①ではロシアW杯における強豪国の予選敗退、いわゆる「名門の古豪化」というのが、実はW杯だけでなく世界中の様々なカテゴリーで共通して起こっている現象だ、という説明をした。

②ではその部分をもう少し掘り下げていきたい。

基本的に強豪国(サッカー名門校)の予選敗退というのは、W杯でも日本の高校サッカーでも構造としては一緒だ。

高校サッカーだと県立高校のサッカー部で実績を挙げた指導者が、県内のスポーツに力を入れようとする私立高校の校長や理事長に三顧の礼で迎えられる。

そして2〜3年のスパンで県内のサッカー勢力図を把握しつつ、優秀な中学生をかき集めるのがほとんどだ。

その上で、昔は一部の特権階級にしか許されなかった秘密の情報なども、今やインターネットで監督が自宅で最新の戦術論などを入手できるようになった。

そしてなおかつ指導者の勉強会で指導理論をブラッシュアップさせることで、ネットのない時代では考えられないくらいサッカー監督の研究やスカウティング(分析)技術の向上が可能になった。

そうした意味でかつてのサッカーの名門校や強豪国が弱くなったというより、新興勢力がネットの力でチーム強化の中長期戦略が立てやすくなり、結果として昔ほど強豪国と新興勢力との実力差は急速に縮んだ。

あるサッカー名門校の監督は「今の高校サッカーは全国に100校ぐらいは全国優勝できる能力がある」と言ったが、それは全国優勝できるだけの高校でも予選敗退することもある、という意味でもある。

W杯予選も同様で、2022年のカタール大会から出場国が32から48まで増えるが、新興勢力のネットを駆使した中長期強化メソッドが世界中に乱立することにより、無名国でもW杯の門戸は広がっていった。

しかもそうした新興勢力の試合分析が容易になってロシア大会予選のイタリアやオランダ、アメリカを倒すような無名国のジャイアントキリングも容易になったことを証明した大会でもあった。

そして冬の選手権で全国優勝できるレベルのチームが県大会で姿を消すのと同様に、W杯で優勝できるチームが本戦出場を閉ざされる強豪国もあり得るほど、世界のサッカーではどの国も実力は拮抗している。

それは2014年のブラジル大会でのコスタリカ代表みたく、下馬評ではグループリーグ敗退と予想されたのが、イタリア・イングランド・ウルグアイを抑えての首位での突破し、最終的にベスト8に進出したのも記憶に新しい。

勝負の世界に絶対はない、というのはスポーツの世界では使い古された言葉であるが、しかしこの言葉は真理である。

そうしたことも考慮して、今回のロシアW杯の試合に筆者は臨みたい。
筆者がこのブログを書いているのは2017年12月10日なワケであるが、つい先日ロシアW杯の出場国32ヶ国が全て出揃った。

ただそうしたニュースを見ていて感じたのが、今回のロシアW杯では伝統的な強豪国の予選敗退が目についた。

ざっと挙げてみてもイタリア、オランダ、アメリカ、チリ、コートジボワール、ガーナ、アイルランドとW杯本戦に出場しても、グループリーグ(GL)突破できそうな強豪国がズラリ。

逆にこの大会予選を突破した国にはアイスランドやパナマと、本来ならW杯に出場するイメージの湧きづらいチームが、ロシアへの切符を手に入れた。

こうした状況を見てみても、今の世界のサッカー界はW杯でも「名門の古豪化」の流れは加速している感はある。

筆者がこのロシアW杯で起こった名門の古豪化に対して思い出すのは、高校サッカーのいわゆる冬の選手権だ。

一時期の冬の選手権では大会初出場のチームが本大会でも活躍して、全国優勝することがあった。

全国優勝はレアでも、県大会レベルでは昔の国見(長崎)や鹿児島実業と言った名門が県予選の壁を破れず、県内の新興勢力に苦杯を喫することは今や珍しくない。

今のJリーグでもJ1で賞金圏内に入ったクラブやかつての名門クラブで、シャーレを持ったチームも、クラブ運営に失敗してJ2の底無し沼に浸かっているところなどいくらでもある。

こうしたサッカー界の国内外の様々なカテゴリーで進む「名門の古豪化」。

②ではその原因などを詳しくみていきたい。
今回はプロスポーツにおける危機感の重要性を説いている訳だ。

以前新日本プロレスや大相撲が、組織内における危機感の共有をしながら、団体の改革を実行したことによって、自分たちの試合における継続した集客に成功したという話をした。

それはこうしたプロ格闘技だけでなく、プロ野球にも同様であると言える(残念ながら大相撲では不祥事が起こってしまったが)。

①でも述べたことだが、2017年に筆者が観戦したプロ野球の球場に共通して見えた、ホスピタリティ(おもてなし)の意識の根底にあったのは強烈な危機感だ。

これはプロスポーツの運営に限定されたモノではなく、1社会人が就職して仕事を覚える時にも同様だ。

手前味噌で恐縮だが、筆者が今の職場で働くようになって、ブログを書いている時点で1年半経つ。

今までいた組織に半ば戦力外という形で放り出されたので、今の仕事を失ったら次はないという強烈な危機感から、初日から仕事を覚えようと職場の間取りなどを必死にメモして、仕事を覚えようとした。

そして、今の職場である一定の信頼を勝ち獲った。

一方で、その後この職場でキャリアを積み仕事を教える側に回って、新卒でも定年後の再雇用でもダメなタイプというのは、メモもロクに取らず同じことばかり質問して、危機感のない人間である。

そういう人間に限って「昔、自分は◯△◇という会社で部長になった」という屁みたいなプライドを引きずっている。

昔、筆者は「即戦力より戦力外」という記事を書いたが、実際の仕事でもプロスポーツでも、組織内に危機感を共有できるか否かで、仕事の質も左右される。

翻って、筆者はプロスポーツのブログ運営をしているが、先日見たZOZOのロッテ戦の裏で、プロボクシングの試合もあったが、筆者はプロ野球を選んだ。

いくら昔打ち込んだボクシングという競技でも、危機感を持たず何の工夫もなく惰性で運営しているコンテンツを重視する気はない。

仕事の能力と自分の人生の価値を左右するのは、過去の役職名ではなく、現在死に物狂いでやっている努力であり、それが自分の未来の幸不幸を決めるのだ。