「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -90ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約42:2

重ねて、わたしはあなたがたに言う。耳を傾けて聞き、わたしが与える律法に従いなさい。

 

「耳を傾けて学ぶ」(英文)1991年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

以上の何にもまして、神の子供たちは耳を傾けるすべを身に付け、次いで実際に耳を傾けて主から学ばなければなりません。世界の歴史をひもとくと、これまで何度か天父がみ姿を現わされた神聖な機会に、神たる御子を指して次のようにはっきりと命じられました。「彼に聞け。」マタイ17:5; マルコ9:7; ルカ9:35; 3ニーファイ11:7; ジョセフ・スミス歴史1:17

 

イエスは第一の最も大切な戒めを次のように与えられました。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。」マタイ22:37

 

どの神権時代に記録された聖典も、神に対する愛を示す方法は、主の戒めに耳を傾け、それに従うことであると教えています。出エジプト20:6; 申命5:10; 7:9; 11:1; 30:16; ヨシア22:5; ネへミヤ1:5; ダニエル9:4; ヨハネ14:15; 15:10; 1ヨハネ5:2–3; 2ヨハネ1:6; モーサヤ13:14; 教義と聖約42:2; 46:9; 124:87耳を傾け、従い、愛するというこの3つの行為には密接な関係があります。事実、旧約聖書で用いられているヘブライ語では、ほとんどの場合、「(主に)耳を傾ける」という言葉と「(主のみ言葉に)従う」という言葉は、同じ単語が使われています。

 

従順な態度で主のみ言葉に耳を傾けることに加え、祈りによっても神への愛を示すことができます。ここでも、耳を傾けることは祈りの大切な一要素です。主からの答えはきわめて静かに与えられます。それゆえ主は「汝らつつしみて(訳注:英文では"be still"、つまり「静かにして」の意)、わが神なることを知れ」と勧告しておられます。教義と聖約101:16

 

スペンサー・W・キンボール大管長は、かつてこう言われたことがあります。「祈りの最後に少し間を取って、じっと耳を傾けてみてください。ほんのわずかでもよいのです。そして救い主が『わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください』ルカ22:42と祈ったように、いつも祈ってください。」(Spencer W. Kimball, in Conference Report, Oct. 1979, p. 5; or Ensign, Nov. 1979, pp. 4–5)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約41:11

これは、彼の心がわたしの前に清いからである。彼は心に偽りのない、昔のナタナエルのようである。

 

「クリスチャンらしい勇気─弟子としての犠牲」2008年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

真の弟子は自己弁護ではなく人々の福利を第一に考えます。質問や批判を受けることは,相手と親しくなり,御父やわたしたちにとってその人が大切な存在であることを示す機会となります。自己を弁護したり,神学論争に勝ったりするためでなく,相手が真理を理解できるように助けるために話してください。非難する相手に対する最も力強い答えは,心からの証です。愛と柔和さがなければそのような証はできません。わたしたちはエドワード・パートリッジのようになるべきです。主は言われました。「彼の心〔は〕わたしの前に清い……。彼は心に偽りのない,昔のナタナエルのようである。」教義と聖約41:11心に偽りのない人とは,子供のように汚れなく,怒るに遅く,赦すに早い人です。

 

そのような特質はまず家庭ではぐくまれ,あらゆる人間関係の中で実践できるものです。心に偽りのない人は,自身に落ち度がないかまず探します。非難されたら,救い主の使徒たちのように「主よ,わたしですか」と自問すべきですマタイ26:22参照)。御霊の答えに耳を傾けるなら,必要なときに軌道修正し,謝り,赦しを請い,行いを改めることができます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約41:5

わたしの律法を受け入れて、それを行う者は、わたしの弟子である。また、律法を受け入れると言って、それを行わない者は、わたしの弟子ではなく、あなたがたの中から追い出されなければならない。

 

「わたしたちの間におられる神」2021年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

200年前に,救い主は再び地上に戻って来られました。父なる神とともに,主は14歳のジョセフ・スミスに御姿を現し,福音とイエス・キリストの教会の回復の到来を告げられました。その日以後,天は開かれ,天の使者たちが不死不滅の栄光の殿堂から降って来ました。日の栄えの御座から光と知識が注がれました。

 

主イエス・キリストは,再び世に語りかけられました。

 

主は何と言われたでしょうか。

 

わたしたちを祝福するために,多くの御言葉が教義と聖約に記録されています。それを読んで研究したいと思う世の人はだれでもそれを得られます。今日わたしたちにとって,これらの言葉は何と貴重なことでしょう。

 

救い主が福音の核となる次のメッセージを再び教えておられることを知っても驚くには及びません。「あなたは心を尽くし,勢力と思いと力を尽くして,主なるあなたの神を愛さなければならない。また,イエス・キリストの名によって,神に仕えなければならない。」教義と聖約59:5救い主はわたしたちに,神を求め,教義と聖約88:62-63参照)神の僕である預言者たちに明らかにされた教えに従って生活するように促しておられます。教義と聖約14:741:5参照)

 

互いに愛し合うように,教義と聖約12:859:6参照)そして「すべての人に対して……慈愛で満たされる」ように教えておられます。教義と聖約121:45。ほかの人々の世話をするプロセスによって,富んでいる人と貧しい人の両者が人格を磨く方向に向かうことができ,両者ともに昇栄に導かれます(教義と聖約104:15-18参照))

 

主の御手となり,善を行うようにと勧めておられます。教義と聖約81:5参照)「わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく,行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」1ヨハネ3:18

 

主からの大いなる務めを心に留めるよう,主はわたしたちに求めておられます。 それは愛すること,分かち合うこと,すべての人を主の福音と教会に招くことです。(福音を宣べ伝える資格は何でしょうか。救い主はこう答えておられます。「だれでも鎌を入れて刈り取ろうとする者は,神から召されている。」教義と聖約11:4結局のところ,神の言葉を宣言する業で資格ありとされるのは,わたしたちの望みなのです教義と聖約4:3参照))

 

聖なる神殿を建て,そこに入って奉仕するように命じておられます。教義と聖約124:39参照)

 

主の弟子となるように教えておられます。個人の権力や富,評価,地位を追い求めることに心を向けるべきではありません。「この世のものを捨てて,この世に勝る世のものを求め」るようにと,主は教えておられます。(教義と聖約25:10

 

喜び,啓発,平安,真理,幸福,(モーサヤ16:11参照)また不死不滅と永遠の命の約束を求めるように促しておられます。教義と聖約82:9参照)

 

これをさらに一歩進めましょう。今日,イエスが皆さんのワードか支部,あるいは家庭に来られたとしましょう。それはどのような感じでしょうか。

 

主は皆さんの心を御覧になります。外見は重要ではなくなります。主はありのままの皆さんを御存じです。皆さんの心の望みを御存じです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)