①では筆者の生い立ちと昔の巨人軍との関係を述べてきたワケだ。

②では思春期を超えての筆者と巨人との向き合い方について述べていきたい。

巨人という球団は1990年代に補強に対して、他球団の4番とエースを買い集めるという、ある意味で「エゲツない」手法に終始した。

当然これには他球団はもとより巨人ファンの内部からも批判が相次ぎ、野球ファン離れや人気低迷に繋がったのも記憶に新しい。

筆者も当時こうした巨人のやり方に嫌気がさして、巨人ファン、 そして野球そのものを見るのをやめてしまい、ボクシングやサッカーに走っていった。

しかし、筆者自身もボクシングに決着をつけたあと、プライベートがヒマになったある日、こんな記事を目にした。

それは野茂英雄が親しいライターに語った(あくまで又聞きという前提の)記事であった。

「巨人のような金を使った補強はメジャーでは当たり前で批判されるモノではない」

「むしろ何年も優勝から遠ざかっているのに補強をしない球団の方が問題だ」

上記のコメントはあくまでライターの又聞きである。しかし、筆者と巨人との関係について大きなアクセントをつけたのは確かだ。

巨人という球団に対して、今は好きでも嫌いでもない。

巨人が負けた時に悔しいともザマァみろとも思わない。正直勝っても負けても何の感情の起伏は起こらない。

ただ球界の盟主としてああいう補強も当時は否定したが、今はあれはあれで1つの手段だとも思える。

巨人という球団もここ数年は人事などで迷走している。

しかしアンチ含めてあれだけの「愛憎」を受ける集団もある意味凄い。

だからこそ応援する気はないが、巨人が強い時のプロ野球には何かしらの魅力を感じるので、巨人も内部の問題を克服してもらいたい次第である。