今ここから茶人への道~第二席-120212_114017.jpg

雑誌「和楽」の三月号(最新号)は、茶の湯特集。

昨年のこの時期も、茶の湯だったような気がするが、、、

茶の湯を特集にすると、評判が良いのか?

またはこの雑誌の方向性と合うのかもしれない。

ただ、茶の湯といっても、超初心者レベルの記事だけではない。

「茶事」を扱っている。

それは他の雑誌にもみられる傾向だが。

今回は、遠州流の茶事だった。

まだ社中内での茶事しか経験のない私である。

いつか客として、社中以外の茶事も経験してみたい。

もちろん、招く側にもなってみたいし。

それにはまだまだ遠い道のりに思えるのだ。

雑誌「和楽」は写真も豊富だし、楽しく読めた。

欲を言えば、もう少しお道具がよく見えるような写真ならばと。

それは雑誌の方向性と違っちゃうかな(笑)
よく自己啓発本などには、

五年後、一年後のなりたい自分を思い浮かべてみよう!

などと書いてある。

私はそれを読みながら、いつも思う、、

思い浮かばない

実際、一ヶ月先、三ヶ月先も予想がつかない。

ただ、茶道はやっているのだろうが、なりたい自分というのは??

思い浮かんだ時期もあっただろうが、今の自分には思い浮かばないようだった。

結構好きな言葉が、

一寸先は闇

だから、それはそれで良いのだけれど。

最近、約三年後のことを想像することになった。

自己啓発本とは違い、現実の話となると、私でもイロイロと考えるのだ。

以前、保険に入った時も満期の頃はどうしているかな~などと、あれこれ想像したけどね。

今回は保険じゃないけど、、

三年後、何をしてるのか?

相変わらずの生活か?

しかし、具体的目標に乏しい茶道について一番考えていた。

あれができているといいな、あれぐらいは人並みのレベルに、などなど。

考えるのは、茶道を取り巻く諸々のこと。

今回は小さなキッカケだったが、珍しく具体的に浮かんだ。

いつもお稽古で習っているお点前はもちろん、それ以外のことが目標として浮かんだのだ。

具体的には書かないでおこう(笑)

手帳には書いたけど…
菊池寛実記念智美術館で開催中の

「金重有邦 生まれくるもの」

展へ。

金重有邦氏と林屋館長のトークはますます盛り上がる。

備前焼には欠かせない「緋だすき」についても興味深い話を聴くことができた。

また、金重有邦氏も終わりの方では熱い思いを語ってくださった。

もの静かな容貌に隠された熱い思いを持っているのだな、と。

生トークを聴いて、有邦氏の作品、備前焼を今までとは違う目で見ることができそうだ。

とはいえ、元々どう見ればよいか解らなかったが(笑)
先日、菊池寛実記念智美術館で開催中の

「金重有邦 生まれくるもの」展へ行った。

少し前に美術館ではないのだが、備前焼、とくに金重陶陽氏についてお話を聞く機会があった。

私はあまり知識がないが、事前に少しでも聞いておいてよかったかも。

今回の展示は、金重陶陽氏の甥に当たる、金重有邦氏の作品である。

私が行った日は、館長の林屋晴三氏が

「金重陶陽、素山、有邦について」

というテーマでお話をして下さる日。

だが、うれしい展開に!

金重有邦氏が来館され、林屋館長との対談になったのだ。

林屋館長は有邦氏の父、金重素山氏と交流があった。

今はお亡くなりになってしまったが、在りし日の素山氏のお話もされていた。

陶陽氏と素山氏は兄弟であるが、それぞれ得意分野、目指すところの違いなどもあったようだ。

まだまだ楽しい話は続いた。

続きは次回!
先日、家に帰って新聞のテレビ欄を見て、慌ててテレビをかけた!

が、番組は始まってしまっている、、

再放送があるはずだと、再放送を録画した。

萩焼は茶道でもお馴染みである。

番組の中で、萩焼は長州人の「意地」から生まれたと言っていたが…

長州とは今の山口県。

幕末の明治維新では、まず口火を切った藩だろう。

よくいわれるのが、会津藩との確執。

100年以上経っても怨みが消えないなど、、これは会津の方が根深いが、、

ちなみに最近は交流が進んでいる。震災の時には、山口県から手を差し延べている。

私は、長州と会津は似ていると思う。

関ヶ原の合戦後、領地を減らされた長州。

食べるにも苦労したという。

この怨みは忘れないぞ、と。

それが幕府を滅ぼす原動力だったとか。

長州だけで外国相手に戦うとは、根性が違う。

会津以上かもしれないと、思ったこともある。

その長州藩で生まれた「萩焼」

「意地」とは、上手く表現した。


かなり前に萩へ行ったことがある。

歴史好きの私は、吉田松蔭はじめ、幕末ゆかりの人物しか頭になかったが、、

萩の年配の男性たちは、郷土愛に溢れていた。

地元の女性ともお話できたのだが、とても心地好いおもてなしをしていただいた。

今考えると残念なのだが、一人フラフラ散策をしている時に萩焼の工房がたくさん集まっている場所を通っている。

まだ茶道の「さ」の字も興味ないころだった。

そのため、萩焼もスルー。

今だったら、目の色変えて立ち寄るけどな~

焼き物に興味が出てきたが、まだまだ解らないことだらけ。

萩焼にはこのような背景があったとは。

また、「休雪白」で謎が解けた。

萩焼には、一般的なピンクや枇杷色の他に白っぽい物がある。

なんで?

と不思議に思いながら調べなかったけど。

私のような者には、「美の壷」は助かる番組だ。