これは、彼の心がわたしの前に清いからである。彼は心に偽りのない、昔のナタナエルのようである。
「クリスチャンらしい勇気─弟子としての犠牲」2008年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
真の弟子は自己弁護ではなく人々の福利を第一に考えます。質問や批判を受けることは,相手と親しくなり,御父やわたしたちにとってその人が大切な存在であることを示す機会となります。自己を弁護したり,神学論争に勝ったりするためでなく,相手が真理を理解できるように助けるために話してください。非難する相手に対する最も力強い答えは,心からの証です。愛と柔和さがなければそのような証はできません。わたしたちはエドワード・パートリッジのようになるべきです。主は言われました。「彼の心〔は〕わたしの前に清い……。彼は心に偽りのない,昔のナタナエルのようである。」(教義と聖約41:11)心に偽りのない人とは,子供のように汚れなく,怒るに遅く,赦すに早い人です。
そのような特質はまず家庭ではぐくまれ,あらゆる人間関係の中で実践できるものです。心に偽りのない人は,自身に落ち度がないかまず探します。非難されたら,救い主の使徒たちのように「主よ,わたしですか」と自問すべきです(マタイ26:22参照)。御霊の答えに耳を傾けるなら,必要なときに軌道修正し,謝り,赦しを請い,行いを改めることができます。
