…それでももう、古いので1ヶ月以上過ぎちゃってるけど。
西武鉄道2000系に残る“コマド”3編成、日々の動向。
それは次第に、その捉えづらさから2000系全体へと拡大しようとしていた。
4月15日月曜日、国分寺駅から。
運用情報を確かめるのは、すっかり日々のルーティンに。
西武2000系の“小窓編成”、今のところ一番見つけやすいのは国分寺線運用の2051F。
後で分かったことだが、以前は新宿線・拝島線で4両編成と組んで10両、2両編成と組んで8両と
本線運用にも頻繁に入ることのあった6両編成だったのだが…
少なくとも4月から国分寺線に定期的に乗り始めてからは、そうした運用がなくなっている。
一方で4両編成は2編成を連結して各停運用のほか、2両編成を更につなげて10両編成とするのが
毎日1〜2本は確認できており、1本は確実に終日に渡って優等列車の運用に入っている。
だが、2両編成は旧車体の2417・2419Fを含めてなお10本が在籍。
基本は4両編成2本のほか、8両固定編成に連結して10両編成を組むのが基本だが…
池袋線系統から6000系の転属が始まり、運用数は大幅に減少しているようだ。
主に組む相手だった4両編成も最盛期の半分ほどに減り、全体的に固定長編成化が進んだ昨今。
京王電鉄は7000系が支線でも用途がある程度見出せる環境だが、西武線はそうではない。
そして仕事帰りも、乗る時に撮る。
運用状況や身体の疲れ、天気などさまざまな状況から判断して回る。
それでなくとも、国分寺線内の記録は尽くされた感が出てきている。
運用が無い時はそのまま国分寺までまっすぐ帰ってしまうし。
まぁ、記録に動きやすい適度な路線の短さが、4月は奏功した感がある。
それが早々と、手詰まり感を持つようになってしまうとは…まだ知る由もない。
何かできることはないか。
何か目新しいことはないか?
そもそも普通に乗って、ゆっくり休みながら移動するだけのはずだった路線。
そんな路線での日々の思案で、疲れの抜けにくい毎日が続くオマケも。
4月16日火曜日
だんだん、日を追ってワンパターンな出迎えも増えてくるので…
ここではもう1編成の注目車、2053Fも絡めてみることに。
貫通扉は大窓になったが、戸袋窓が残存し、方向幕装備車でパンタグラフも菱形のまま。
原型に近い多数派スタイルを今なお堅持する、貴重な編成。
外観識別ポイントは貫通扉だけ。
思えば、さして意識しないで記録したこの並びも多数残っていた。
そして、旧車体の2両編成も。
この日は日常利用が始まってから初めて、2417Fの稼働を確認。
小川駅で毎朝8:20発の準急西武新宿行きが、2000系の2+4+4両編成による指定運用。
その運用での走行を確認し、意識しての迎撃となった。
4両編成車は方向幕車の残る割合は半数くらいで、戸袋窓を撤去した編成はない。
言い方を変えれば近原型を多く残したグループで、西武園線や狭山線の支線運用率も高い。
逆に本線系統ではバラツキが多く、捉えづらさも感じる気難しい編成である。
そしてこの日の午前は、再度2051Fを国分寺方で迎撃。
撮ったり乗ったり。
日々一回も同じパターンで乗らぬ、安定しない日々。
それが伝染したかしないか、それぞれの小窓編成の運用もさらに掴みづらくなっていく。