①ではタレントの山田五郎が自身のコレクションの集大成である「水晶でできたドクロの時計」というのが、家族に賛同されない理由を述べた。

その理由も色々あるのだろうが、その中の一つに「その時計は、水晶としてもドクロとしても、時計としても価値がハンパだから」というモノだった。

翻って筆者のブログはスポーツビジネスである。

①の山田氏の時計の話とスポーツの問題がどう繋がっていくのか?という話である。

先日、筆者の実家がある千葉市でスポーツビジネスのニュースがあった。

それには「千葉市街にある老朽化した競輪場を一旦取り壊して、バスケやフットサル、コンサート、自転車競技ができる多目的アリーナにする」と言ったモノである。

正直、行政の方針に「えっ…。」とため息が出た。

今、千葉市が構想を掲げている多目的アリーナというのは、言ってみれば前述の山田氏の「水晶でできたドクロの時計」と同じである。

本来ならそれぞれ単体であればそれなりに価値のあるモノを、無理矢理寄せ集めて作ったが故に、それぞれの価値がむしろハンパになってしまうのだ。

まさに「帯に短しタスキに長し」を地でいく無用なモノである。

同じ千葉市にあるJ2ジェフ千葉のフクダ電子アリーナ(サッカースタジアム)がなぜ成功したのか?という話である。

フクアリというスタジアムは「サッカー専用」スタジアムだからこそ、遠征で来る他のクラブのサポーターから評判がいいのだ。

よく日ハムの札幌ドームが野球とサッカーの兼用であるが故に、ファールゾーンが異常に広く、サッカーの芝と変えるための地下のコンクリが野球選手のプレーに悪影響が出ると散々なのとは対照的だ。

また味の素スタジアムや日産スタジアムのように、陸上のトラックがあって平たい客席もサッカーファンから不評を買っている。

よく「陸上もサッカーも色々な競技が使えるように」と兼用スタジアムを作るが、①の時計のように、そうした寄せ集めのスタジアムは、どの側面から見ても価値がハンパになるのがオチだ。

正直、全ての人に好かれようとする人間が「八方美人」と呼ばれしまう。

これに対して千葉市長がツイッターをやっているので、上記の質問をした(ツイート自体は2018年3月7日)。

すると「(市長としても)筆者の意見の意味は分かるし、専用スタジアムやアリーナの方がいいのは理解している」

「しかし競輪場跡地の施設に自転車競技が出来なくなるのは、自転車関係者にすると厳しい」

「そのため自転車競技も利用可能で、なおかつヨーロッパのようなコンサートにも転用可能で、それに最適な設計の施設にする方針にした」とのこと。

正直、千葉市長という公人の立場の存在が、筆者のような平民にその日のうちに返信をしてくれたのは感謝している。かなり真摯な文面だった。

そして様々な関係者の思惑が絡む市の施設に、これ以上の回答を求めるのも難しいし、筆者としても当然受け入れるしかない。

ただ全ての競技団体に好かれようとするスタジアムやアリーナが、最終的にはそれがあらゆる人間に受け入れられるのも難しいのである。