①では筆者がストレッチを続けるきっかけを紹介したが、②ではストレッチをするときに心掛けていることなどを述べたい。

ストレッチで最初に思い出すのが開脚前屈。座った状態で脚を両サイドに広げて、上半身を屈折させるアレである。

正直言って、このストレッチを筆者自身も完璧にはできない。

開脚前屈をするときは両脚を広げて前かがみになるときに、爪先を必ず上にあげないと効果がない。

前屈と同時に爪先も前のめりになったら、筋肉が伸びないし、股関節の可動域も広がらない。

これはヘルニアでストレッチを教わったときの理学療法士さんも言っていたし、わんぱく相撲で玉ノ井親方(元・栃東)も同様のことを言っていた。

筆者の場合片足の足首を本棚の前に置き、前屈する時に爪先が下がらないように工夫している。

開脚前屈ができたら、将来老人になっても転びづらくなり、結果怪我しづらい身体にも繋がる。そのためのストレッチである。

後、動的ストレッチの完成形であるラジオ体操も、ただ作業をこなしているだけでは無意味なので、できるだけオーバーアクションを意識した動きを心掛けている。

オーバーなくらいな動きの方が筋肉の伸びも意識できるからだ。

またどういうストレッチも1日も休まず365日毎日やることも必要である。

今回はこうしたストレッチによる関節可動域を広げるというテーマにしたが、ストレッチで身体の柔軟性を高めるということはお金を支払ったら得られるモノではない。

むしろ普段の最低限のルーティンを1日1日大切にすることが求められる。

開脚前屈も胸が地面にくっつくのに1年半かかった。

ストレッチは根気のいる作業だが、身体が柔らかくなった時の喜びはお金では得られない嬉しさがある。

そうした喜びは筆者が保証するから、読者の皆も是非お試しあれ。
唐突であるが、筆者は風呂上がりに必ずルーティンの1つとしてストレッチをやっている。

ベタな話だが、風呂上がりは筋肉もあったまって柔らかくなっているので、身体をほぐすタイミングとしては最高である。

50歳まで現役生活を続けると断言しているイチローも練習前のストレッチには人一倍時間をかけて丁寧にほぐしている。

20代までは何をやっても一晩寝れば疲れも取れて、コンディション維持も容易だったのが、30代になるとそうもいかない。

これはどういう人にも共通なのだが、30代を超えると身体が思い通りに動かなくなる。

学生時代に体育の授業の前にラジオ体操などをやっていると「こんな作業に意味があるのか?」と思うだろうが、歳をとるにつれて、ストレッチの重要性というのは身をもって実感する。

筆者の場合、ストレッチを意識しだしたのはプロボクサーを志した19歳の時。

今年(2018年)の5月に不惑になったので、もう人生の半分以上はストレッチを続けている計算になる。

正直言ってボクサーとしては最低辺の存在で、全く強くなれなかったが、ストレッチを続けるということについては意外な副産物として、筆者の生活に残った。

もっとも最初の10年は開脚前屈と普通の前屈だけで大したストレッチではなかった。

しかし30代に入り、筆者のストレッチは徐々に進化していった。

このノウハウはこれからストレッチをしようと思う人にも役立つ。

②でその具体的なやり方を紹介する。
①ではみんな大好き福沢諭吉の肖像画が、その作り出す原価が桁外れに安いという話をしたが、②ではそんな付加価値を安い原価の紙切れにどうやってつけるのかを見てみる。

基本的にお札の場合、原価23円の紙切れに10000円の付加価値をつけるのだが、その紙切れの価値を保証するのは日本銀行である。

そうしたお札というのも昔は保証するための担保が違っていた。

第二次大戦の1944年に旧西側諸国が作った組織にIMFというモノがある。

この時アメリカは自国の金(ゴールド)の保有量を担保にして、国の通貨の価値を保証していた。これを金本位制といい、その仕組みをブレトン・ウッズ体制という。

しかしそのブレトン・ウッズ体制もベトナム戦争で1960年代のアメリカの財政赤字が巨額になり、1971年にブレトン・ウッズ体制は崩壊。

通貨レートも固定式から変動相場制へと移行した。

そうした金本位制から新たな国家の通貨に対する担保が「信用本位制」である。

このシステムは何によって、その国の通貨価値を担保にしているのか?

それは「その国の国民が働いた労働の価値を通貨の保証とする」というモノだ。

ドルだったらアメリカ人の労働、ウォンだったら韓国人の労働を担保にしている。

翻って日本である。日銀は日本国民の労働を担保にすることにより、原価がたった23円の紙切れに10000円の付加価値を保証している。

ここで1つ問題がある。今の日本の労働人口は増えているのか?減っているのか?という話だ。

勘のいい読者なら分かるだろうが、少子化で労働人口は激減している。

それはつまり日本の10000円札の価値というのが、将来的に目減りしていくことを表す。

筆者のブログはプロスポーツである。野球であれサッカーであれ、一番偉いのはコミッショナーではなく、野球(サッカー)選手だ。

しかし今のスポーツ界には国民の労働で通貨の価値を担保にしているのに、競技人口はむしろ減っている。

このままだと10000円札の価値が目減りするように、日本のプロスポーツの価値も減っていくだろう。

実は日本経済もプロスポーツも危機的状況にある。強い危機意識が必要なのだ。