになって、W杯で日本を倒してベスト16以上に進出する」という夢を必ず実現させてやる…と、反骨のエネルギーに変えています。

※準優勝の銀メダルです。解雇になって以降は、ドン・レネの助けで復帰を果たしてからも、僕には試合前の食事すら準備されず、会長からは、言わばすでに「Yojiはチームに居ない」ものとして扱われており、その流れからいくと、僕は決勝・第2戦の遠征への帯同は不可能であり、メダルも当然もらえない…事が濃厚でした。しかし、ハイロ・リオス監督のチーム幹部への粘り強い交渉もあり、僕は遠征に帯同する事ができ、メダルもこうして無事にもらう事ができました。このメダルは僕の一生の宝物です。メダル授与式でちゃんと僕のメダルが準備されていたのを知った時は、感動して涙が出そうになりました…。だからこそ、勝って、優勝して恩返しがしたかった…。それができなかった事が、無念極まりないです…。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑪

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑫


 最後に…。

 僕は2月に日本からホンジュラスへと旅立ちましたが、日本を離れる際、家族には一切、行き先を告げずに旅立ちました。これまでも海外に行くために日本を離れる事は何度となくありましたが、家族に行き先を告げずに旅立った事は過去に一度もありません。家族は僕が何を考えているのか、到底、理解できなかったと思います。僕は決して、隠したくて隠していた訳ではありません。むしろ、家族に全てを告げた方が気持ち的には楽であり、できる事なら告げたかった…。しかし日本を旅立つ時点での僕はまだ何も成し遂げておらず、そして過去、そういうまだ「途中経過」の段階で家族に報告した時は、決まってその後に展開が変わって上手くいかなかった…。だからこそ、今回は「絶対に失敗が許されない状況。少しでも成功する確率が上がるためにも、過去の経験を生かして、途中経過の段階で家族に告げるのはやめよう。ホンジュラスで成功を掴むまでは報告は控えよう」と決意…。家族に行き先も告げずに日本を旅立ちました。家族もブログを読んでいるので僕がどこで何をしているかは分かっていますが、多大な心配をかけてしまいました。全ては、ホンジュラスで成功を収めるためであり、苦渋の決断でした。家族には本当に申し訳ない気持ちで一杯です。

 またこれまでは、海外に居る時は頻繁に家族とスカイプやメールで連絡を取っていたのですが、今回はそれも控えました。理由は、上とかぶります。ホンジュラスでは訳の分からない問題がたくさん起こる…。そんな時、日本語で家族と話してしまうと、どうしても本音や不満が噴出し、自分の中の弱い部分が出てきてしまう。そうなると、せっかくの良い流れも悪くなって上手くいかなくなる…。そういう事が、過去に多かった。とにかく、全ては「ホンジュラスで成功を収める」ため。家族と距離を置いてでも、成功を掴み取りにいかねばならなかったのです。
それくらい僕は、今回のホンジュラスでの挑戦に懸けていました。

 しかし…。決勝の結果も含め、僕の中ではまだまだ全然、納得できる成功をホンジュラスで収められたとは思っていません
。よって、「家族への報告」は、まだ先になりますね…。

 決勝・第2戦から早3週間が経過しましたが、来季の事はまだ全く何も決まっていません。ホンジュラスではそろそろプレシーズンが始まる時期なので、「今後、俺は一体どうなるんだろう…」と不安になる事も当然あります。ただ、人生、成るようにしか成らないので、必ず良い道が拓けると信じてオファーを待ちます。


 絶対に今後、納得いく成功をホンジュラスで収めて、家族に笑顔で思い切って良い報告をします!!


8年前にホンジュラスでまるで母親のように良くしてくれたホテル・サンペドロのママとアミーゴと。ホテル・サンペドロにシーズン後に訪問すると、みんなが「Yoji、準優勝おめでとう!」と祝福してくれました。まるで家族のように親しんだホテル・サンペドロのみんながこんなにも喜んでくれ、僕も本当に嬉しかったです。ママも、銀メダルをかけると喜んでくれました。8年前に本当にお世話になったママに、僅かながらの恩返しができたのかな?恩を返さなければならない人がとてつもなく多いので(しかも世界中)、しっかりと恩返しできるよう、これからも全力を尽くしていきます!!

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -Gran Final VS Olimpia en Tegus.5.19⑩


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