今回はプロスポーツにおける危機感の重要性を説いている訳だ。
以前新日本プロレスや大相撲が、組織内における危機感の共有をしながら、団体の改革を実行したことによって、自分たちの試合における継続した集客に成功したという話をした。
それはこうしたプロ格闘技だけでなく、プロ野球にも同様であると言える(残念ながら大相撲では不祥事が起こってしまったが)。
①でも述べたことだが、2017年に筆者が観戦したプロ野球の球場に共通して見えた、ホスピタリティ(おもてなし)の意識の根底にあったのは強烈な危機感だ。
これはプロスポーツの運営に限定されたモノではなく、1社会人が就職して仕事を覚える時にも同様だ。
手前味噌で恐縮だが、筆者が今の職場で働くようになって、ブログを書いている時点で1年半経つ。
今までいた組織に半ば戦力外という形で放り出されたので、今の仕事を失ったら次はないという強烈な危機感から、初日から仕事を覚えようと職場の間取りなどを必死にメモして、仕事を覚えようとした。
そして、今の職場である一定の信頼を勝ち獲った。
一方で、その後この職場でキャリアを積み仕事を教える側に回って、新卒でも定年後の再雇用でもダメなタイプというのは、メモもロクに取らず同じことばかり質問して、危機感のない人間である。
そういう人間に限って「昔、自分は◯△◇という会社で部長になった」という屁みたいなプライドを引きずっている。
昔、筆者は「即戦力より戦力外」という記事を書いたが、実際の仕事でもプロスポーツでも、組織内に危機感を共有できるか否かで、仕事の質も左右される。
翻って、筆者はプロスポーツのブログ運営をしているが、先日見たZOZOのロッテ戦の裏で、プロボクシングの試合もあったが、筆者はプロ野球を選んだ。
いくら昔打ち込んだボクシングという競技でも、危機感を持たず何の工夫もなく惰性で運営しているコンテンツを重視する気はない。
仕事の能力と自分の人生の価値を左右するのは、過去の役職名ではなく、現在死に物狂いでやっている努力であり、それが自分の未来の幸不幸を決めるのだ。