以前このブログ内で国際的なアスリートが試合会場までに行き着く際の移動が地味に大変だ、という話をした。

しかし一方で、スポーツ観戦をこよなく愛するファンというのも、アスリートほどではないにしろ、移動に対する悩みというのは結構ある。今回はそれを述べたい。

我々スポーツファンというのも普段のスポーツ観戦において、交通費や移動に必要な時間など様々な要素も絡んでくる。

カープ女子の走りである漫画「球場ラヴァーズ」でそれまで何の縁もなかったカープにハマった女子高生の松田実央ちゃんが「(球場までの)交通費って地味に金がかかる」とボヤくシーンもあった。

筆者もサッカーの観戦をするようになって10年、地域リーグなどチェックして2年くらい経つと、こうした実央ちゃんの悩みは自分のことのように感じる。

筆者の場合、東京都江東区在住で、東東京のハブ駅である錦糸町駅から筆者の応援するジェフ千葉のスタジアムまで40分という時間とJRだけの交通費だと往復1300円前後の運賃がかかる。

ジェフ愛に没頭していた頃ならいざ知らず、地域リーグなども並行してチェックすると、この交通費が観戦の足枷(あしかせ)になる時もある。

一方で筆者は2級の精神障害者でもある。

こうした障害を持つ人はそれぞれの自治体で優遇される。

東京都の場合、都バスと地下鉄の都営線が無料になる。

こうした筆者を取り巻く交通という環境を踏まえた上で、ファンにおける移動の難しさを②で述べたい。
①では震災から7年経ったJ3開幕戦を観戦した時に、アスルクラロ沼津の10番・青木翔大(あおき・しょうた)のプレーに90分間魅了された、という話をした。

長身選手にしてはボールも収められて、足元の技術もあって、瞬発力はないもののドリブルでの展開力もある。

そんな10番の魅力的なプレーに、その1週間仕事で溜まっていた鬱屈したストレスを排出させてもらえた。

それ以上に感じたのは10番という背番号の重さである。

2000年代初頭のプロサッカー漫画の名作「U-31」でこんなシーンがあった。

地元のジェム市原を裏切った形で移籍するも、移籍先で戦力外通告を受けるアトランタ五輪「マイアミの奇跡」のメンバー・河野敦彦。

その上で、古巣に出戻りを決意した河野。復帰の条件として10番を要求した河野にクラブの主力でW杯戦士でもある笠原隆輔はこう言った。

「いまどき10番を特別視するのは古いかもしれないけど、オレは10番を特別な番号だと思っている」

(その後、笠原は河野を最低10番とdisった上で)

「それでもやっぱりウチの10番を背負ったお前は、紛れもなく『千葉のマラドーナ』なんだよ」と言った。

この後の話は長くなるので割愛するが、体格もプレースタイルも異なるものの、この時の河野のイメージと筆者が見た青木の「10番」の姿がシンクロした。

筆者が感じる10番を一言で説明すると「責任感」だ。

チームが強い弱いは関係なく、10番を背負うにはチームの顔でないとならない。

そして10番という背番号を背負うからには、他の選手とは違う異質な覚悟を受け入れないといけない。

他の番号にはない注目を受ける以上、軽いプレーは許されない。期待される分、倍キツい番号、それが10番である。

河野が所属したクラブのモデルであるジェフ千葉の2018年シーズンの10番・町田也真人(まちだ・やまと)もそんな選手だ。

ある年のシーズン前のイベントで当時、絶対的なゲームメーカーで10番である兵働昭弘もチームにいた中で町田は、

「10番付けたい」と多くのジェフサポの前で挑戦状を叩きつけた。

それを見た筆者は最初「なんて向こう見ずな奴」と絶句した。

しかし数年後に町田は本当に10番を付けた。まさに有言実行である。

青木翔大にしろ、町田也真人にしろ、骨格やプレーの長所は違えど、10番を背負った選手には共通点がある。

それはそのクラブのフロントやサポ、他の選手から特別な番号を託されいるという自覚と決意を受け入れるだけの度量が必要であるということだ。

そうした自分勝手に振る舞えない重圧がある番号。プロの10番という番号は重みが違うのだ。


このブログ記事がUPされる頃にはだいぶ時間は経っているだろうが、3.11から丸7年に到達した日のJ3開幕戦の時の話である。

その週末は被災に対する黙祷の後に家でグダグダまったりするという重要なミッションを遂行しようと思っていたら、SNSで試合の情報があった。

(筆者の自宅と同じ江東区内にある)夢の島競技場でFC東京U-23とアスルクラロ沼津が対戦するとのことである。

自宅から比較的近い会場での試合。その日本来果たすべき任務を取りやめて、急遽、筆者は春の陽気の臨海地区へと足を運んだ。

そうした中でのサッカーシーズンの始まりを感じる幸せ。そして1527人の観衆が関係者と共に震災での犠牲者に黙祷をする。

そして田中玲匡(たなか・れお)主審が決戦の火蓋(ひぶた)を切るキックオフの笛。

ただ今回このブログで紹介したいのは過去の観戦記ではなく、サッカーの本質である。

この日の90分間、筆者が目に行っていたのは沼津の10番・青木翔大(あおき・しょうた)だった。

182cmという恵まれた体躯。長い手足を活かしてゴールに背を向けた状態でボールを収めたポストプレーがチームの流れを呼び込む。

時間や空間を省略する現代サッカーでは1秒、いや0.5秒でもタメを作れる選手が重宝される。

そうしたサッカー界の嗜好の中で、青木は味方選手の上がりを我慢できる鬼キープで再三チャンスメークを成功させた。

そんな中で足元のシルキータッチもあり、ヘディングでボールをフリックさせて、味方にボールを供給する流れの中の読みも冴える。

J3レベルでは1人だけ異次元のワールドを演出。夢の島で「夢」みたいな世界を形成した10番。

この10番は今、J2でゲームメークを任せてもやれる実力がある。それがこの日の青木翔大だった。

しかし筆者が今回紹介したいのは過去の試合記録ではなく、サッカーにおける「10番」とは何か?という話だ。

その答えは②へと続く。