「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -59ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約84:2-4

まことに、主がその預言者たちの口を通して語ったとおり、主の民の回復のために、また新エルサレムの都となるシオンの山に立つ聖徒たちの集合のために、終わりの時に設立された主の教会に関する主の言葉。

この都は主の指によって指定され、ジョセフ・スミス・ジュニアと、主の心にかなう他の者たちによって奉献された、ミズーリ州の西の境にある神殿用地を起点として建てられるであろう。

まことに、主の言葉は次のとおりである。すなわち、新エルサレムの都は聖徒たちの集合によって、この場所、すなわち神殿の場所を起点として建てなければならない。この神殿はこの時代に築かれるであろう。

 

「主イエス・キリストは再びおいでになります」2024年10月、ラッセル・M・ネルソン大管長

預言者イザヤが預言し,ヘンデルの「メサイヤ」の歌詞にもあるように,イエス・キリストが再びおいでになるとき,「主の栄光があらわれ,人は皆ともにこれを見る」イザヤ40:5。George Frideric Handel, “And the Glory of the Lord,” The Messiah, ed.T. Tertius Noble (1912), 16–18も参照)のです。

 

その日,「まつりごとはその肩にあり,その名は,『霊妙なる議士,大能の神,とこしえの父,平和の君』ととなえられ〔ます〕。」イザヤ9:6

 

イエス・キリストは旧エルサレムゼカリヤ14:4-7教義と聖約45:48-66133:19-21参照。ミカ4:2「律法はシオンから出,主の言葉はエルサレムから出るからである。」も参照)と,「アメリカ大陸に築かれる」信仰箇条1:10エテル13:3-10教義と聖約84:2-4も参照)新エルサレムの両方から統治されるでしょう。この二つの中心地から,主は主の教会の諸事について指示されます。

 

その日,主は「王の王,主の主」として知られるようになります。主とともにいる人々は,「召され…,選ばれた,忠実な者たち」です。黙示19:16黙示17:14

 

兄弟姉妹の皆さん,今こそ皆さんやわたしが,救い主であられる主イエス・キリストの再臨に備えるときです。アルマ34:32参照)今こそ,わたしたちが弟子としての務めを最優先するときです。この世的な興味を強烈にそそるものが至る所にある世の中にあって,どうすればそれができるでしょうか。

 

神殿で定期的に礼拝することが助けになるでしょう。主の宮で,わたしたちはイエス・キリストに目を向けます。主について学びます。主に従うという聖約を交わします。主を知るようになります。神殿の聖約を守ると,人を強める主の力にあずかることができます。神殿で,この世の攻撃から守られます。イエス・キリストと天の御父の純粋な愛を豊かに味わいます。この世の嵐とは対照的な,平安を感じ,霊的な安心感を得ます。

 

皆さんに次のことを約束します。イエス・キリストを心から求めるすべての人は,神殿で主を見いだすでしょう。主の憐れみを感じるでしょう。皆さんを非常に悩ませている疑問の答えを見いだすでしょう。主の福音の喜びをさらに理解するようになるでしょう。(皆さんもアンモンと同様にこう言いたいと感じているかもしれません。「主を誇って喜びすぎるということがあり得ようか。……見よ……わたしは感じていることの万分の一も言い表せない。」アルマ26:16))

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約82:3

多く与えられる者からは多く求められ、いっそう大いなる光に対して罪を犯す者は、いっそう大きな罪の宣告を受けるからである。

 

「決して主を離れず」2010年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

次のように問う人もいるでしょう。「ほかの人々とそれほどまでに異なっている必要があるのでしょうか。」「自分の行動についてそれほど考えずに,キリストの弟子でいることはできないのでしょうか。」「純潔の律法を守らずにキリストを愛することはできないのでしょうか。」「日曜日にしたいことをしながら主を愛することはできないのでしょうか。」イエスは簡潔に答えておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」ヨハネ14:15

 

次のように問う人もいるでしょう。「ほかの宗派にもキリストを愛している人はたくさんいるのではないでしょうか。」もちろんいます。しかし,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは聖書だけでなくモルモン書からも主が実際におられるという証を得ており,主の神権が地上に回復されたことを知っています。主に従うという神聖な聖約を交わし,聖霊のが授けられています。また,主の聖なる神殿で力が授けられ,主が地上に戻って来られる輝かしい再臨の準備に参加しています。こうした真理をまだ受けていない人々と,わたしたちのあるべき姿を比較することはできません。「多く与えられる者からは多く求められ」るのです。教義と聖約82:3

 

主はこうおっしゃいました。「あなたは自分で選ぶことができる。」モーセ3:17

 

皆さんがつまずかない,または恥ずかしく思わない方を選ぶなら,主の愛と承認を感じると約束します。そして自分がもっと主に似た人物になっていくことが分かるでしょう。1ニーファイ19:9参照)

 

わたしたちはすべてを理解するのでしょうか。もちろん,そんなことはありません。しばらくは答えを見いだせないままで,後に理解することになるものもあります。

 

すべてが公平になるのでしょうか。そんなことはありません。わたしたちは是正できないことを受け入れ,傷つけられても赦します。

 

時には疎外感を味わうことがあるでしょうか。もちろんあります。

 

時には主の教会に対して少数の人が怒りを抱き,弱い人がどうにか保っている信仰を奪おうとするのを見て驚くことがあるでしょうか。2ニーファイ28:20参照)はい,あります。しかし,そのことが教会の発展や行く末を妨げることもなく,主イエス・キリストの弟子として歩むわたしたち一人一人の霊的な進歩を遅らせることもありません。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約82:1

まことに、まことに、わたしはあなたがた、すなわちわたしの僕たちに言う。あなたがたが互いに過ちを赦し合ったので、主なるわたしは同じようにあなたがたを赦す。

 

「主の祈りから得られる教訓」2009年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

主の祈りは,新約聖書に2か所,モルモン書に1か所,記録されています。マタイ6:9-13ルカ11:2-43ニーファイ13:9-13参照)聖書のジョセフ・スミス訳にも含まれており,(Joseph Smith Translation,Matthew 6:9-15 参照)次の二つの御言葉によって意味が明確になっています。

 

わたしたちが自分に対して過ちを犯す者を赦すように,わたしたちの過ちをお赦しください。(Joseph Smith Translation, Matthew 6:13 )

 

「わたしたちが誘惑に陥ることのないようにし,悪からお救いください。」(ジョセフ・スミス訳マタイ6:14

 

赦しについては,主がほかのところで述べられた御言葉によっても,意味が明確にされています。「あなたがたが互いに過ちを赦し合ったので,主なるわたしは同じようにあなたがたを赦す。」教義と聖約82:1言い換えれば,赦されるには,まず赦さなくてはなりません。マタイ18:23-35教義と聖約64:10参照)誘惑についても意味が明確になり,理解の助けになります。確かに人は神によって誘惑に陥らされることはないからです。主はこう言われました。「誘惑に陥らないように,目をさまして祈っていなさい。」マタイ26:41

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)