いきなり独眼鉄は何をのたまっているのだ?と思うかもしれない。もちろんこの冒頭のタイトルにも意味がある。それをこれから説明していきたい。

このブログが世に出る頃には相当前の話になっているが、筆者は2017年11月24日に、ホーム・駒沢体育館で行われたバスケW杯予選の日本vsフィリピンの試合を現地観戦した。

筆者自身、ボクシング教原理主義者時代に何度か現地に訪れたフィリピン。

フィリピン人にとってプロボクシングが日本人における大相撲のような土着のプロ格闘技とすれば、プロバスケというのは、いわば日本人におけるプロ野球のような国内最高峰の人気を誇る娯楽のようなモノである。

ましてやプロリーグでさえそうなのだから、フィリピン人の男子バスケ代表チームとまで言ったら、日本人における野球の侍JAPANに匹敵する存在だ。

そのため、東京在住のフィリピン人が彼らから見て生活するのにタフな環境である異国の地で、子供の頃からのスター軍団が自分たちの近くに来るとなったら、他の日はどれだけキツい環境での仕事になってもいいから、この日の夜だけは何がなんでも予定を開ける、そのくらいの存在だ。

おそらく同じ年でアメリカで開催されたWBCのの日本代表が自分の地元に来たアメリカ在住の日本人も、この日のフィリピン人と同じ心境に近かったと思える。

長くなったが、そんなバスケット・フィリピン代表の選手たち。彼らが信じるキリスト教の聖書に「汝自身を知れ」と言う言葉があるが、彼ら自身が1番理解しているバスケ・フィリピン代表の根底にある弱点。それは「高さ」である。

バスケットでの闘いというのは、サッカー以上に身体能力よりも骨格の優位性がモノを言う競技だ。言葉を変えれば、テクニックに秀でたプレーヤーもフィジカルで劣ると、簡単に潰されてしまうスポーツとも言える。

前述のボクシングなら厳重な身体測定や計量によって、細かく体格を細分化してくれるような、身体のサイズという部分において、ある意味で慈悲の心は存在する。

しかし、バスケットの世界は骨格に劣る人間にはどこまでも無慈悲だ。

そうした中で、フィリピンのバスケット協会は代表チームにアメリカ出身で210cmもある元NBAプレーヤーのビッグマンの帰化に成功して、フィリピン人が持たない高さと言う文字通り「高い」壁を克服した。

そうしたフィリピン人が長年バスケットで悩ませた壁を、今度はバスケ日本代表の壁になって立ち塞がったのだ。〈②に続く〉


①ではバスケW杯の運営に対して、組織のトップが強権的な手段を用いて改革に乗り出そうとしている姿を見ていたわけである。

そうした中で筆者がバスケW杯がローカルスポーツからワールドスポーツになるためのいわば成長痛という過程に入っていると述べた。

ではかつて欧州と南米だけのローカルスポーツであったサッカーが、いかにしてW杯を全世界の人々を巻き込んだスポーツにしたのか?やそれ以外の競技についても見ていきたい。

サッカーW杯の予選に対する運営で思い出すのは1994年W杯アメリカ大会アジア最終予選の1993年10月28日にカタール・ドーハで散ったいわゆる「ドーハの悲劇」を思い出す。

この最終予選に対する経緯というのはネットや紙媒体でいくらでもあるからここでは言及しない。問題はこの最終予選での大会運営手法である。

イラク・イラン・サウジアラビア・日本・韓国・北朝鮮の6ヶ国が酷暑の中、中東のカタールに集まって2週間で5試合という過酷な日程でたった2つの出場枠を争うという形式だった。

こうした一ヶ所での集中開催というのはセントラル方式というが、このやり方では地元の暑さに豊富な経験値のある中東勢に対して、日本や韓国と言った東アジア勢には明らかに不利な仕組みだった。

