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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約42:41

また、すべてのことがわたしの前に清く行われるようにしなさい。

 

「わたしは清く,汚れがありません」2007年4月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長

近代の啓示で主はこう語っておられます。「主の器を担う者たちよ,清くありなさい。」教義と聖約133:5

 

汚れにふける世の中にあって、言葉遣いの面でも、思いの面でも、肉体の面でも、服装の面でも清くあってください。

 

皆さん一人一人に申し上げます。言葉遣いの面で清くあってください。今日、あまりにも汚れたくだらない言葉遣いがはびこっています。清い言葉で自分を表現できないのは、語彙が極端に貧困だということを示しています。エホバが石版に書かれた御言葉は、イスラエルの子らに向けて発せられたのです。「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。」出エジプト20:7

 

主は現代の啓示の中でもこの戒めを強調しておられます。「上から来るものは神聖であり、それについては注意して、御霊の促しによって語るようにしなければならないことを覚えておきなさい。」教義と聖約63:64

 

思いの面でも清くあってください。主はこう言っておられます。「すべてのことがわたしの前に清く行われるようにしなさい。」教義と聖約42:41

 

心が汚れていれば、汚れた不敬な言葉を自然と使うようになります。しかし、心が清ければ、言葉遣いの面では肯定的で心を高める言葉を用いるようになり、行動面でも幸せな気持ちになれるような行いをするようになります。

 

肉体や服装、態度の面でも清くあってください。体に入れ墨を彫らないでください。そのようなことをすれば、いつか後悔することでしょう。苦痛を伴い、費用のかかる処置を講じなければ入れ墨を消すことはできません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約42:15-16

わたしの聖文のすべてが与えられるまで、あなたがたの教えることについてわたしが命じたとおりに、以上のことをすべて守って行うようにしなければならない。

あなたがたは慰め主によって声を上げるとき、わたしがよいと思うままに語り、預言するであろう。

 

「主は生きておられる」(英文)1999年10月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会

ジョセフ・スミスは自分の力だけではとうてい果たし得ない務めを成し遂げるために助けを得ました。時には、直接の指示や介入によって助けを得たこともありますが、ほとんどの場合は、御霊からの静かなささやきかけによるものでした。それは、ジョセフが主に従順で、信仰を持ち、主の御心を行うという揺るぎない決意のゆえに与えられた、支援の力によるものでした。なぜ彼はこれほどまで成功したのでしょうか。それに対する答えの一部は、彼の個人的な声明の中に見いだすことができます。「これをわたしの習慣とした。主が命じられたならば、それをなせ。」History of the Church, 2:170)

 

あなたの個人としての行動や責任の中でも、主は同じ助けを与えてくださると証します。あなたが必要とし、それを受けるうえで必要なことを行えば、何をなすべきか天からの霊感によって知るでしょう。そして必要ならば、あなたはそれを成し遂げるだけの力や能力を与えられるのです。教義と聖約42:15–16参照)ジョセフ・スミスは積み重ねた自分自身の訓練によって主の指示に従う能力を完成に近づける方法を会得しました。彼は与えられた任務をどのように遂行するかを主から学び、成長するにつれて、その従順さが自身の欲求や都合、また他人からの迫害によって妨げを受けることのないようにしていました。彼の模範に倣おうではありませんか。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

あなたがたは再び生まれなければならない

 

 

教義と聖約42:13

また、彼らは聖約と教会の規定とを守って実行しなければならない。また、御霊に導かれるままに、これらを彼らの教えとしなければならない。

 

「あなたがたは再び生まれなければならない」2007年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

塩水に浸され,塩分をたっぷり含んだキュウリがピクルスに変化するのと同じように,皆さんもわたしも,イエス・キリストの福音を吸収することで再び生まれます。交わした「聖約」を尊んで「守〔り〕」教義と聖約42:13、教義と聖約42:13、2ニーファイ32:3,「熱意を込めて御父に祈〔り〕」モロナイ7:48,そして「〔わたしたちの〕心と,勢力と,思いと,力を尽くして神に仕え〔る〕」と教義と聖約4:2,次の聖句のようになれます。

 

「あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである。あなたがたは,キリストの御み名なを信じて心が改まったと言う。だから,あなたがたはキリストから生まれ,キリストの息子および娘となったのである。」モーサヤ5:7

 

この聖句が教える霊的再生は概して短時間で起きたり,一度に起きたりするものではありません。一つの出来事ではなく,継続的な過程なのです。教訓に教訓,規則に規則を重ね,徐々に,そしてほとんど気づかないくらい少しずつ,わたしたちの動機,思い,言葉,行いが神の御心に添うものとなっていきます。変化の過程におけるこの段階は,時間と根気,そして忍耐を要します。

 

キュウリをピクルスにするには,一定の状態で,継続して,完全に塩水に浸さなければなりません。そのため,塩は調理上の重要な役割を果たします。塩は聖文の中で,聖約および聖約の民の両方を表す象徴として頻繁に用いられています。そして,キュウリがピクルスに変化するうえで塩が欠かせないのと同様,聖約もわたしたちが霊的に新しく生まれるうえで欠かせないものです。

 

再び生まれる過程は,キリストを信じる信仰を働かせ,罪を悔い改め,神権の権能を持つ人によって罪の赦しを受けるために水に沈めるバプテスマを受けることから始まります。

 

「すなわち,わたしたちは,その死にあずかるバプテスマによって,彼と共に葬られたのである。それは,キリストが父の栄光によって,死人の中からよみがえらされたように,わたしたちもまた,新しいいのちに生きるためである。」ローマ6:4

 

バプテスマの水から出た後,わたしたちの霊は継続的に救い主の福音の光と真理に浸され,それらを吸収しなければなりません。キリストの教義に単発的に浅く浸され,回復された主の教会に時々参加するだけでは,「新しいいのちに生きる」ために必要な霊的な変化を引き起こすことはできません。永遠の祝福を享受するためには,聖約を忠実に守り,絶えず決意を強め,自分自身を神にささげることが必要です。

 

「わたしはあなたがたがイスラエルの聖者であるキリストのもとに来て,キリストの救いと,キリストの贖いの力にあずかるように望んでいる。まことに,キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ,断食と祈りを続け,最後まで堪え忍びなさい。そうすれば,主が生きておられるように確かに,あなたがたは救われるであろう。」オムナイ1:26

 

救い主の福音に完全に浸り,福音を十分に吸収することは,再び生まれる過程において不可欠の手順です。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)