①ではJ2というのが単なるアジアの下部カテゴリーではなく、世界へと繋がるリーグで決してラクではないという話をした。

②ではそうした部分においてディテールを詰めていきたい。

J2出身でワールドカップに行くまでに出世したプレーヤーは多いが、個人的に名を挙げるなら韓国のパク・チソンは外せない。

アジアからイングランドのマンチェスター・ユナイテッドのレギュラーにまで上り詰めたパク・チソンも、地元の大学を出てプロキャリアのスタートをさせたのは、J2の京都サンガだった。

ここで日本のレジェンドであるカズこと三浦知良と出会った時は単なる大卒の韓国人だった。

しかしこうした邂逅(かいこう)から、ただのテクニックのあるサッカー選手から、プロで必要な献身的に水を運べる汗かき役としてチームに貢献。

そうして、アジアが世界に誇るサッカー選手にまで成長した。

他にもマンUのユニに袖を通した選手でいえば、日本の香川真司もJ2で才能を開花させた選手である。

香川はJ2のセレッソ大阪でプロになりたての頃は、実はボランチだった。

この時にチームを率いていたブラジル人のクルピ監督は「カガワはボランチよりも攻撃面を生かしたポジションの方がいい」と指導。

こうしてセカンドトップにコンバートした香川は日本代表の10番として、世界のKAGAWAにまで成長した。

他にも、セレッソ大阪にはW杯得点王にまで活躍したウルグアイのフォルランもいた。

フォルランの場合は、既に入団から凄かったが、何が特筆して目立っていたかといえば、ロングレンジからのシュートの精度である。

並のJ2のFWなら「宇宙開発」になるところが、フォルランの場合だと遠い位置からでもしっかりと枠にボールを飛ばせるところがワールドクラスだった。

こんな選手も在籍していたのがJ2のディープさの所以である。

今回はJ2について色々述べた訳であるが「J2なんて価値はない」と切り捨てずに、W杯が終わったら生観戦を楽しんでもらいたい。

テレビだけでは分からない素晴らしさがJ2のピッチには眠っている。

このブログが順当に更新されれば2018年6月にはUPされる。この時期にある世界的なスポーツイベントとは何か?

そう。言わずもがな、サッカー・ワールドカップ(W杯)である。

普段はJリーグを中心とした日本国内のサッカーに興味がない人でも、この時期だけはテレビで試合を見る、という人も多いであろう。

筆者もかつてはサッカーをそうした緩やかな繋がりでしか見ていなかった。

しかし10年前からJリーグを、筆者が応援しているジェフユナイテッド千葉をJ2で9シーズン観戦するようになって、サッカーに対する意識というものに大きな変化が生まれた。

というのも、最初は1年で卒業するつもりだったJ2も、実際は「戦術の実験場」とも呼ばれ、J1の名門クラブやJ3を無双で勝ち上がった下部リーグ王者などカオスな面子が揃う凄腕(脚?)リーグ。

そうした錚々たる顔ぶれが並ぶ強豪揃いのJ2というのが、世間で過小評価されているように感じる。

J2というリーグそのものというのはここ10年のみならず、ここ5年切り取っただけでも濃密なエネルギーを持った集団で作られた組織である。

何がどう濃密なのか?といえば、とにかくJ2というリーグを経験した監督というのは、一言で言うと「策士」だ。

今年J1で戦うV・ファーレン長崎の監督である「アジアの大砲」高木琢也も横浜FC時代もそうだったが、特に足りない戦力でも策を講じて、勝ち点をもぎ取るのに長けた指揮官だった。

とにかく戦力が上だからラクなのか?といえばとんでもない。

そうしたJ2というディープなカオス。この続きは②へと繋がる。
①ではタイのプロボクシングの勢力図が国内のプロモーター(試合の主催者)によって塗り替えられて、それまであったタイ王者というタイトルの権威が失墜した、という話をした。

②では、そんな落ちぶれたタイトルに新たな価値を見出した男について紹介したい。

タイの首都バンコクのチャイナタウンの一角にチュワタナ・ジムというボクシング&ムエタイのジムがある。

そこのジムの経営を担うアンモー会長というのが今回の主人公だ。

タイ王者というのは新設団体によって権威が失墜したのは前述の通りだ。

しかし、それでもタイ王者というのはまだ微かな商品価値は残っていた。

タイ王者になると、東洋太平洋ランキングに名を連ねることが約束される。

ぶっちゃけタイ王者へのランキングに入ってタイトルを取ることは、影響力が失墜した分、ドサ回りが効いて有利なマッチメイクなどはいくらでも都合がつく。

タイ王者→東洋タイトル挑戦やタイ王者になってのノンタイトルの試合で日本に遠征し、白星を献上。

そして自分が負けることにより相手にランキングを与え、同時に東洋タイトルの挑戦権を与える代わりにファイトマネーで日本円を得ることができる。

前述のアンモー会長はこの権威の失墜したタイ王者の存在が日本円を稼ぐ錬金術になると見越して、配下の選手を皆タイ王者に仕立て上げた。

そして、この仕組みに気づいた後も自身のタイ王者を盛んに日本に遠征させて、ノンタイトルで白星を日本人に与え続ける。

その代わり日本円という強い外貨のファイトマネーを定期的にそして確実に稼ぐことに、アンモー会長は成功した。

まさに①の冒頭で紹介した秦の呂不韋の「奇貨(権威を失ったタイ王者の利用価値)、置くべし。」の現代版である。

ここでプロボクシングというスポーツビジネスで成功というのは何なのか?という話だ。

世界王者になりファイトマネーをがっぽり稼ぐ?

そんな手段が可能なのは五輪の金メダリストなど一握りの存在だけだ。

むしろスポーツビジネスにおいて重要なのは「カネを稼ぐこと」であり、勝敗というのは時の運という水物の要素もある。

むしろ現実に即して、価値のない存在から商品価値を見出して堅実に稼ぐという姿勢の方が、商人道としてはスジが通っている。

きらびやかに見えるプロボクシングの世界も意外と、こうした抜け目ない存在の人間の方がしぶとく生き延びていけるモノなのだ。