多く与えられる者からは多く求められ、いっそう大いなる光に対して罪を犯す者は、いっそう大きな罪の宣告を受けるからである。
「決して主を離れず」2010年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
次のように問う人もいるでしょう。「ほかの人々とそれほどまでに異なっている必要があるのでしょうか。」「自分の行動についてそれほど考えずに,キリストの弟子でいることはできないのでしょうか。」「純潔の律法を守らずにキリストを愛することはできないのでしょうか。」「日曜日にしたいことをしながら主を愛することはできないのでしょうか。」イエスは簡潔に答えておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである。」(ヨハネ14:15)
次のように問う人もいるでしょう。「ほかの宗派にもキリストを愛している人はたくさんいるのではないでしょうか。」もちろんいます。しかし,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは聖書だけでなくモルモン書からも主が実際におられるという証を得ており,主の神権が地上に回復されたことを知っています。主に従うという神聖な聖約を交わし,聖霊のが授けられています。また,主の聖なる神殿で力が授けられ,主が地上に戻って来られる輝かしい再臨の準備に参加しています。こうした真理をまだ受けていない人々と,わたしたちのあるべき姿を比較することはできません。「多く与えられる者からは多く求められ」るのです。(教義と聖約82:3)
主はこうおっしゃいました。「あなたは自分で選ぶことができる。」(モーセ3:17)
皆さんがつまずかない,または恥ずかしく思わない方を選ぶなら,主の愛と承認を感じると約束します。そして自分がもっと主に似た人物になっていくことが分かるでしょう。(1ニーファイ19:9参照)
わたしたちはすべてを理解するのでしょうか。もちろん,そんなことはありません。しばらくは答えを見いだせないままで,後に理解することになるものもあります。
すべてが公平になるのでしょうか。そんなことはありません。わたしたちは是正できないことを受け入れ,傷つけられても赦します。
時には疎外感を味わうことがあるでしょうか。もちろんあります。
時には主の教会に対して少数の人が怒りを抱き,弱い人がどうにか保っている信仰を奪おうとするのを見て驚くことがあるでしょうか。(2ニーファイ28:20参照)はい,あります。しかし,そのことが教会の発展や行く末を妨げることもなく,主イエス・キリストの弟子として歩むわたしたち一人一人の霊的な進歩を遅らせることもありません。
