先日サッカーにおけるサポーター論を深めるために買った「サッカー批評」の第61号(2013年3月9日第一刷発行)がある。

この中で柏レイソルの看板選手でこの書籍が出た時にはJ2ロアッソ熊本に在籍していた北嶋秀朗のインタビューがあった。

この記事の中で「選手とサポーターはどちらかが上でも下でも絶対にダメだと思う」というコメントを残した。

当初、北嶋が所属していた柏レイソルは選手とサポーターとの繋がりが希薄で、同じチームなのに一体感に乏しかったという。

その後北嶋は清水エスパルスに移籍した後に柏に戻り、選手・指導者・フロント・サポの立場の異なる人間がどうやって一つのチームとして同じ方向を向いていくことを模索していたという。

自分の場合、J2ジェフ千葉のサポであるがサポ同士の一体感がなかったり、フロントとサポとのいさかいもあり、未だまとまりはない。

しかし、この北嶋の記事を読んで応援しているクラブは違うもののピンと来る部分もあった。

選手とサポーターという2つの異なる立場でも対等に話し合える関係になって、初めてクラブは前に進める、という点だ。

自分の身内という意味も含めての発言だが、サポがこのクラブを応援している、といっても、酒や飲食物を持ち込んで、レプリカユニも買わない(初めて来たライト層ならともかく)。

そのくせ勝てないと「誰が責任取るんだ」と被害者ヅラ。

正直サポは結果にこだわっている自分に酔うのではなく、サポがクラブに応援以外の部分でも何ができるのか?というのを考えるべきである。

こうした一連の流れを見て感じたのが、男女交際の時の関係だ。

その根拠については②で述べたい。


①では2000年代におけるプロスポーツと試合中継テレビ局との放映権料という莫大な金を仲介にした蜜月時代について述べた訳であるが、②では2010年代のプロスポーツと放映権料について考えていきたい。

2010年代というのは周知の通りスマートフォンの時代で試合の映像というのがSNSなどで簡単に見られる時代となり、①で述べたような単純なテレビ放映権料というビジネスモデルの崩壊の危険性、いわば「終わりのはじまり」という時代でもあった。

こうしたテレビ放映権料との蜜月関係の時代が終焉すると察知したプロスポーツビジネスがある。プロ野球である。

プロ野球は周知の通り、2004年の近鉄・オリックスの球団合併問題から端を発した球界再編問題で、ファンも現場関係者も放映権料を含めた既存のプロ野球ビジネスの放映権料モデルの崩壊をいち早く察知していた。

折しも球界の盟主・巨人軍の視聴率低下もあって、次のビジネスモデルの構築する必要性に迫られた。

その10年以上、日本球界が採った政策というのはJリーグのような地域密着や球場に来たファンに対して、清潔なトイレや飽きの来させない豊かな食のテーマパークとしての要素。

試合以外の様々な楽しいイベントと12球団全てが、テレビ放映権料と親会社の補填を期待するのをやめた自立経営の努力をするようになった。

こうしたビジネスモデルの変化は音楽業界が、CDが売れなくなり、ライブとファンとの接点を持ったイベントを増やすことによって収益構造を変化させて、利益を確保したプロセスにも似ている。

こうした、2000年代のプロスポーツとテレビ放映権料という蜜月時代の関係の終焉から、2010年代に入りプロスポーツのライブ収益化という時代へと変遷するプロセスへとプロスポーツ界は大きく舵を切った。

こうしたプロスポーツビジネスの変化に対応できないコンテンツというのは、早晩衰退するしかない。

ニーチェの言葉に「脱皮できない蛇は死ぬ」という言葉があるが、プロ野球界のように新しいビジネスモデルに脱皮できないと、古いコンテンツが待つ先は破滅のみである。

参考文献 Sport Management Review  2006 vol.3
プロスポーツという映像の世界におけるキラーコンテンツというのは、テレビ放映権料という最良の伴侶がいてこそそのお互いの商品価値を高める働きができた。

しかし中国のことわざにあるが「永遠の敵は存在しないが、永遠の味方もまた存在しない」という言葉の通り、プロスポーツと放映権料という蜜月関係が今、分岐点に来ている感がある。それを今回は述べたい。

筆者がプロスポーツにおけるテレビ局の放映権料の存在を意識したのは、2000年のシドニー五輪の水泳で当時の水泳界のスターだったイアン・ソープの中継時間が現地で午前中になったところからである。

シドニーと東京というのは時差がほとんどなかったが、理由が分からないながらに「なぜこんな時間に?」と思ったモノだ。

結局それは、大口の視聴者であるアメリカの視聴率を計算して、アメリカのテレビ局のNBCが、こうした時間帯への移行の圧力を掛けたという経緯があった(オーストラリア水連はNBCを批判した)。

その後、2006年にサッカーW杯ドイツ大会で、日本代表がクロアチア戦やオーストラリア戦を夏の暑い日中に時間変更した。

これも中継テレビ局がFIFAに働きかけて、視聴率の取りやすい時間帯での試合中継にしてもらった経緯がある(結果的に日本代表はグループリーグで惨敗し、姿を消した)。

こうした2000年代の一連のスポーツビジネスの流れを見て、この時代はプロスポーツとその試合を放映する中継テレビ局が支払う放映権料という金から生まれる立場の逆転現象も起こった。

②でもこのことについて述べていきたい。