久しぶりのブログですね!!


3/11・・・

日本人にとって忘れられない日・・・


昨年のこの日、私は会社で会議をしていました。


得意先から電話があり、会議を抜け出してインターネットを開くと

震度7の文字・・・

すぐに自分が担当している業務の仙台のセンターに電話・・・

すると偶然にもつながった!!

しかし、向こうは相当切羽つまっていて、今逃げているので、

またあとでとの声・・・


ここから、数か月連絡が取れなくなる・・・


また実家が茨城県の日立なので、そこも気が気じゃなかった!!

一旦は両親に電話がつながったが、その後4日間連絡が取れな

かった!!実家が海の近くだということもあり、津波の心配もあり・・・

後から聞いたら、携帯の充電もなくなり、電気が来なかったので、

電話しようもなかったとのこと・・・


10日後、福岡から羽田に飛び、そこから義弟の車で茨城へ

両親に言うと来なくてよいからというに決まっているから、

内緒で行った!!


高速は途中までしかつながっていない、しかも隆起していて、あまり

スピードが出せない状況。高速を降りると、色々なところで渋滞、

すべて給油の渋滞だった!!家はほとんどブルーシートをかぶっていて、

壁はほとんど崩落、ガラスが多い店舗は割れていて本当にひどかった!!


まずは実家に行って、両親の顔を見た!!本当に一安心!!

怪我もなくと思っていたら、屋根を修理しようとして、梯子から

父が落下していた。運よく怪我はなかった模様!!


福岡から持ち込んだ電池や充電機、食糧を渡す!!

そこから、親戚・友達の家を数件回った!!

一人の友達は家が傾いて全壊扱いだった!!


両親に聞いたら、自分の所が一番被害が大きいと思っていた

とのこと、それは情報が全くなく、今日本で何が起こっているか

わからなかった為だった。

近くのガソリンスタンドに行った際、新聞があり、そこで事態が

やっとわかったという!!


私はその後、仙台に4回飛んだ!!

初めて向かったのは、2ヶ月後・・・

飛行機がだめだったので、福岡~羽田、そこから新幹線で

仙台に向かった!!仙台駅に降り立った時、実は、なんだ全然復活して

いるという印象だった!!


レンタカーを借りて、現地に向かう、道路沿いに看板が立っている。

「臨時の遺体安置所」だった!!

市街から高速道路を超えると、そこは別世界!!

通常ではありえない光景が広がっていた。

船・飛行機がありえないところに転がっている!!


今日、テレビを見ていて、また1年前の出来事が思い出された!!


今の自分の環境が如何に幸せか、考えさせられる・・・

昨日、大学時代一緒の部活動をしていた、部長(同級生)から電話がありました。


突然どうしたのだろうと思ったら、同じ部活動に所属していた同級生がなくなったと

いう情報でした。

心筋梗塞です。その友達とは、数年前同じ部活動の友達の結婚式で久しぶりにあって

話をしました。まだ40歳にもならない若さでしたので、本当にびっくりです。


また昨日の報告で、昨年1学年上の先輩も多臓器不全でなくなった話を聞きました。


これだけ平均寿命が伸びている中で本当に早い死ですが、心よりお見舞い

申し上げます。


合掌

本日は、お昼から妻・子供と3人で選挙に行きました。


今回は皆さんも感じている通り、あまり選挙カーが

大きな声を出していることもなく、こういう言い方が

適切かどうかはわかりませんが、あまり盛り上がりに

かけた選挙でした。


その後、電車で先月開業した博多シティへ

日曜日なので、人出はそこそこ・・・


あまりゆっくりはみて回りませんでしたが、九州初上陸物が

かなりありそうでした。

お昼兼夕食で黒豚しゃぶしゃぶを食べ、その後

少々買物をして、帰宅。

帰りの駅から車に乗り換え自宅に着いた時には、

妻・子供ともに車でスヤスヤ・・・ZZZ


もう一度、博多シティには、すいているときに、ゆっくりと

みたいですね!!


