①では引退したアスリートのセカンドキャリアにおいての最大の敵は自分自身のプライドにあった、という話をした。

②ではこの話について深く掘り下げていきたい。

①でも述べたようにアスリートの引退後というのは大変なモノである。

過去にどれだけの実績があっても、次の職場ではそれは何の役にも立たない。

そうした上でセカンドキャリアをどう構築するか?という話である。

以前紹介したボクサーの話ではないが、世界王者になって散財→無一文→噛ませ犬というボクサーよりも、東洋王者で少ないファイトマネーを貯金する選手の方が第二の人生は成功した、という話をした。

球技でも同様で、世代別のサムライブルーのユニフォームを着るような選手が練習の合間にパチンコに行っていたりする。

その一方で、チームの中でも一流半の選手の方が、練習の合間にスポンサー企業の幹部と会食して経営論を学んだり、独学で資格の勉強をしていたりする。

どちらの方がセカンドキャリアで成功するのかは言わずもがなである。

アスリートという存在は競技の中で実績を残すことをアイデンティティとしている。

しかしこの後2つのことが待ち受けている。

1つは必ず引退するということ。もう1つは引退したら競技者としてのキャリアは実社会には役に立たないということ。

この2つを踏まえた上でアスリートは引退後にセカンドキャリアの構築を模索しないといけない。

いざ引退となった時に自分には何もないということに気づく選手は多い。

そんな時に選手としての過去にしがみついているのが一番最悪だ。

プロスポーツの練習もキツいだろうが、実社会で仕事を覚えるのもまたラクではない。厳しさの質の違いであり、優劣はないのだ。

アスリートは現役時代もハードだが、引退後のセカンドキャリア構築もまたハードなのだ。
前回はセカンドキャリアで成功したボクサーの話をしたが、ここでは逆にセカンドキャリアに失敗するタイプについて述べていきたい。

セカンドキャリアで失敗する一番のタイプ。

それは「過去の実績にしがみついている人間」である。

これは定年退職した男性が第二の人生で新たなコミュニティに入っていく時にも同様である。

「定年退職したあと、社員だった時の役職や実績、プライドというのは全部捨て去りなさい」

「そうしないと、次の職場やコミュニティで相手にされなくなりますよ」

と言われた定年退職した元サラリーマンがいたが、プロスポーツを引退したアスリートにも同様のことが言える。

要は「過去を生きているか、今を生きているか?」という話である。

スポーツ選手の場合、チーム競技だと「戦力外通告」という自分のアイデンティティを100%叩き潰された状態で第二の人生に進む選手がほとんどだ。

そうした選手は自分の小さなプライドを守るため、尊大に振る舞ったり、自分のやっていた競技に未練がある場合もある。

しかし実社会の仕事というのはプロスポーツの厳しさとは質が違うのだ。優劣の差はない。

そうした中で実社会を舐めてかかる元プロスポーツ選手が痛い目に合うのはよく聞く話だ。

②でもこの話を続けていきたい。
①ではタイにおいて、強くてもファイトマネーを散財して没落した世界王者よりも、少ない稼ぎを堅実に貯金した東洋王者の方が第二の人生は上だという話をした。

②ではフィリピンについて考えていきたい。

1990年代のボクサーに大阪からの輸入ボクサー(外国籍選手)にネルソン原田という選手がいた。

普通フィリピン人ボクサーがグローブを握る理由は貧困から解放されたいのが普通であるがネルソンの場合は違った。

ネルソンは「女の子に振られて鬱屈とした気持ちをサンドバッグにぶつけたかったから」ボクシングを始めた変わり種である。

ネルソンの場合、大阪のジムに移籍後、日本のコミッションに登録し日本タイトルを目指し、それを獲得した(手続きを踏めば外国籍選手でも可能)。

ネルソンの持つ日本タイトルを踏み台にして、世界への扉をこじ開けたい日本人ボクサーはいくらでもいた。

ネルソンはこうした選手の壁となり防衛を続けた。

一方でネルソンの普段の生活は質素そのもの。自宅のアパートには贅沢なモノは一切なく、食事も自炊である。

理由を聞いたら「物価が高いから」だそうだ。

そうしたネルソンも防衛戦に負けて引退。第二の人生を考える時期が来た。

ネルソンは日本で稼いだファイトマネーで農地を買い、マンゴーを作る農園主となった。

その一方で、フィリピンにも①のように世界王者になった選手が酒と女に散財し、ボロボロの身体で噛ませ犬になるボクサーも散見した。

今回、ウェンペットとネルソンという国籍の違う東洋では中堅クラスの堅実なセカンドキャリアについて述べた。

芸が下手くそな人間ほど生き方は上手なのかもしれない。