今回のタイトルはいささか煽情的な見出しでもあるし、筆者としてもむざむざ敵を作りたい訳でもない。しかし筆者が20年以上関わってきた日本ボクシング界がこのままではジリ貧であるという現状に憂いて、今回筆を取った。

今このブログを執筆しているのは2017年10月21日な訳で、その前日夜に7ヶ月ぶりの後楽園ホールでのプロボクシング観戦をした。

その試合は日中親善試合と称して、普段のボクシング興行と違い、オーロラビジョンで試合前の出場選手のPVや後楽園ホール近くのスポーツバーでの公開計量。ノンタイトルなのに試合前の記者会見でラウンドガールもバニー嬢が6人いて(日中対決なら、ラウンドガールもチャイナ服なら良かったのに)、その上ノンタイトルなのに日中両国の国家斉唱と、プロモーション会社の尋常ならざるこの興行への成功に対する執着を肌で感じ取った。

しかし、そんな興行というのは今の後楽園ホールではほんの一握りに過ぎない。

正直言って今の後楽園ホールを中心とした日本ボクシング界は早晩、お隣韓国のボクシング界のように破綻するイメージを強く感じる。

この興行ではそうでもなかったが、野次の中にも「6000円も払ったから迫力があるスカッとした試合を見せろ‼︎」「いつになったら目当ての(応援している拳士の)試合が始まるんだ!」とリング上の拳士に発破をかけていたが、この興行を20代前半から何百万円もプロボクシングに注ぎ込んだ末に、今回の試合内容もそうした経験値も踏まえて楽しめている筆者とは違い、99%の観客はいつ始まるか分からない自分の目当ての選手が分からずに苛立ち、塩試合も結構あった。

ボクサーはファイトマネーをチケットで渡されて、自分(出場選手自ら手売り)で試合&仕事の合間に営業活動で実質的な搾取。

しかし、チケット代を払うファンは6000円とか8000円を平気で取る。

これではボクシング界の将来はジリ貧だし、それでこの世界が滅んでも、滅ぶべくして滅ぶとしかいいようがない。

この後②でも、この問題について述べる。
①では筆者の生い立ちと昔の巨人軍との関係を述べてきたワケだ。

②では思春期を超えての筆者と巨人との向き合い方について述べていきたい。

巨人という球団は1990年代に補強に対して、他球団の4番とエースを買い集めるという、ある意味で「エゲツない」手法に終始した。

当然これには他球団はもとより巨人ファンの内部からも批判が相次ぎ、野球ファン離れや人気低迷に繋がったのも記憶に新しい。

筆者も当時こうした巨人のやり方に嫌気がさして、巨人ファン、 そして野球そのものを見るのをやめてしまい、ボクシングやサッカーに走っていった。

しかし、筆者自身もボクシングに決着をつけたあと、プライベートがヒマになったある日、こんな記事を目にした。

それは野茂英雄が親しいライターに語った(あくまで又聞きという前提の)記事であった。

「巨人のような金を使った補強はメジャーでは当たり前で批判されるモノではない」

「むしろ何年も優勝から遠ざかっているのに補強をしない球団の方が問題だ」

上記のコメントはあくまでライターの又聞きである。しかし、筆者と巨人との関係について大きなアクセントをつけたのは確かだ。

巨人という球団に対して、今は好きでも嫌いでもない。

巨人が負けた時に悔しいともザマァみろとも思わない。正直勝っても負けても何の感情の起伏は起こらない。

ただ球界の盟主としてああいう補強も当時は否定したが、今はあれはあれで1つの手段だとも思える。

巨人という球団もここ数年は人事などで迷走している。

しかしアンチ含めてあれだけの「愛憎」を受ける集団もある意味凄い。

だからこそ応援する気はないが、巨人が強い時のプロ野球には何かしらの魅力を感じるので、巨人も内部の問題を克服してもらいたい次第である。
今回は曲がりなりにもスポーツのブログを5年以上続けている筆者(独眼鉄)と日本でもっとも歴史のあるスポーツチーム・読売巨人軍との関係を書きたい。

筆者の家は転勤族で、子供の頃は山形や三重・新潟などに引っ越しを繰り返した。

昔はモンテディオ山形やアルビレックス新潟と言ったJリーグクラブもなく、スポーツでの娯楽というのは、当然ナイター中継の巨人戦だけだった。

そのため三重に住んでいた頃に、一家で大型タクシーを借りてナゴヤ球場まで中日vs巨人戦を観戦したのはいい思い出だ。

そんな環境だったワケなので、子供の頃はご多聞にもれずに普通に巨人ファン。

それはファンだアンチだのというよりも、30年前の田舎の小学生というのは、それが当たり前だった。

また脱線するが、筆者がこれだけスポーツにこだわる人間になったのも、当時の田舎にはスポーツ系の娯楽は巨人と夏の高校野球くらいしかなかったからだ。

どんだけ弱いプロ野球球団でも地元にチームがあれば、そのチームの勝敗にカタルシスを得られたはずだ。

そうなれば、逆にこれだけスポーツに渇望する人間にはならなかっただろう。

話を戻す。そうした中での田舎の小学生の巨人ファン。

しかし、中学の終わりに千葉市に引っ越して、地元にジェフ市原(当時)も生まれて、もう「プロスポーツ難民」ではなくなった。

すると、自分のスポーツチームに対する価値観にも変化が生まれた。

そして当時、巨人軍フロントの金で4番を買い集めるやり方にも疑問を持つようになった。〈②に続く〉