地震発生から半月ほどたちました。


まだまだ爪あとが残っている日本


実家も被災し、友達も被災した今回の大地震


本当に他人事ではなかった。


新聞やネットで状況を見ると涙が出てくる。。。



また今でも原発の状況は日に日に深刻さを増している


隣県、茨城県への影響は計り知れない・・・



私の住む福岡でも、火力発電所で使用する、燃料が


手に入りにくくなって、急遽、休止中の原発が稼動することに・・・


自分は原発は必要だと思っていますが、再度見直しは


必要だと思います。


あと、誰が悪いの?というような風潮がありますが、


そんなことを言っている状況でもないような気が・・・


そこを責めても、元通りの生活が帰ってくるわけでもなく・・・





3/11 東北地方太平洋沖地震が発生しました。


まずはじめに、亡くなられた方、また被災した方へ心よりお見舞いを

申し上げます。


私は、福岡県福岡市に住んでいますが、実家が茨城県日立市で

両親はそこに住んでいます。


特に茨城県は被災地にも関わらず、情報が乏しかったとこから、

今回、3/20に行ってきましたので、ここに情報を載せたいと思います。


■行き方

福岡~羽田まで飛行機で行き、羽田で義弟に車で迎えに来てもらい

茨城へ、まだ水戸より先へは高速が通っていなかったことから、

水戸南ICで降りて、国道6号でひたすら北上、道路が混んでいたことから

河原子あたりで245号に移動して、北上した。

※道路が混んでいる理由は、工事している道路があることと、ガソリン渋滞が

かなり多く、それが渋滞を引き起こしていた。


■状況

屋根の瓦が落ちている家が多い。

道路と家の境に壁を作っている家が多いと思うが、その壁が崩れている所が多い。

地盤が沈下したのか、ガラスがかなり割れている、住宅・店舗があった。


■写真で見る状況

・常磐道
ちゃまけいの色々日記-常磐道
道路がうねっている、スピードを出している車はほとんどなかった。

スピードを出すとハンドルが取られる場合があるため。


・川尻港
ちゃまけいの色々日記-川尻港1
テトラに座礁した漁船


・川尻港
ちゃまけいの色々日記-川尻港2

手前にトラックが頭から落ちている、また奥には、岸壁に乗り上げている船が見える。



・日立港(近辺)
ちゃまけいの色々日記-日立港1
コンクリがはがれてしまっている。


このような状況でした。


実家は、瓦が落ち、ブルーシートをかけて対応していますが、

年末まで、瓦の入荷はなく、今後台風シーズンを迎えるにあたって

不安を残すものとなりました。


■インフラ

電気:4~5日来なかった。

水道水:電気より遅れること、数日(場所によってはまだ来ていいないところもある)

ガス:不明

※実家は、水は井戸水、ガスはプロパンなので、電気さえ通ってくれれば、どうにか

 なるのですが、今まで、電気がこれだけ長時間つかなくなることはなかった為、

 かなり苦労をしたようでした。


ガソリン:水戸市内から日立市まで車で来たが、あちこちでガソリン渋滞が出来ていた。

      また、帰りの守谷SAで給油をしたが、1回につき2,000円までという制限付き

      また、警備員がうまく振り分け出来ていないものだから、ケンカが始まり

      かなりみんないらついている所が見て取れました。


日立市は福島原発から約90Km、今のところは問題ないようですが、やはり心配です。


また情報がはいりましたら、ご連絡をいたします。

先週、妻の父が亡くなりました。


64歳の人生でした。


結婚して7年、義父とは約8年間のお付き合いでした。


私達の生活は福岡、義父は熊本で仕事(自営)を
していました。義妹夫婦も義父と2世帯住宅で
同居していました。


体調が悪そうな義父を1ヶ月前に義母が病院に
連れて行き、突然ガンと宣告され、余命3ヶ月を
言い渡されました。


義母・妻・義妹はかなりのショックで、当初は
何を言っても見えていない状況でした。


しかし、妻・義妹は義父の余命を出来る
限り伸ばす為に精一杯の努力をしていたように
思います。
義母はその娘達のすることを見守り・信じて
娘達が探してきたものを義父に勧めていました。


本人は余命3~5年と思っていたようでしたが、
お医者様から、短いことは言われていたと
思います。

本人があえて、皆に長い期間を言っていたのか?
それとも本当にそう思っていたのかは、
誰も知る所ではありません。


今までも死を考えたことはあったけれども
今の時代、この年齢でなくなることは、
あまり誰も想定をしていないと思います。


今回色々と考えさせられることがありました。
自分はものすごく悲しい反面、どこか冷静な
自分がいつもいました。
その際にいくつか思うところを記載します。

まず
①本人と家族とで残された期間どのようにすごすか?
②本人の希望をどのようにかなえるか?
③余命をきちんと本人と家族で話し合う
このギャップに1ヶ月間、悩まされたように思います。
一番重要なのはこの③です。
ここがマッチしないとすべて話がギクシャクしてきます。


プライドが高かった義父は、入院当初は
私と義弟を病室に入れませんでした。
私からすれば、何故に?と思うところが
ありましたが、後から考えるに
やはり同じ男性として、弱いところは見せ
られなかったということだと思います。


また一時退院をした際にも、ベットにはいかず
仕事が忙しい時にいつもする事務所での寝泊りをし、
家族がかなり困惑しました。

そのために、私と義弟は実家のベットを組み立て
事務所に運んだり、子供の面倒や犬の面倒を見たりと、
生活は一変しました。


妻と義妹は健康食品を購入して飲ませたり。
免疫力を高める為の手段を模索したりと
最後まであきらめることはしなかった・・・


しかし、その裏では葬儀場に話をしたり
お坊さんを決めたりと嫌だけれども
スムーズに事が流れるように準備をして
いました。

やはり義母・妻・義妹は相当つらかったと
思います。
たぶん、私が冷静にタンタンと話をするのを
聞いているのも嫌だったと思います。


そういった中、先週
義父が旅立ってしまいました。
まあ、正直付き合うのは色々と大変だった
けれども、やはり最後は涙が出ました。


正直、この1ヶ月間、妻は病院に付きっ切りで
介護をし、3歳の子供も病院で過ごしました。
子供は遺影に向かってお線香をあげる際に
おじいしゃん早くよくなってねと言って、お線香を
あげる姿に考えさせられるものがありました。


