①では震災から7年経ったJ3開幕戦を観戦した時に、アスルクラロ沼津の10番・青木翔大(あおき・しょうた)のプレーに90分間魅了された、という話をした。

長身選手にしてはボールも収められて、足元の技術もあって、瞬発力はないもののドリブルでの展開力もある。

そんな10番の魅力的なプレーに、その1週間仕事で溜まっていた鬱屈したストレスを排出させてもらえた。

それ以上に感じたのは10番という背番号の重さである。

2000年代初頭のプロサッカー漫画の名作「U-31」でこんなシーンがあった。

地元のジェム市原を裏切った形で移籍するも、移籍先で戦力外通告を受けるアトランタ五輪「マイアミの奇跡」のメンバー・河野敦彦。

その上で、古巣に出戻りを決意した河野。復帰の条件として10番を要求した河野にクラブの主力でW杯戦士でもある笠原隆輔はこう言った。

「いまどき10番を特別視するのは古いかもしれないけど、オレは10番を特別な番号だと思っている」

(その後、笠原は河野を最低10番とdisった上で)

「それでもやっぱりウチの10番を背負ったお前は、紛れもなく『千葉のマラドーナ』なんだよ」と言った。

この後の話は長くなるので割愛するが、体格もプレースタイルも異なるものの、この時の河野のイメージと筆者が見た青木の「10番」の姿がシンクロした。

筆者が感じる10番を一言で説明すると「責任感」だ。

チームが強い弱いは関係なく、10番を背負うにはチームの顔でないとならない。

そして10番という背番号を背負うからには、他の選手とは違う異質な覚悟を受け入れないといけない。

他の番号にはない注目を受ける以上、軽いプレーは許されない。期待される分、倍キツい番号、それが10番である。

河野が所属したクラブのモデルであるジェフ千葉の2018年シーズンの10番・町田也真人(まちだ・やまと)もそんな選手だ。

ある年のシーズン前のイベントで当時、絶対的なゲームメーカーで10番である兵働昭弘もチームにいた中で町田は、

「10番付けたい」と多くのジェフサポの前で挑戦状を叩きつけた。

それを見た筆者は最初「なんて向こう見ずな奴」と絶句した。

しかし数年後に町田は本当に10番を付けた。まさに有言実行である。

青木翔大にしろ、町田也真人にしろ、骨格やプレーの長所は違えど、10番を背負った選手には共通点がある。

それはそのクラブのフロントやサポ、他の選手から特別な番号を託されいるという自覚と決意を受け入れるだけの度量が必要であるということだ。

そうした自分勝手に振る舞えない重圧がある番号。プロの10番という番号は重みが違うのだ。