先週、妻の父が亡くなりました。


64歳の人生でした。


結婚して7年、義父とは約8年間のお付き合いでした。


私達の生活は福岡、義父は熊本で仕事(自営)を
していました。義妹夫婦も義父と2世帯住宅で
同居していました。


体調が悪そうな義父を1ヶ月前に義母が病院に
連れて行き、突然ガンと宣告され、余命3ヶ月を
言い渡されました。


義母・妻・義妹はかなりのショックで、当初は
何を言っても見えていない状況でした。


しかし、妻・義妹は義父の余命を出来る
限り伸ばす為に精一杯の努力をしていたように
思います。
義母はその娘達のすることを見守り・信じて
娘達が探してきたものを義父に勧めていました。


本人は余命3~5年と思っていたようでしたが、
お医者様から、短いことは言われていたと
思います。

本人があえて、皆に長い期間を言っていたのか?
それとも本当にそう思っていたのかは、
誰も知る所ではありません。


今までも死を考えたことはあったけれども
今の時代、この年齢でなくなることは、
あまり誰も想定をしていないと思います。


今回色々と考えさせられることがありました。
自分はものすごく悲しい反面、どこか冷静な
自分がいつもいました。
その際にいくつか思うところを記載します。

まず
①本人と家族とで残された期間どのようにすごすか?
②本人の希望をどのようにかなえるか?
③余命をきちんと本人と家族で話し合う
このギャップに1ヶ月間、悩まされたように思います。
一番重要なのはこの③です。
ここがマッチしないとすべて話がギクシャクしてきます。


プライドが高かった義父は、入院当初は
私と義弟を病室に入れませんでした。
私からすれば、何故に?と思うところが
ありましたが、後から考えるに
やはり同じ男性として、弱いところは見せ
られなかったということだと思います。


また一時退院をした際にも、ベットにはいかず
仕事が忙しい時にいつもする事務所での寝泊りをし、
家族がかなり困惑しました。

そのために、私と義弟は実家のベットを組み立て
事務所に運んだり、子供の面倒や犬の面倒を見たりと、
生活は一変しました。


妻と義妹は健康食品を購入して飲ませたり。
免疫力を高める為の手段を模索したりと
最後まであきらめることはしなかった・・・


しかし、その裏では葬儀場に話をしたり
お坊さんを決めたりと嫌だけれども
スムーズに事が流れるように準備をして
いました。

やはり義母・妻・義妹は相当つらかったと
思います。
たぶん、私が冷静にタンタンと話をするのを
聞いているのも嫌だったと思います。


そういった中、先週
義父が旅立ってしまいました。
まあ、正直付き合うのは色々と大変だった
けれども、やはり最後は涙が出ました。


正直、この1ヶ月間、妻は病院に付きっ切りで
介護をし、3歳の子供も病院で過ごしました。
子供は遺影に向かってお線香をあげる際に
おじいしゃん早くよくなってねと言って、お線香を
あげる姿に考えさせられるものがありました。


今週の日曜日に3人で自宅に戻った際には、
正直ホッとしたのと、気が抜けたので
疲れがどっと出ました。


義父さん お元気で 合掌