①ではプロボクシングのアジア諸国との対抗戦を考える上で、vsフィリピンと韓国との試合について考えだが、②では先日(2017年10月20日)観戦した、日中対抗戦について考えていきたい。

今回の日中対抗戦に関しては、東京のボクシングプロモーション会社のDANGANが、並々ならぬ覚悟と期待を込めた興行というのはヒシヒシと感じた。

メインは中国人のインター(二軍)王者と元日本王者とのスーパーライト級(63.5kgリミット)のノンタイトル8回戦。

なのに7対7の対抗戦で、選手全員をリングに上げて日中両国の国歌斉唱。中国人は女性の声楽家まで呼ぶ気合いの入れ様。

何故かラウンドガールは6人のバニー姿のお姉さん達。中国が相手だったらチャイナドレスの方が会場に合うのでは?とも感じた。

試合前日には、東京ドーム内のスポーツカフェを借り切ってのリングアナがコールしながら計量。中国人拳士が相手の日本人に頭突きをかまして一触即発の香ばしい雰囲気の展開に…。

オーロラビジョンにはセミとメインイベントに出場する煽り映像のPVもあり、下手な世界タイトルマッチ顔負けの充実の試合前にあったパフォーマンスだった。

正直、試合は三軍レベルの4回戦の試合がほとんどだったので、試合での感動が全ての試合で創出された訳ではない。

しかし、中国人拳士が苦戦している時に、中国人の観客から「加油!(ジャーヨウ・中国語で『頑張れ』という意味)」と地鳴りの様な応援が…。

正直試合自体が全て高いレベルとは言い難かったが、久しぶりに後楽園ホールの客席からうねりを上げたエネルギーの様な大歓声を聞いた。

今の時代、日本も多民族になりつつある。ボクシング興行の仕組みもこうしたアジア諸国との対抗戦を増やして集客力アップを考えるのもアリだと感じた。

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先日のブログでは日本ボクシング界の末期症状について述べたが、筆者自身も単なる批判屋で終わりたくないので、今回は逆に建設的な内容のモノを書くに至った。

今回のブログタイトルにあるプロボクシングにおけるアジア諸国との対抗戦であるが、今の時代は東京を中心とした日本というのは既に単一民族ではなく、様々な人種の在住者を抱えた多民族国家のように思える。

そうした上で、現在の後楽園ホールを中心としたプロボクシング興行はかなり下火になったが、そうした中で今回のテーマであるアジア対抗戦というのは、かなり集客を望める今ボクシング界にとってはかなりレアな興行形式に感じる。今回はそのことを分析したい。

後楽園で1番多い対抗戦というのはやはりフィリピンである。

フィリピンにとってボクシングという娯楽は日本における相撲のような立ち位置で、今世界中で最も世界戦クラスの挑戦者を輩出している国といっても過言ではない。

そうしたファイトマネーが手頃で生きのいい拳士が揃うフィリピン(比国)。今まで観戦した日比対抗戦ではいずれも、普段おそらく上野や錦糸町のフィリピンパブで働いてる若い女性も、こうした興行では多く、むさ苦しいオッさんしかいない後楽園ホールでは珍しく女子占有率の高い興行だった。

そして会場のオーロラビジョンで、天下のマニー・パッキャオのビデオレターもあり、フィリピン人の観客は試合前から興奮状態だった。

だが、チケットをまとめ買いしたショーパブとかの芸人を出すのはいいが、日曜日の夜の興行で翌日の仕事が頭をちらつかせた8時半に「お時間を頂戴して…」と無名のフィリピン人ラッパーが出てきた時は、日本のボクシング関係者は馬鹿なのか?と本気で思った。そんなにイベントをやるなら6時スタートの興行を4時にすればいいだけの想像力すら欠如していて閉口した。

また、同じように日韓対抗戦も観戦したことがある。正直言って今の韓国ボクシング界は瀕死の状態で、まともな韓国人拳士が集まるのか?と不安だったが、当時の韓国人東洋王者が、今まで見た韓国人拳士の中で最も優れた能力の持ち主で、筆者の心配は杞憂だった。

日比の時もそうだったが、日韓戦の時も世界戦でないのに両国国歌斉唱もあり韓国人通訳もいて、在日コリアン「新」一世のようなニューカマーが「キム・ジンス。ファイティーン!」と応援していて、韓国人拳士の能力が向上すれば、またやってもらいたいと感じた。

②では先日観戦した日中対抗戦を考えてみたい。

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今回は20年以上ボクシング界と関わってきた筆者が、今のボクシングがいわゆる「オワコン(過去の遺物となった娯楽)」になる危険性を孕んでいる、という話をした。この先も続けたい。

先日、試合の合間に見ていたツイッターでキックボクシング界のスター選手からボクシング界に転向した後に日本王者まで上り詰めた、土屋修平(引退)のコメントを読んだ。

筆者みたいな半端者が指摘しても負け犬の遠吠えに聞こえるが、リング上でベルトを手にしたボクシングエリートの発言には、同じ内容を話していても、重みが全然違う。

土屋氏はボクサーのチケット手売りという昭和の手法が、日本のボクシング界が低迷しつつある、という指摘をした。

実はこれってボクシング漫画「はじめの一歩」で主人公の対戦相手である選手が指摘していたことと(掲載時の1991年から)ほとんど変わっていない。

要はボクシング界はこの激変するスポーツ・コンテンツの環境に完全に取り残されている、と土屋氏も指摘している。

また前述の話だとチケット代の値段も高止まりだ。

筆者が観戦しようとした、今年(2017年)の年末に1つ見たい日本タイトルマッチがあった。

しかし、そのチケットは1番安くて5000円もするベラボーな値段で、結局筆者は試合観戦を見送った。

この年末は野球やサッカーなどの日本代表の試合が東京で集中していたが、野球の侍JAPANやサッカーのサムライブルーのチケット代も安くはないが、5000円払えば、見やすい席でもお釣りが出る。

これらの試合は観戦に行ったら、職場の同僚と話題になるようなチケット代に見合うだけの注目度の試合だが、翻ってそれよりも高いチケット代のボクシング日本タイトルマッチに、それだけ訴求力のあるコンテンツなのか?話題性があるのか?という話である。

よくアスリートの引退後の失敗する選手は過去の栄光にすがっていて、成功する選手は過去の栄光から決別して、1から新しい仕事のキャリアを構築しようと未来を見据えている、というが、ボクシング界のなんちゃってビジネスは明らかに前者の過去にすがった殿様商売である。

今の時代、スマホ1つで家から出ずとも、時間が許せば半永久的にヒマを潰せる時代だ。

そんな中で、ただでさえ怖いイメージの後楽園ホールに足を運んでもらって、塩試合含めて観戦してもらうのは、一般のライト層の開拓に今のボクシング界は高すぎるハードルの状態である。

ボクシング界は自分たちのビジネスモデルが破綻していることを自覚しないと、ゆでガエルのように、気づいたらもう遅かったというのも考えられる。

ここで危機意識を持って経営しないと、ボクシング界に勝ち組はいない世界になる。

拳士たちのファイトマネーが潤って、ファンにハードルの低いチケット代を目指す時代になったのだ。