今週の日曜日に3人で自宅に戻った際には、
正直ホッとしたのと、気が抜けたので
疲れがどっと出ました。


義父さん お元気で 合掌

5月4日に母方の祖母が亡くなりました。


90歳でした。


今年の2月に肺炎で入院をしていたので、お見舞いに行きました。


それが最後の別れとなりました。


このおばあさまは、4人の子供を持ち、当時ではすごく先進的な考えを


持った方で、4人の子供(すべて女性)全員が大学を卒業しています。


しかも高校からすべて東京に出しての結果です。


当時は大学を出るということは、かなり厳しく大変だったと思いますが、


全員というのは本当にすごいなと感心し、尊敬を致します。


おばあさまは、本当に人当たりがよく、みんなに慕われていました。


孫にとっても本当に良いおばあちゃんでありました。


土曜日は仕事があったのですが、キャンセルし、通夜・告別式・初七日と


すべて行ってまいりました。


私には、お通夜から告別式までの間の夜、お遺体と一緒に過ごす役目


(お線香を絶やしてはいけないらしい・・・)とお骨をお持ちするお役目を


頂戴いたしました。


孫としては、おばあちゃんと最後まで一緒にいられたということで


本当に良かったと思っております。


泣かないと思っていましたが、いっぱい涙が出てきました。


亡くなったことを母から聞いた時も、母と電話口で泣いてしまいました。


それだけ思い出ぶかいおばあちゃんだったんだと思います。


これからはゆっくりと休んでおじいちゃんのもとへ行ってほしいと思います。


おばあちゃん本当にありがとう。そしてさようなら・・・

最近、立ち飲み屋が増えているという記事等を目にする。


東京でも、1000件を越しているのではと推測されると

書いてあった。

そして、福岡・熊本でも急増中!!


私は、10年以上前に、福岡のお酒屋さんを担当していた

ことがある。。。


そのときはじめて知ったのが「カクウチ」だ!!

お酒屋さんは、自分の敷地内で、酒を提供するシステムだ!!


田舎だと、農作業を終えたおじいちゃん達が、いっぱいやりに

やってくる。

少し市内になると、おしゃれなカクウチを設けているところもある。

よってリーマンショックとか新聞に書いてあったが、もともと

酒を安く飲もうという人たちの為にかなり前からあったシステム

なのだ!!


ただ、お酒屋さんと同じ場所で提供していると、普通にお酒を購入

してくる人から、嫌がられる可能性があるので、仕切りを設けたりと

いうのが福岡には多かった!!


でもそれが今では、飲食店として独立されているとは・・・

時代も変わったもんだ!!


ただ、このシステム、海外には多いと聞く。。。

もともと、家庭を大事にする海外の場合、本当に一杯飲んで

帰宅する人が多いからだ・・・


そういう意味では、日本の立ち飲みはまた違うかも・・・

私の仕事は出張がつきもの・・・


でもどのくらい出張しているのか自分でも分からなかったので

調査を開始!!


給与明細に出張日数が記載されているので、確認すると・・・

過去1件間で74日出張だった。

約30%出張している計算になる。


まあ、出張と行っても日帰りもあるので何ともいえないが・・・

(片道100Km以上は出張扱い)



私は出張時に良く飛行機に乗る。


昨年は10回ほどだったが、今年はもう少しで30回!!

まあ良く乗ったと思う。


人間誰でも同じだと思うが、出張の日は晴れてほしいと切に願う。

そんな先日の出張は雨だった・・・

また悪いことに、自分の体調もあまりよくなかった!!

飛行機が着陸する際に通常だったらなんてこと無い気圧に変化に

ついていけず、頭と耳が痛くなった!!


その日は珍しく一番後ろの席に座っていたが、着陸後、CAさんが

さっきは大丈夫でしたか?と声をかけてくれた。


どうも私が耳を押さえていたのを見ていたらしい・・・


そして、飴を詰めたものを渡してくれたのだ!!

渡してくれたものは金額にしたらたいしたものではないが、

朝から気分が悪かった私にしては、非常にうれしい気持ちになった!!

本当にちょっとしたことだけど、思いもよらずサービスはうれしいよね!!

エンゼルバンクという漫画を見ている。


私は、講談社のモーニングが好きで結構見ている。


見ているのは、

・社長 島耕作

・神の雫

そしてエンゼルバンクだ!!


いつもはこの2つしか見ないけど、

たまたま時間があったので、他にどのような内容のものがあるのかを

探していたら、結構面白い内容のものに出会った!!


さっそく、単行本の1巻目を買ってしまった。


今後私の自宅トイレに並ぶことは間違いない!!(笑)