①では元ボクサーのセカンドキャリアの成功について述べたわけであるが、②でもこのことについてもっと深く言及していきたい。

最初に赤井英和氏とトミーズ雅氏のセカンドキャリアについてツラツラと筆者は説明してきたが、当人にとっては筆舌に尽くしがたい苦労があったのは容易に想像できる。

赤井氏にしても俳優としての出世作は「どついたるねん」であったが、いくらプロ格闘家としての経験があっても、役者は役者。全く別種の世界についての戸惑いもあったはずだ。

役者を志す以上にセリフを覚えて、感情表現するという能力はパンチを鼻先三寸でかわす能力とは勝手が違う。

トミーズ雅氏にしても同様だ。よくテレビのトークショーでは5分の会話のために、テーマの下準備や打ち合わせ、スタジオへの移動や反省会のために半日分の労力が必要になるという。

こちらもかつて格闘技で名を成して、現役時代は凄くても芸能界に入れば皆横一線でライバル。お客様扱いはすぐになくなる。  

ボクシングの世界王者でセカンドキャリアに失敗し、裏社会と繋がりを持って永久追放された人間というのもいる。

だからこそ、①でも述べたが「セカンドキャリアの成功が本当の成功」というのは前述の2人が教えてくれている。

お笑いでも楽しそうに笑っているのは一瞬で、あとは地味にキツい稽古や単調なネタ合わせに汲々としているのは承知の上である。

しかし、そうしたキツい水面下の努力に下支えされているセカンドキャリアの成功は尊いのだ。

筆者自身も仕事はキツい。しかしこの2人を見習って投げ出さないで頑張りたい。
以前このブログで、あるボクシングの世界王者のセカンドキャリアについて述べたことがあった。

それ以外でも、ボクサーのセカンドキャリアについて述べたいことがあるので紹介していきたい。

元プロボクサーのセカンドキャリアで最も成功しているのは赤井英和氏とトミーズ雅氏である。

今の若い人はこの2人が元プロボクサーというのを知らないのがほとんどであろう。

しかし赤井氏は元世界ランカーでトミーズ雅氏は元日本ランカーである。

赤井氏は若い頃「浪速のロッキー」として一斉を風靡し、世界タイトルにも挑戦しただけの凄腕の猛者だった。

また赤井氏の場合は世界タイトルの挑戦の仕方が特殊で、日本や東洋王者にならずに世界タイトルに挑戦し、最終的に何のタイトルも取らないまま引退した。

そのため赤井氏がプロボクシングの世界戦の解説者になる時の肩書きは「元世界ランカー」と書くしかない。

そしてトミーズ雅氏もスーパーウエルター級(鷹村守の階級)のボクサーであったが、日本タイトル挑戦失敗を期に引退。

引退直後は仲間と遊んでいたが、それにも飽きて一念発起してお笑いの世界に飛び込んで、成功のスターダムを得た。

こうして見てみると、元ボクサーのセカンドキャリアで成功しているのが、現役時代にタイトルに縁がなかった選手だったのが興味深い。

ボクシングに限った話ではないが「セカンドキャリアの成功が本当の成功」と筆者は言っているが、こうした元ボクサーの成功というのは、筆者のような無名拳士にも勇気づけられる部分は沢山ある。

②でもこのことについて述べていきたい。
①では卑近な例から筆者がやっていたボクシングが試合の出場機会がないことがモチベーションの喪失となって業界の低迷に繋がったという話をした。

②ではボクシング以上に出場機会を与えるべきスポーツについて考えていきたい。

以前、サッカー解説者のセルジオ越後氏が書いた「補欠廃止論」(ポプラ新書)にも、

「ベンチ入りメンバーである控え選手は必要だが、スタンドで応援する補欠に試合の出場機会を与えるべきだ」

「『ベンチに入れなかったけど3年間頑張った部活は自分にとって勲章だ』というけど、ユニフォームを着て試合をしたがらない選手はいない」

「いくら競技人口が増えても、スタンド応援の補欠が試合に出られないなら、本当のサッカー文化ではない」とセルジオ氏は言っていた。

①で述べた筆者のボクシングでも6年間頑張ったが、出場機会を与えなかった指導者の存在に価値はないと断言する。

それ以上に、出場機会を与えるべき集団の球技でそれを与えない関係者はただの怠慢でしかない。

同じことは野球でも言える。日本のプロ野球は高い契約金を払ってプロ野球選手を雇う。

しかしその割には、支配下登録の70人+育成選手と言った多くの選手に出場機会を与えずに、いわば「飼い殺し」「塩漬け」。

こうして引退するダイヤの原石はいくらでもいる。

日本の二軍に比べて、アメリカのマイナーリーグというのは移動もキツく環境や衛生面も劣悪だと言う。

しかし一ついいところがあるとすれば、マイナーで飼い殺しは絶対に存在せず、どんな選手にも必ず出場機会というチャンスは与えられる。

こうしたチャンスをモノにできずにクビや下部リーグへの降格はあっても、チャンスがないということはない。

翻って日本のスポーツである。今の日本は急激な少子化からなんのスポーツでも競技人口は減少傾向にある。もちろん野球も例外ではない(サッカーはギリギリ現状維持)。

かつては「おまえの代わりはいくらでもいる」という時代だったが今や若者は何の世界でも貴重な人材。もはや「おまえの代わりはもういない」という世の中だ。

こうした時代に競技の脱落者を出さないためには「出場機会を均等に与える」という当たり前のことを徹底させるべきである。

いつまでも若い人材がどんどん湧いて出てくる時代ではないのだ。