サッカーがまだ世界でマイナー競技だった頃ならともかく、日本でもプロリーグが生まれ、メジャーなスポーツへと脱皮していくプロセスにおいて明らかに不利な状況。

それ故に当時のセントラル方式から、ドーハ以後の日本や韓国が望むホーム&アウェー方式というのは、日本の悲願のW杯出場には必要不可欠なモノであった。

そうした中で日本サッカー界も1998年のフランス大会からホーム&アウェーに変わり、第3代表決定戦も紆余曲折の末に中立地のマレーシア・ジョホールバルになる。

こうしたサッカー界における国際政治と外交のパワーバランスの変化が大きなうねりとなって、それまでのサッカーにおける既存勢力の壁に押し寄せるようになる。

世界のサッカー界もグローバル化の大波に晒されつつ、結果的にその波を乗り切っていった。

しかしまた、国際Aマッチの大きな変化と同時期に生まれたサッカー海外組との日程調整という軋轢が生まれたのも事実。

こうした問題というのもサッカー界全体が試行錯誤して克服していったのである。

その中で①で述べたバスケW杯の予選運営もホーム&アウェーに切り替えたのも、1990年代のアジア・サッカー界が向き合った問題というのを2017年から18年という時期になって初めてぶつかったように見える。

野球のWBCにしてもそうである。アメリカ系スポーツというのは、基本的にアメリカのいわば一党独裁に近い政治システムで、野球ならMLBありきで動いている。

その上で、野球という競技は現金化や効率的なスポーツビジネスとしての成熟という意味では大きな経験値がある。

しかし野球人の全てを納得させる国際大会の日程の問題については、まだサッカーに比べて大きく遅れをとっているのは否めない。

今回はバスケW杯の予選運営方式における各国関係者から不満が噴出したという話からW杯の運営方式というモノが全ての人に納得してもらうには、長い時間と試行錯誤が必要だと言う話をした。

このローカルなマイナー競技が全世界を熱狂させるグローバル化したメジャー競技になるには、子供が大人になるような通過儀礼(イニシエーション)の時期が必ず必要になってくるのである。
このブログを執筆しているのは2017年11月23日な訳だが、翌日にバスケ日本代表が駒沢体育館でフィリピン代表を迎えて、バスケW杯アジア一次予選を戦うにあたって、1つのニュースが飛び込んできた。

「FIBA(サッカーにおけるFIFA)が運営するバスケW杯予選の運営方法について、各国代表関係者から不満が続出」とあった。

FIBAは今回のバスケW杯中国大会から予選の試合をホーム&アウェーにした。しかし、この日程だと各国のリーグ戦の最中にW杯予選を行うので、国内リーグ運営に支障をきたす、というのが不満の理由であった。

FIFAがサッカーの欧州リーグを管理・運営できる立場に対して、FIBAはアメリカのNBAを管理下に収めていない、という特殊な状況にも、今回の不満に拍車をかけた。

そして現在の代表招集システムに問題があるのは欧州トップリーグのユーロリーグも同様で、バスケW杯の成功を目指すのに対して、各組織がバラバラで全く足並みが揃ってないことが浮き彫りとなった。

このニュースを見て筆者は「バスケもアメリカのローカルスポーツから世界規模でのメジャーなスポーツに変わるための、いわば『通過儀礼(イニシエーション)』の時期に入ってきたのだなぁ」

正直言って何かのローカルスポーツがW杯のような世界規模での国際大会に脱皮する上で、こうした紛糾というのは必ず起こるモノ、いわば「成長痛」にも似た現象でもある。

今のFIBA事務総長であるスイス人のパトリック・バウマン(男子プロテニスプレーヤーのロジャー・フェデラーと同郷)という人物は日本のバスケ界と縁がある。

2014年には日本国内における独立系プロバスケリーグのbjリーグと実業団バスケリーグのNBLの長年続いた団体分裂状態に対して、日本の国際大会出場を禁止するという、強権的な手段を発動させてリーグ統合をさせるきっかけを作った。

それまでの日本のプロ野球のコミッショナーのような単なるお飾りではなく、バウマンはタカ派の政治家ではないが政治権力と行動力を併せ持った強硬派である。

日本国内のリーグ運営問題の次にバウマンが着手した改革が、バスケW杯をサッカーのそれのように全世界で注目されるようなメガスポーツイベントに脱皮されることだった。

その手始めとしての予選の運営手法である。こうした改革を手掛けるトップというのは敵を作ってナンボの世界である。

しかし、今回の報道を見て、バスケに限らず、ローカルスポーツのW杯を全世界の人々に注目してもらうグローバル化というのは難しい。それは他の競技でも同様だ。

②ではこの問題について、他競技の例からも見ていきたい。