①ではボクシング界で東洋が世界に誇る名王者だった輪島功一会長(現在は輪島ジムを主宰)。

彼が現役時代に防衛戦で敗れた話を①でした。その理由は相手云々というよりもオーバーワークによる消耗が原因だと彼は分析した。

そうしてボクシングの世界タイトルマッチという大一番で結果を出すには根性練習一辺倒には限界があると悟った。


そこで導き出された結論というのが、冒頭のタイトルにあると試合前、休む勇気」という言葉である。

この言葉というのは今こそスポーツ界でいう「コンディショニング」「ピークコントロール」という意味合いに近い。

彼は30年前に、その言葉の重要性に気づいていたのである。

もちろん輪島会長にしても王座奪還というのは、自分の人生のためにも至上命題である。そのための猛練習も当然こなした。

しかし、試合の2〜3週間前あたり。対戦相手に対する凄さや恐怖心が頭の中をチラつく時期。

とにかく怖い。ボクシング特有の死の恐怖もあるが、それ以上に試合に負けたら文字通り、裏街道に真っ逆様に転落になる。

不安を払拭するには練習するのが手っ取り早い。

しかし、その練習は「試合に勝つために」必要な練習なのか?

不安に負けてベストのコンディションでリングに立てなければ、そんな練習はむしろしない方がいい。

輪島会長はむしろ心の中にある不安に耐えて「ストイックに」練習を休んだ。

そうした迎えたリターンマッチ。試合に向けてベストの体力を温存できた輪島会長は見事にタイトルを奪還。世に言う「返り咲き」に成功した。

日本の場合、スポーツだと根性練習ありきがベストのモノと錯覚してしまう。

しかし輪島会長にしてももちろん猛練習もしたのだろうが、365日練習漬けなら結果が出るのか?といえば答えは「NO」だ。

追い込みの練習の時はこってりと汗をかいて鍛えまくる。

しかし、一方で試合で結果を出すために休むべき時には体調を落ち着かせて休養をとる。

要はタイミングとバランスを考慮してメリハリをつけることが肝心なのである。

世界に冠たる栄光を手に入れるには、やみくもな猛練習だけでは不十分なのである。
冒頭のタイトルは筆者がプロボクサーを志していた頃に通っていたボクシングジムを主宰していた輪島功一会長の現役時代の至言である。

輪島会長は現役時代にジュニアミドル級の世界タイトルを3回獲得した。

それはそれで凄いことではあるがいいことばかりでもない。

プロボクサーにとって1番の理想というのはミニマム級の絶対的な王者だったメキシコのリカルド・ロペスのように、全勝でタイトルを獲得して、それを20回以上ずっと防衛することだ。

そして自身が防衛を続けることによりチャンピオンベルトの重みに箔をつけられることが、ボクサーにとっての究極の目標だ。

そのため3本もベルトがあるというのは、ウラを返せば2度負けているということでもあり、それは喜ばしいことではない。

そうした中で、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)するプロボクシングの世界。

勝ち名乗りを受けることでしか自らのボクサー生活を続けることができないプロの格闘技という厳しさ。

そうした中で、一旦はタイトルを獲得した輪島会長も防衛戦で勝利しないと、本当の意味でのビッグマネーを稼げない仕組みなので、練習に練習を重ねた。

それはまさに「血のションベン」が出るほど過酷な練習だったという。

しかし輪島会長は防衛戦で敗れて無冠になった。

契約上、再戦という名の最後のはチャンスは残っていた。

このチャンスを生かすためには導き出された結論が、冒頭のタイトルにある「試合前、休む勇気」である。〈②に続く〉
①ではタレントの山田五郎が自身のコレクションの集大成である「水晶でできたドクロの時計」というのが、家族に賛同されない理由を述べた。

その理由も色々あるのだろうが、その中の一つに「その時計は、水晶としてもドクロとしても、時計としても価値がハンパだから」というモノだった。

翻って筆者のブログはスポーツビジネスである。

①の山田氏の時計の話とスポーツの問題がどう繋がっていくのか?という話である。

先日、筆者の実家がある千葉市でスポーツビジネスのニュースがあった。

それには「千葉市街にある老朽化した競輪場を一旦取り壊して、バスケやフットサル、コンサート、自転車競技ができる多目的アリーナにする」と言ったモノである。

正直、行政の方針に「えっ…。」とため息が出た。

今、千葉市が構想を掲げている多目的アリーナというのは、言ってみれば前述の山田氏の「水晶でできたドクロの時計」と同じである。

本来ならそれぞれ単体であればそれなりに価値のあるモノを、無理矢理寄せ集めて作ったが故に、それぞれの価値がむしろハンパになってしまうのだ。

まさに「帯に短しタスキに長し」を地でいく無用なモノである。

同じ千葉市にあるJ2ジェフ千葉のフクダ電子アリーナ(サッカースタジアム)がなぜ成功したのか?という話である。

フクアリというスタジアムは「サッカー専用」スタジアムだからこそ、遠征で来る他のクラブのサポーターから評判がいいのだ。

よく日ハムの札幌ドームが野球とサッカーの兼用であるが故に、ファールゾーンが異常に広く、サッカーの芝と変えるための地下のコンクリが野球選手のプレーに悪影響が出ると散々なのとは対照的だ。

また味の素スタジアムや日産スタジアムのように、陸上のトラックがあって平たい客席もサッカーファンから不評を買っている。

よく「陸上もサッカーも色々な競技が使えるように」と兼用スタジアムを作るが、①の時計のように、そうした寄せ集めのスタジアムは、どの側面から見ても価値がハンパになるのがオチだ。

正直、全ての人に好かれようとする人間が「八方美人」と呼ばれしまう。

これに対して千葉市長がツイッターをやっているので、上記の質問をした(ツイート自体は2018年3月7日)。

すると「(市長としても)筆者の意見の意味は分かるし、専用スタジアムやアリーナの方がいいのは理解している」

「しかし競輪場跡地の施設に自転車競技が出来なくなるのは、自転車関係者にすると厳しい」

「そのため自転車競技も利用可能で、なおかつヨーロッパのようなコンサートにも転用可能で、それに最適な設計の施設にする方針にした」とのこと。

正直、千葉市長という公人の立場の存在が、筆者のような平民にその日のうちに返信をしてくれたのは感謝している。かなり真摯な文面だった。

そして様々な関係者の思惑が絡む市の施設に、これ以上の回答を求めるのも難しいし、筆者としても当然受け入れるしかない。

ただ全ての競技団体に好かれようとするスタジアムやアリーナが、最終的にはそれがあらゆる人間に受け入れられるのも難しいのである。