1●年ぶりの再会!名鉄モ513“丸窓電車”と岐阜駅前の切ない記憶 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

10月17日、名古屋に行った最大の目的はあくまでもこちらのイベント。
そうしたら、名古屋駅でいきなり濃い鉄分を補給できて。
それを足掛かりに、あれやこれやと鉄分補給できた。
そうならば。
もう1ヶ所、どうしても行っておきたい場所がある。
朝イチの新幹線で無理してまで行った理由は、そこにあった。

JR岐阜駅北口!

丸窓電車、モ513!


1926(大正15)年に製造されてから、ずっと岐阜一筋。

末期こそ定期運用は無かったものの、名鉄600V線区が全廃された2005(平成17)年まで車籍が残り

イベントでは常に引っ張りだこの名車と呼べる存在だった。


…ただ残念ながら、5回ほど岐阜界隈に行っていたが、モ510形に乗れる機会は一度もなかった。

600V線区全廃直前の2005(平成17)年3月、通電状態で黒野駅構内に留置されているのに遭遇した

ことこそあったものの、走っているところにはついぞお目にかかれずじまいだったのだ。


↓2005年3月、旧黒野駅にて撮影

しかし、2000(平成12)年に先に廃車されたモ512は旧名鉄美濃町線美濃駅跡に、そして最後まで

残った2両…モ514は旧名鉄谷汲線谷汲駅跡に、そしてこのモ513は岐阜市内の金(こがね)公園に

静態保存されていたが、2019(平成31)年3月に岐阜市重要文化財の指定を受け、修繕がされた後

岐阜駅北口広場完成10周年記念事業の一環でこの場所に移設されてきた。


…実は、金公園に静態保存されている頃、一回だけ見に行ったことがある。

ところが、記憶だけは確かなのだが、いつ、どのタイミングで行ったかの記憶がまるっきり脱落。

確か、JR岐阜駅からタクシーをかっ飛ばして見に行ったはずなのだが。

しかも、写真も撮っていたはずなのに行方不明。

まさか幻、夢を見ていたとか…?いやまさか。

保存時期と自分の行動記録を考えると、2006年から2009年の範囲内で行っているはずなのだが。


…まぁそれはともかく、久々の再会は感慨深いものがあった。

特徴的な前面5枚窓は、末期のままの姿をよく残している。

移設から約3年になろうとしているが、市重要文化財ということで定期的に整備されている様子。

屋根のない保存ではあるが、実に良好な状態で保たれているのは嬉しいこと。


「市内降車口」の表記もしっかり再現。

市内線でドアが開くときは、折り畳まれていた電動ステップがバッタンと出ていたものだ。

それは、福井鉄道や豊橋鉄道市内線に移籍していった旧名鉄車も同じである。


特徴的な戸袋の丸窓。

後続のモ520形は後年の補修で普通の戸袋窓にされたので、丸窓で維持されたのはモ510形のみ。

ツートンカラーに復元されてからは人気を一身に集める電車だったそうである。


そして、名鉄書体の車体番号表示。

これがあるだけで名鉄の電車だってことがわかるのは、先人の知恵は素晴らしいものがある。


そして、保存を決断した岐阜市の受け入れ態勢もなかなかなもの。

路面電車の現役維持はかなわなかったから、せめてもの罪滅ぼしかというのは考えすぎか。

広場にはトリックアートが描かれて、ちょっとした撮影ポイントに。


そして、線路の敷石の一部は…


計52枚、かつて実際に使用されていたものが寄贈を受けて路面に敷かれている。

こういう敷石をきっちり保存していた人がいたのもまた驚き。


さらに、線路はカーブして名鉄岐阜駅方面、岐阜市内線の旧線路へ…

実はこの保存場所、駅前広場完成の暁には岐阜市内線乗り場になるはずだった場所だという。

その話を聞いて、歴史にifは無いが、もし残っていたなら…

そう思うと、返す返す残念無念な気持ちにさせられてしまうのである。


そんな複雑な気持ちを心に抱きながら、グルリと回って細かく見ていく。


北側には、見学台が。

車内公開の時には、ここから出入りできる。


運転台マスコン近くの緑のボタンは、電子ホーンのスイッチだったかと。


車内は現役最末期のままの転換クロスシート。

とにもかくにも、綺麗に保存されている姿は頼もしくあった。

そのうち、旧美濃駅のモ512、旧谷汲駅のモ514も見に巡りたいなぁ。

実は今回はそれも含めて計画していたんだけど、仕事の都合で見送りに。

これはここ数年のうちに必ずやる“宿題”ということにしておこう。


最後に、近くを掃除していたおじさんに話を聞いて、あるポイントに足を運んだ。


名鉄岐阜市内線、岐阜駅前電停跡。


一番最初に乗った1996(平成8)年時点の名鉄線の中で、竹鼻線江吉良〜大須間(2001年廃止)

共に乗っていないまま廃止された区間が岐阜市内線岐阜駅前〜新岐阜駅前間。

どうしてかというと、そもそも本数が多くなかった上に、道路渋滞などで遅れが出ると


あっさり新岐阜駅前で運転を打ち切り、折り返してしまう


という曰く付きの区間だったのだ。

その話は知ってはいたけど、実際に確か一度、黒野方面から乗って帰ってきた時に、この際だから

岐阜駅前まで行ってみよう!と、わざわざ岐阜駅前行きに選んで乗ってみたら


やっぱり新岐阜駅前で打ち切りになり、降ろされた


という、ああやっぱりダメか…というため息混じりの苦笑い…の記憶が残されている。


結局この区間は、駅前整備の名目で2003年12月1日から営業休止。

その後廃線まで2回は乗車したが復活することはなく、そのまま同時に廃止になってしまった。

それ以来先の金公園へ行った時以来ロクに寄ることもなく、今回の再訪となった。

(12年前に小学校の同級生に再会した時も、時間の都合でJR岐阜駅ホームだった)


まぁ、色々センチメンタルな思い出が残る界隈ではありますが…

また見て回りたい場所は増えたし、あの手この手で旅程を練って動いてみようか。


金ピカの信長公にもマスクが…