「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -78ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約58:4

多くの艱難の後に祝福は来る。それゆえ、あなたがたが大いなる栄光を冠として与えられる日が来る。その時はまだ来ていないが、もう近い。

 

「主の側に立つ」2004年10月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会

悪人だけでなく善人にも災難が降りかかる理由について,アーサー・ウェントワース・ヒーウィット博士は次のように述べています。「第1に,分かりません。第2に,わたしたちは自分で思っているほど善良ではないからです。しかし第3に,……主にとっては,わたしたちの幸福よりもわたしたち自身の方がずっと大事だからという理由が挙げられます。なぜでしょうか。では,行いに応じて個人に必ず報いが与えられるとします。善人はすべて常に幸福で,悪人はすべて災難に見舞われるのです。(現実には正反対のことがよく起こりますが。)人格を破壊する方法として,これほど巧妙なものが考えられるでしょうか。」(手紙からの抜粋)

 

またキンボール大管長は次のような洞察力のある言葉を残しています。

 

「悪を行った場合に,苦痛や悲しみ,徹底的な罰が直ちに与えられるとしたら,悪事を繰り返す人などいないでしょう。善を行えば直ちに喜びや平安,報いが得られるとしたら,悪人はいなくなります。すべての人が善を行いますが,正しいことをしたいという望みからではありません。この場合,人を強くする試練もなければ,人格形成も才能を伸ばす機会も選択の自由もありません。……そこにはまた,喜びも成功も,復活も永遠の命もなく,神となることもないのです。」(The Teachings of Spencer W. Kimball,エドワード・L・キンボール編(1982年),77)

 

神への愛は,利己的なもくろみのない純粋なものでなければなりません。キリストの純粋な愛が,わたしたちの献身する動機でなければならないのです。

 

さて,すべてが死をもって終わるとしたら,こうした苦難は実に理不尽だと言わざるを得ません。しかし,実際は違います。人生は1幕の劇ではなく,3幕あるのです。前世にいたときの過去の幕,今経験している現世の幕,そして神のみもとに戻る未来の幕の3幕です。伝道12:7参照)イエスはこう約束なさいました。「わたしの父の家には,すまいがたくさんある。」ヨハネ14:2わたしたちがこの世に来たのは,試練を受け,試されるためです。主がアブラハムに説明されたように,「これによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見」アブラハム3:25るのです。

 

パウロが言ったように,過去の苦労,現在の苦しみは,永遠の世で「わたしたちに現されようとする栄光に比べると,言うに足り」ローマ8:18ません。「多くの艱難の後に祝福は来る。それゆえ,あなたがたが大いなる栄光を冠として与えられる日が来る」教義と聖約58:4からです。このように艱難は,わたしたちが日の栄えの王国に入るにふさわしい者となるうえで役立ちます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約58:3-4

あなたがたは、この後に起こることに関するあなたがたの神の計画と、多くの艱難の後に来る栄光を、今は肉体の目で見ることができない。

多くの艱難の後に祝福は来る。それゆえ、あなたがたが大いなる栄光を冠として与えられる日が来る。その時はまだ来ていないが、もう近い。

 

「進み続ける」2004年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

心痛,孤独,痛み,挫折に苦しんでいる人が大勢いることを知っています。人間にとって必要な経験です。しかし救い主に対して,そして主の皆さんへの愛に対して,希望を失わないでください。主の愛は不変であり,主はわたしたちを捨てて孤児とはしないと約束しておられます。ヨハネ14:18参照)

 

人生の中で問題に直面するとき,わたしたちは教義と聖約第58章にある主の御言葉から慰めを得ます。

 

「あなたがたは,この後に起こることに関するあなたがたの神の計画と,多くの艱難の後に来る栄光を,今は肉体の目で見ることができない。

 

多くの艱難の後に祝福は来る。それゆえ,あなたがたが大いなる栄光を冠として与えられる日が来る。その時はまだ来ていないが,もう近い。」教義と聖約58:3-4

 

ですから兄弟姉妹,何があろうとも進み続け,最終的にはその過程でさらに主に似た者とならなければなりません。わたしたちは皆,人生の中で大きな試練に直面し,忠実に堪え忍んできた人々のことを知っています。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約58:2

まことに、わたしはあなたがたに言う。生きるも死ぬも、わたしの戒めを守る者は幸いである。艱難の中で忠実な者の受ける報いは、天の王国においてもっと大きい。

 

「神は涙をことごとくぬぐい取ってくださる」2016年10月、エバン・ A・シュムツ、七十人

今日話を聴いているすべての人も何らかの寂しさや落胆,苦悩,痛み,悲しみを知っていることでしょう。 信仰という目エテル12:19と永遠の真理に対する理解がなければ,現世で経験する苦難や苦痛が原因で,天の御父の偉大な計画は確かに永遠の幸福の計画であると知ることから得られる永遠の喜びがぼやけたり,薄れたりしてしまうことがあります。完全な喜びを受ける道はほかにはありません。3 ニーファイ28:10参照。 2 ニーファイ31:19-21も参照)

 

神は,ほかの方法では得られない祝福と知識を手にするために,各自の苦難に信仰をもって応じるよう招いておられます。わたしたちはあらゆる状態,あらゆる状況の中で戒めを守るよう教えられています。「艱難の中で忠実な者の受ける報いは,天の王国においてもっと大きい」からです。教義と聖約58:2聖文にはこのようにあります。「あなたは悲しければ、心が喜びに満ちるように,主なるあなたの神に呼び求めて嘆願しなさい。」教義と聖約136:29

 

艱難についてよく知っている使徒パウロ自身も,自分の経験を引き合いに出して,忍耐強く,立派に堪え忍ぶことによりもたらされる永遠の観点について,深遠で美しい教えを述べています。「なぜなら,このしばらくの軽い患難は働いて,永遠の重い栄光を,あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」2コリント4:17 つまり,わたしたちは苦難のさなかにあっても,神が永遠の報いをもって埋め合わせてくださることを理解できるのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)