冒頭のタイトルは芸能界で高田文夫が島田洋七に向けた言葉である。

そうした意味でもとは芸能界の人間の間の話であるが、実はこの言葉はスポーツ界にも当てはまる。それを紹介したい。

筆者は昔からボクシングを見ていたが、タイ人の東洋王者にウェンペット・チュワタナという選手がいた。

ファイトスタイルは「左殺し」。とにかくサウスポーに有効ないきなりの右ストレートの連射が巧みで、国内の東洋タイトルの覇権を争った選手である。

しかし、そうしたウェンペットもこう言ってはなんだが、東洋レベルの選手というか、世界戦線に打って出るには少々役不足な感もあった。

その一方でウェンペットと同じ階級では、彼の同期が並のタイ人には手に入らないようなファイトマネーで世界挑戦をする選手もいた。

華々しい活躍がいる同期がいる一方で、ウェンペットは東洋タイトルやノンタイトルの試合を日本各地の小さな会場でコツコツ戦い、ファイトマネーを貯金した。

そんなウェンペットの世代も引退を考える時期が出てきた。

世界戦線で戦い大金を手にした選手は、お金の価値が分からず、酒や女に散財し無一文。

仕方なくボロボロになった身体にムチ打って噛ませ犬になる元世界王者もたくさんいた。

一方でウェンペットは東洋王者としてファイトマネーに限りがあったものの、その少ないファイトマネーを堅実に貯金。

そうして貯めたお金で洋服の裁縫工場を建てる。

結果的に世界王者でセカンドキャリアに失敗した選手よりも、東洋王者のウェンペットの第二の人生は順調になった。

まさに「芸は達者なほど生き方は下手くそ」という世界王者は多いが、芸(強さ)では劣るウェンペットの方が生き方は達者だった。

②でもこのことを考えていきたい。
①では巨人軍の看板選手は一流であっても超一流ではないという話をした。

翻って今の日本ボクシング界はどうなんだ、という話である。

①で述べた通り、今の日本ボクシング界の人気というのは村田諒太の双肩にかかっている。

しかし村田も1986年1月12日生まれなのでもう32歳である。

ボクシングという競技はゴルフやサッカーと違い一生できるスポーツではない。

村田の場合、年齢を考慮すれば選手寿命は持ってあと5年くらいである。

それはそっくりそのまま日本ボクシング界に与えられた猶予に他ならない。

日本ボクシング界はあと5年の間に村田諒太クラスの超一流を作らないといけない。

テニスの世界を見ると分かりやすい。テニスには錦織圭がいる。

怪我をしなかった錦織も2017年に手首の靭帯の部分断裂により、世界戦線より離脱した。

そうなった時に日本テニス界に次世代のスターがいたのか?という話である。正直埋没していた感は否めない。

翻ってボクシングである。日本のボクシング界にはそういう意味でもう時間はない。

村田諒太も世界のミドル級と対戦し、あと5年闘える保証もない。

確かに井上尚弥もいるが、彼らは一流であっても超一流ではない。

そして村田が現役で闘える時間は多くない。この間に新たなボクシング界の超一流が必要だ。

ハードルが高いミッションかもしれないが、これをクリアしないと某ボクシング協会長の言葉ではないが「ボクシングが古典芸能になる」日も近い。

新しいスターが生まれて活性化するか、惰性に流されてマンネリの海に埋没するか?

日本ボクシング界に残された時間は多くはない。
筆者が歳下ながらもメンターとして崇めるブロガーにプロ野球死亡遊戯こと中溝康隆がいる。

彼はプロ野球巨人軍についてのブログを執筆していたわけであるが、一つ興味深いことを言っていた。

巨人の看板選手である坂本勇人と菅野智之について「一流であるが、彼らには超一流になってもらいたい」とあった。

巨人にとっての一流とは原辰徳や高橋由伸クラスのことだろうが、坂本と菅野にはそのくらいの選手になってもらいたい、ということだ。

この話を聞いていてなるほどな、と思った。

今の日本のボクシング界で超一流というのは村田諒太ただ1人である。

言ってみればボクシング界の勢力図というのは「村田諒太と愉快な仲間たち」と言った図式だ。

要は村田諒太の個の存在感に人気が集約されている、ということである。

スポーツに携わる現場の人間からすればふざけんな、という話かもしれない。

一流どころか三流である4回戦の契約ウエイトの試合でも選手を勝たせるのに多大なな努力が必要だ。

日本や東洋をとってタイトルホルダーになるのがどれだけ大変なのか?という話である。

しかしそれでも今のボクシング界には超一流が必要なのだ。〈②に続く〉