グリーン車の車内はなかなか豪華だったが、ワゴンのエレベーターも普通車のより大きめだった。
統一化されるのも新幹線の面白さだったりもするが、JR東日本の新幹線はそれぞれ個性が強いのも
また堪らないポイントだったりして、歩くたびにニンマリしてしまう。
…ただ、二階建て新幹線は階段の上り下りが大変だったけどね。
なんてことをやっていると、あっという間に群馬県内に入り、上信電鉄が見えてきた。
高崎9:00到着。
それでもまだ東京を出てから1時間経っていない。56分の健闘である。
まぁ在来線でも1時間半くらいだから微妙なラインではあるが…
朝夕はともかく、日中はそこからさらに遠くへ、の需要のほうが重要かもしれない。
高崎では初めて、というか唯一の5分の停車時間が。
何も通過していかないが、多客期は臨時列車の待避でもあるのだろうか?
やはり最後の日曜日だから、それなりに記念撮影の人たちが多い。
と言っても、都心に比べれば遥かに少なく、静かで穏やかな雰囲気。
ただ、そんな穏やかな雰囲気に浸りすぎると確実に乗り遅れそうだったので足早に車内に戻る。
9:05発車。
ほどなくすると北陸新幹線が“38番分岐器”を経て分かれていく。
11年前には計3回も乗った北陸新幹線(当時は長野新幹線)。
長野から東京、東京から上田、佐久平から東京なんてこともしていたが、最近めっきりご無沙汰。
金沢開業後はまだ一度もなく、金沢までの完乗は意外にも母に先を越されてしまっているw
腹案には上越妙高まで行く(帰ってくる)プランがあるのだが、さて実行はいつになるやらだ。
そして、移動しながら、12号車2階席を通過。
通常は指定席のこの区画、このMaxたにがわ403号では自由席の設定。
このため、2-3列でリクライニングする座席の2階自由席は唯一。
それだったからか、乗り得として狙って座っていた人がそれなりにいたみたいだ。
こまめに停車を繰り返してきた高崎までとは打って変わり、新幹線らしい走りを魅せるE4系。
そして車窓には暗闇…長いトンネルがだんだん増えてきた。
そして、長めのトンネルを越えて上毛高原9:20着。
上毛高原は、1997年夏に高校の部活の合宿で乗り降りして以来、実に24年ぶり。
それにしても、なんでここまで部活の合宿に来る気になったのか、経緯がまるで記憶にないw
来たら来たで、野球部の地方大会決勝進出というとんでもないニュースが入って
合宿なんてやってる場合じゃない!もう帰ろう!
なんて口々に言っていた記憶は鮮明に残っているのだがwww
宿がどこでどうだったか、三日間の合宿期間中何をしていたかとかの記憶が野球部話以外皆無。
それもあってか、上毛高原駅での記憶も駅前にあったD51(745。現水上駅保存)しかない。
そんなわけで、上越新幹線の記憶も極めて薄い。
上越新幹線高崎以北に乗ったのは、上記以外では
2004年8月1日 新潟→東京(SLばんえつ物語乗継)
2006年6月14日 東京⇄越後湯沢(特急はくたか乗継)
2010年1月14日 燕三条→東京(急行能登救済バス乗継)
の3日4回しかなかったのだ。
しかも、今回新潟市内まで向かうのは17年ぶりという体たらく。
いくら寒いのが苦手だとはいえ、上越国境を越える手段が乏しいとはいえ、何とも今までずいぶん
新潟に行くことを避けてきてしまったなぁという反省が、時間を追うごとに強くなっていった。
上越国境越えは、フラットシートへ…
長い長い国境のトンネルをようやく抜けて、10年10ヶ月ぶりの土地へ…