①ではWEB媒体にあった消滅したJリーグクラブの選手送迎バスの買い取り値が1500万円で、そのバスを巡ってのバス運転手にあった葛藤について説明したが、ここからは筆者自身のオリジナルな考えをブレンドした記事を書きたい。

この記事を読んで思い出したのは亡くなった永六輔の朝のAMラジオ番組で、レポーターのラッキィ池田が関東一円のリスナーをレポートするコーナーがあった。

ある日、そのコーナーで群馬県の山の中でボロボロのSL機関車を買い取って修理しているおじさんを紹介していた。

そのおじさんに対してラッキィ池田が「失礼ながら、この村には何もなくて生活するのに不便なことでしょう」と尋ねると、

「このSL機関車があれば、自分には何も必要ありません」とそのおじさんは即答した。

個人的に思うのだが、かたや①で述べた横浜フリューゲルスの選手送迎バスを1500万円で買い取ろうとして、1000万円まで準備したものの、あと500万円足りなくて残念がったバス運転手。

かたや前述のSL機関車を買い取って幸せな人生を満喫しているおじさんと、ある意味において同類項ということである。

①のバス運転手は乗り物ヲタクと言うより大きくなったサッカー小僧で②は鉄ヲタと微妙に種族に違いはあるものの、「男はロマンに生きて、女は現実に生きる」という意味で、今回の2人の男性は人生のロマンを選択したという部分において共通する。

女性は男性の持つこうした金銭に対しての価値観に全く共感できないのが普通だ。「オトコとオンナという2つの存在は愛し合うことは可能でも、理解し合うことは不可能だ」と男である筆者は考えるが、この部分において男女が理解し合える余地はないのは確かだ。

SL機関車おじさんが自分の「愛車」をいくらで入手したのかまでは非公表であったが、勝利も敗北も思い出が刻み込まれたチームの選手送迎バスを1500万円で買い取ろうとする運転手の行動は、誰もがマネできるわけではないが、その心理に共感できる男性が多いのは確かだ。

どんなに生活が苦しくても、思い出の染み込んだ選手送迎バスが手元にあれば寂しくはないと考えたバス運転手の男性。

少なくとも同じサッカーを愛する男として、筆者は彼の価値観に共感できる。
先日、筆者が勝手にサッカーライターの師匠と崇める1人のウッテツさんこと宇都宮徹壱氏のフットボールチャンネルでの記事で、消滅した1998年に横浜フリューゲルスが今年で20年という節目なので(最後の試合は1999年元日の天皇杯優勝)、その特集記事の1つとして当時のフリューゲルスの選手送迎バスの運転手が「現役生活」に起こった思い出話をそのWEB媒体で紹介していた。

もちろん、それをそっくりそのままここで書いたら単なるパクリなので、詳しくはそのサイトを見てくれればいいのだが、この記事を読んで感じたことがいくつかあった。

まず当時の横浜フリューゲルスの選手送迎バスは税金込みで6500万円もしたということ。バブル末期にスタートしたJリーグだが、こうした部分にもそうした名残が伺える。

結局、チーム消滅後にそのバスが宮城交通に1500万円で引き取られたという話だった。走行距離も短かったしバスは20年は現役で走れるので、この値段がついたという。

この記事でフリューゲルスのバス運転手が「1000万円までなら工面できたが、結局バスを引き取ることができなかった。あとたった500万円だったら何とかしてお金を用意して、このバスを買い取りたかった」と言っていた。

このバス運転手の話を聞いて、女性の読者と男性の読者では感じ方に相当大きなギャップ(というか「溝」)ができたと思う。

まず女性がこの記事を読めば「オトコの思考回路ってクレイジーね。理解不能よ」としか思えないであろう。

一方で男性なら、この送迎バスは横浜フリューゲルスだからサッカーだけど、例えば長年使った読売巨人軍の選手送迎バスを巨人の運転手が買い取ったら「羨ましい」と感じたり、大枚はたいて購入する心理を共感する男性がいても不思議はない。要は種目の違いだけという話だ。

どの道、このブログ記事もこのままだったらただのパクリで終わってしまう。ここから筆者個人のオリジナリティを加えた記事にしたいので、②へと話を続けていきたい。


①ではサッカーにおける選手とサポーターの関係というのが、どちらかにパワーバランスが傾いてもダメで、両者は常に対等な関係において、その力が発揮される、という話をした。

筆者はこの話を聞いた時にサポーターと選手の関係って、実は男女間の関係に似ているのでは?と感じた。

自らの恥を晒すようだが、かつて筆者は年上の女性との交際があった時期がある。

初めてできた彼女で嬉しくなり、彼女との交際は当初楽しくてしょうがなかった。

しかし付き合って3ヶ月後にいきなり別れ話を切り出され、失意のうちの失恋となった。

フラれた時は彼女が自分を振った理由が分からなかったが今なら分かる。

それが①のサポーターと選手との関連性ではないが、男女間の交際でもフラットな人間関係を構築出来なかったところにある。

つまり筆者はパートナーに依存していただけだということだ。

男女交際でも夫婦でも、どちらか片方が相手に依存し、負担を強いる関係というのは長続きしない。

こうした人間関係を長期間維持するのに「我慢」というのは続かないものだ。

男女交際において必要なのは美貌や甲斐性よりも、お互いが本音で話し合える関係性であり、どちらかがパートナーに依存する関係というはいずれ破綻する。

筆者のこの時の恋愛は楽しかったが、筆者自身が相手に頼りきっていた、いわば「子供の恋愛」だった。

もし筆者が万が一、男女交際をもう一度するなら、互いの存在が親友であり、戦友のようなフラットな関係性を目指したい。

話をサッカーに戻して選手とサポーターとの関連性である。

サポは自分たちは客だという選手やフロントに上から目線の態度をとっていれば、そのチームは昇格が出来ないのももちろん、下部リーグに降格にすらなってしまう。

互いが互いの立場を尊重できるような関係性になったら、男女交際でもスポーツでも1+1=2ではなく3にも4にもなるような強い繋がりになるだろう。

重要で濃密な関係を築いていくことになるなら「お客様目線」「上から目線」を捨てて、フラットな立場作りというのが必要なのである。