まことに、まことに、わたしはあなたがた、すなわちわたしの僕たちに言う。あなたがたが互いに過ちを赦し合ったので、主なるわたしは同じようにあなたがたを赦す。
「主の祈りから得られる教訓」2009年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
主の祈りは,新約聖書に2か所,モルモン書に1か所,記録されています。(マタイ6:9-13;ルカ11:2-4;3ニーファイ13:9-13参照)聖書のジョセフ・スミス訳にも含まれており,(Joseph Smith Translation,Matthew 6:9-15 参照)次の二つの御言葉によって意味が明確になっています。
わたしたちが自分に対して過ちを犯す者を赦すように,わたしたちの過ちをお赦しください。(Joseph Smith Translation, Matthew 6:13 )
「わたしたちが誘惑に陥ることのないようにし,悪からお救いください。」(ジョセフ・スミス訳マタイ6:14)
赦しについては,主がほかのところで述べられた御言葉によっても,意味が明確にされています。「あなたがたが互いに過ちを赦し合ったので,主なるわたしは同じようにあなたがたを赦す。」(教義と聖約82:1)言い換えれば,赦されるには,まず赦さなくてはなりません。(マタイ18:23-35;教義と聖約64:10参照)誘惑についても意味が明確になり,理解の助けになります。確かに人は神によって誘惑に陥らされることはないからです。主はこう言われました。「誘惑に陥らないように,目をさまして祈っていなさい。」(マタイ26:41)
