JR津軽線蟹田〜三厩間、鉄道復旧断念へ【2003年3月、最初で最後の訪問の写真から】 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

JR東日本の最北端である、津軽線の非電化末端区間の蟹田〜三厩間。
一昨年夏の大雨により大きな被害を受け、運休が続いているが…
JRと青森県、沿線自治体のトップ級会議において、今別町の阿部町長が鉄道による復旧を断念し
自動車交通に転換することに合意した…と昨日報じられた。
津軽線全体の通過輸送人員すらも大幅に減少してしまっている状況。
仮に復旧させるとして工事期間4ヶ月、工費6億円との試算もあったが…
復旧させたとて、以前の輸送人員に戻るとは到底思えない状況。
それもあり、JR東日本よりも先に沿線自治体、まず今別町が廃止やむなしの考えを示した格好。
このまま、廃止に向けて一気に協議が加速していきそうである。

もっとも今別町には、津軽二股駅に隣接し北海道新幹線奥津軽いまべつ駅(旧津軽今別)もあり
個々の利用客の負担はともかく、津軽線を残すメリットは限りなく薄いのが現状だろうか。
やはり新幹線開通後の並行ローカル線は厳しいのだな、とつくづく実感させられている…
というか、そもそもの津軽線界隈の記憶を呼び返すと、まぁそうなるかと溜息しか出ない。
残念ではあるかもしれないが、まぁあれじゃこうなるよなという諦めの境地である。


というのも、自分は以前一度だけ津軽線を訪ねている。

記録を掘り返すと、21年前の春先、2003年3月2日の日曜日のことであった。

この年、JR東日本の“完全民営化記念”の一環で発売されていたのが「JR東日本パス」

2003年3月の土日のうち、1・2・8・9・15・16日のみ有効であったが…

現在では考えられないほど破格であり、1日用8,000円、2日間用でも全線12,000円!

しかも2日間用は特急・急行の指定席が4回利用可、自由席もオールフリー!

そうとあっては、利用しないという選択肢なぞ当時はありはせずw

音楽関係最優先のこの時期の自分としては、非常に珍しくなっていた乗り鉄欲を強力に発動。

通常平日休みだった仕事のパターンを崩し、2003年2月28日の夜から3月2日にかけて旅をしていた。

何故2月28日開始にしたのかというと、新宿から新潟までは夜行快速「ムーンライトえちご」を

活用し、乗り鉄欲の充足はもちろん、移動時間の有効利用と効率化を図ったからである。


しかも3月1日は新潟から越後線で吉田に向かい、弥彦線を踏破したあとは快速「べにばな」号で

一気に米沢へ抜け、新幹線福島経由で仙石線と

石巻線石巻→小牛田間を片づけ、新幹線乗継で

再度新潟まで向かい、また「ムーンライトえちご」で新宿に戻るという離業をこなしている。

その上で、翌3月2日は前年12月にまだ開業したばかりの東北新幹線盛岡〜八戸間を活用。

朝一の「はやて」で一気に八戸へ到達、そこからは当時東北地方のDS列車として人気が高かった

「きらきらみちのく」に乗り継ぎ、大湊線と津軽線をまとめて踏破するプランを実行した。

これは、当時の運転のパターンが八戸→大湊(下北号)大湊→三厩(津軽号)と1日で巡れる

ダイヤになっていたのが大きく、この時が最初で最後の「きらきらみちのく」乗車ともなった。


3月とて東北はまだまだ寒く、この旅の道中で雪景色はおろか降雪に遭遇したことも度々。

特に青森県はこの時が初訪問、さらに現時点で未だ再訪は果たせていない。

寝台特急「あけぼの」や「北斗星」、更に夜行急行「はまなす」が廃止になる際など度々計画が

持ち上がったことはあったが、祖母が亡くなったりするなど身内関係の問題が悉く持ち上がって

時間確保が困難となり、結局実現することのないまま現在にまで至っている。

福島・会津方面を除く広義の東北方面への訪問も、2017年4月以降できていないままだ。

また、そもそも津軽方面への初訪問が遅きに失してしまった感が大きかった。
津軽海峡線の快速「海峡」は、この前年12月のダイヤ改正で特急格上げにより消滅。
寒さが苦手なのを言い訳に、仙台・山形(天童)以北はこの時まで未踏破のままだった。
そして、北海道は未だに訪問できていないままである。
JR東日本パス効果か、東北新幹線が八戸まで開業し注目が高かったからなのもあるか、この時の
「きらきらみちのく」はとても盛況だったことを覚えている。
事前準備を周到にしていたからか、今にして思うと随分ちゃんと指定券を確保できていたなと。


ただ、この頃は純粋に列車でのみ1日で周遊する、完全な“乗り鉄向け”観光列車であった。

最初の目的地・大湊には12:00に到着し、僅か8分後にはもう三厩に向けて折り返していて…


青森を経由し、長い旅を経て既に日が傾き始めていた15:11に三厩に到着している。


※時刻参考


しかもまた、15:21には「きらきらみちのく八戸」としてすぐ折り返してしまう。

実際、後は八戸から東京に新幹線で帰るだけだったので、乗っていっても良かった。

だが大湊から三厩に行く際に時間をずらしてしまうと到達が困難になっていたのに対し、ここで

1本落としても当日中に帰れることを掴んでいたので、少し三厩に滞在することを決めていた。


このため、ここで「きらきらみちのく」は見送っていた。


まさかこの時は、最初で最後になるとは思わなかったがね。


そして、この駅は2003年時点で1日の平均利用客が50人を切っていたが…

2019年までCTC化されていなかったことから、運転扱いのある直営駅で駅長が居る駅だった。

それもあってか「きらきらみちのく」が走り去った後も、駅舎内はそれなりに人の動きが。

なかでも、近所のおばあちゃんが手作りしたという「タコの塩辛」が売っていたため即購入。

帰宅後にいただいたが、とても美味しかったことが強烈な思い出として残っている。

唯一度の三厩駅訪問は、津軽の方々の人情に触れた良旅として刻まれているのである。


そしてキハ40の普通列車で蟹田へ戻る。

その帰りしな、津軽二股駅から当時の津軽今別駅の様子もそれとなく記録。

津軽今別駅を利用することはついぞなく、北海道新幹線の今に至るまで青函トンネルは未通過。


津軽線末端区間は、近年までキハ40系がツーマンで運行されていた。

輸送規模の割にはワンマン化が遅く、一昨年のダイヤ改正からである。

車両はGV-E400系に置き換えられていたが、三厩への入線は短いものとなってしまった。


JR北海道789系も、道南・北東北エリアでの活躍は僅か13年程度となった。

この時は蟹田→八戸間で利用したが、今のところ自分が乗れている唯一のJR北海道車両である。


旅は一期一会。

こうして20年以上前に一度でも乗りに行けていたのは、今になってみれは財産であった。

苦渋の廃線選択は残念ではあるが、こうして書き残しておいて供養としたい。