コマドがあらわれた!コマンド?…2024年度の平日、西武新2000系小窓の初期車+αを狙え③ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

ずーっとこのブログでは185系での旅ネタを書き続けてきたが、日々の記録も着々と…
他に大ネタもあるのだが、出しておかないとどんどん“鮮度落ち”が進んでしまう。
そうして過去にも出さずじまいのものが結構あったから、反省を踏まえて早めに。

最初に出したのは5月初め!

…それでももう、古いので1ヶ月以上過ぎちゃってるけど。

西武鉄道2000系に残る“コマド”3編成、日々の動向。

それは次第に、その捉えづらさから2000系全体へと拡大しようとしていた。


4月15日月曜日、国分寺駅から。

運用情報を確かめるのは、すっかり日々のルーティンに。

西武2000系の“小窓編成”、今のところ一番見つけやすいのは国分寺線運用の2051F。


後で分かったことだが、以前は新宿線・拝島線で4両編成と組んで10両、2両編成と組んで8両と

本線運用にも頻繁に入ることのあった6両編成だったのだが…

少なくとも4月から国分寺線に定期的に乗り始めてからは、そうした運用がなくなっている。


一方で4両編成は2編成を連結して各停運用のほか、2両編成を更につなげて10両編成とするのが

毎日1〜2本は確認できており、1本は確実に終日に渡って優等列車の運用に入っている。


だが、2両編成は旧車体の2417・2419Fを含めてなお10本が在籍。

基本は4両編成2本のほか、8両固定編成に連結して10両編成を組むのが基本だが…

池袋線系統から6000系の転属が始まり、運用数は大幅に減少しているようだ。


主に組む相手だった4両編成も最盛期の半分ほどに減り、全体的に固定長編成化が進んだ昨今。

京王電鉄は7000系が支線でも用途がある程度見出せる環境だが、西武線はそうではない。


そして仕事帰りも、乗る時に撮る。


運用状況や身体の疲れ、天気などさまざまな状況から判断して回る。

それでなくとも、国分寺線内の記録は尽くされた感が出てきている。

運用が無い時はそのまま国分寺までまっすぐ帰ってしまうし。


まぁ、記録に動きやすい適度な路線の短さが、4月は奏功した感がある。


それが早々と、手詰まり感を持つようになってしまうとは…まだ知る由もない。


何かできることはないか。

何か目新しいことはないか?


そもそも普通に乗って、ゆっくり休みながら移動するだけのはずだった路線。

そんな路線での日々の思案で、疲れの抜けにくい毎日が続くオマケも。


4月16日火曜日

だんだん、日を追ってワンパターンな出迎えも増えてくるので…


ここではもう1編成の注目車、2053Fも絡めてみることに。

貫通扉は大窓になったが、戸袋窓が残存し、方向幕装備車でパンタグラフも菱形のまま。

原型に近い多数派スタイルを今なお堅持する、貴重な編成。


外観識別ポイントは貫通扉だけ。

思えば、さして意識しないで記録したこの並びも多数残っていた。


そして、旧車体の2両編成も。

この日は日常利用が始まってから初めて、2417Fの稼働を確認。

小川駅で毎朝8:20発の準急西武新宿行きが、2000系の2+4+4両編成による指定運用。

その運用での走行を確認し、意識しての迎撃となった。


4両編成車は方向幕車の残る割合は半数くらいで、戸袋窓を撤去した編成はない。

言い方を変えれば近原型を多く残したグループで、西武園線や狭山線の支線運用率も高い。

逆に本線系統ではバラツキが多く、捉えづらさも感じる気難しい編成である。


そしてこの日の午前は、再度2051Fを国分寺方で迎撃。


撮ったり乗ったり。

日々一回も同じパターンで乗らぬ、安定しない日々。

それが伝染したかしないか、それぞれの小窓編成の運用もさらに掴みづらくなっていく。