今回はある箱根駅伝の名将の言葉からスポーツビジネスの本質を見抜くことになったが、②でも続けたい。

巨人ファンのブロガーであるプロ野球死亡遊戯こと中溝康隆は「栄光の勝利を掴んでも、決して永遠に続くとは限らない。激しい優勝争いに負けても、それで世界が終わるわけじゃない」と言っていた。

冒頭のタイトルの川柳と同様に、この言葉もまたスポーツビジネスの本質を突く言葉である。

スポーツの本質というのは暴力性を極力排除された上に価値観が多様化した現代において、自分の存在が相手より上だと見せたい時に、スポーツの試合の応援によって、そして勝つことによって、現代社会で不可能な精神的なマウンティングを可能にしている。

しかしタイトルにある川柳のように、丸い月夜が維持できるのが一晩だけなのと同様に、1つの勝利でマウンティングできる賞味期限も1日だけなのである。

しかも、どんなに強いチームを応援してても、負ける時も絶対にある。あれだけ強かった巨人でさえ、2017年シーズンには13連敗もした。

現代のスポーツビジネスにおいて、スポーツチームが観客に提供できるのは、一夜限りの満足感だけということになる。

サッカーでもジェフは昨シーズン(2017年)7連勝でプレーオフ進出に滑り込んだ。

しかし、その昇格プレーオフで敗れてJ2残留が決定。

しかし、結果は悲しかったが負けたところで、来シーズンにジェフ千葉というクラブが活動停止になるわけではない。

安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」ではないが、筆者自身がサポを諦めない限り、チャンスも続く。

前述の巨人ファンではないが、勝利の賞味期限は1日限定で永遠ではないが、敗北にまみれても、来年は皆どのチームにもチャンスは横一線に保証されている。

勝利の美酒はうまいが1日に飲める量は限られている。一方で、敗北が続いても止まない雨がないのと同様に、いつかは復活する。

プロスポーツというのは応援するファンとチームが存在し続ける限り残っていく、いわばネバーエンディングストーリーなのである。
冒頭の川柳は箱根駅伝の名門校である山梨学院大学駅伝部監督の上田誠仁(うえだ・まさひと)監督の言葉である。

この言葉ほど現代のスポーツビジネスという世界観をリアルに描写している言葉もない。

そもそもなぜ現代人(特に男性)というのは、野球でもサッカーでもスポーツの勝敗を見に試合会場へわざわざ足を運ぶのか?

別段シュートが決まろうが、三振を取ろうとが、ホームランが出ようが出ようが、自分の昇給や出世というモノに響くわけでもないのに。

基本的にスポーツの存在意義というのは、試合に勝つという行動を通じて、対戦相手に精神的なマウンティングをかけて「お前は俺より存在が上だ」というアピールをすることができる。

だから皆何の種目であっても貴重な金と時間を割いて、試合会場で贔屓のチームの応援に喉を枯らすのである。

今の時代、相手に勝つためで実際に馬乗りしたら、警察直行になってしまう。

価値観の多様化する社会の中で、高級なスポーツカーや装飾品にも、価値観の違いという壁が、マウンティングの役割を果たせなくなった世の中になっているのも事実だ。

こうした、現代人が他者に対する優位性を強調したい。

けどその強調するための基準と手段がなかなか見いだしづらい世の中で、精神的なマウンティングを可能にしたのが、現代の「プロスポーツ」という世界である。

しかしそのプロスポーツも冒頭のタイトルにあるように「おごるなよ 丸い月夜も ただ一夜」なのである。1つの勝利で相手に効かせられる優位性の賞味期限というのは1日だけなのだ。

②についてももう少し掘り下げていきたい。
①では筆者の関わりのあったフィリピンという国の国民的な娯楽であるバスケットと言う競技で、彼ら自身が最も悩まされた問題と言う「高さ」の問題を元NBA選手の帰化によって克服したと言う話をした。②ではそれと、その続きについて述べていきたい。

今回のタイトルにある「リバウンドを制する者は試合を制する」と言う言葉。

それは言わずもがな、ロスジェネ世代のバイブルである伝説的高校バスケット漫画「SLAM DUNK」で主人公の桜木花道が、主将であるゴリこと赤木剛憲から言われた、あまりにも有名な格言である。

桜木のポジションであるパワーフォワードやゴリのポジションのセンターというのは、ゴリ自身の言葉を借りれば「戦場だ」と言うようなゴール下の密集地帯が主戦場である。

一方で、①で述べた日の丸を背負った代表戦。Bリーグで活躍する選手が集うアカツキファイブの今回の日本vsフィリピン戦でも、日本代表の絶対的なエースガードでNBAのチームと契約した経験もある富樫勇樹がBリーグとは別人のような出来でシュートを外しまくった状況があるのがバスケットの怖さ。

そうしたアウトサイドの得点源が封鎖された時に、両チームが活路を見いだしていきたいのが、インサイドでのゴール下の闘い。

しかし、①で述べたフィリピン代表は、彼らの最大の弱点である高さと言う壁を元NBA選手と言う非常手段を使ってまで克服したのに対して、日本代表のインサイドはあまりにも非力で、それ以上に無策であった。

フィリピン代表にいた元NBAのセンターの骨格は「デカく」て「胸板が厚い」のに対して、日本代表のセンターの存在が「ひょろ長く」て「(胸板が)薄い」感じがした。

そうした中で、単純にタダのSLAM DUNK読者だったバスケ知識0の時に漫画のセリフとして聞いた「リバウンドを制する者は試合を制する」と言う言葉を思い出す。

しかしそこから20年以上の年月が経過して、バスケットファンとして見方を昇華させて改めてこのセリフを聞くと、赤木剛憲とその産みの親である井上雄彦という存在が、いかにバスケットという競技の本質を理解していたか、というのをニワカ・バスケットファンの筆者の心に叩きつけられる。

富樫勇樹のような国内最高峰のシューターでも、日の丸を背負えばガチガチに緊張してシュートを外すのがW杯予選の厳しさ。

問題は富樫がシュートを外したことではなく、シュートを外した後に日本代表のインサイドがフォローするためにリバウンドのケアをいかに準備するか?であった。

しかしこの日、シュートを外した後のケアができていたのは日本ではなくフィリピンの方だった。

そして71-77で日本はホームでフィリピンに苦杯を喫した。

SLAM DUNKという作品は、単なるオタクに過ぎなかった漫画という存在が、世界的なソフトコンテンツとしてブレイクスルーさせた1990年代を象徴するような代表的な存在であったが、2017年のバスケットW杯予選を通じて、この作品がこの競技の本質的な部分を理解した永遠のバスケットの手引き書だったということもまた証明していた。

バスケ日本代表は、ゴリが言うようなリバウンドを制するような肉弾戦に強い闘士の集団に生まれ変われるのか?それはバスケの歴史に委ねるしかないのだ。