まことに、わたしはあなたがたに言う。生きるも死ぬも、わたしの戒めを守る者は幸いである。艱難の中で忠実な者の受ける報いは、天の王国においてもっと大きい。
「神は涙をことごとくぬぐい取ってくださる」2016年10月、エバン・ A・シュムツ、七十人
今日話を聴いているすべての人も何らかの寂しさや落胆,苦悩,痛み,悲しみを知っていることでしょう。 信仰という目(エテル12:19)と永遠の真理に対する理解がなければ,現世で経験する苦難や苦痛が原因で,天の御父の偉大な計画は確かに永遠の幸福の計画であると知ることから得られる永遠の喜びがぼやけたり,薄れたりしてしまうことがあります。完全な喜びを受ける道はほかにはありません。(3 ニーファイ28:10参照。 2 ニーファイ31:19-21も参照)
神は,ほかの方法では得られない祝福と知識を手にするために,各自の苦難に信仰をもって応じるよう招いておられます。わたしたちはあらゆる状態,あらゆる状況の中で戒めを守るよう教えられています。「艱難の中で忠実な者の受ける報いは,天の王国においてもっと大きい」からです。(教義と聖約58:2)聖文にはこのようにあります。「あなたは悲しければ、心が喜びに満ちるように,主なるあなたの神に呼び求めて嘆願しなさい。」(教義と聖約136:29)
艱難についてよく知っている使徒パウロ自身も,自分の経験を引き合いに出して,忍耐強く,立派に堪え忍ぶことによりもたらされる永遠の観点について,深遠で美しい教えを述べています。「なぜなら,このしばらくの軽い患難は働いて,永遠の重い栄光を,あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」(2コリント4:17 )つまり,わたしたちは苦難のさなかにあっても,神が永遠の報いをもって埋め合わせてくださることを理解できるのです。
