「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -43ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約98:8

主なる神であるわたしはあなたがたを自由にする。それゆえ、あなたがたはほんとうに自由である。そして、法律もあなたがたを自由にする。

 

「あなたの家を整えなさい」2001年10月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

今日、大管長会は親が優先すべきことを再度強調しています。聖徒に向けた最近の手紙から読んでみましょう。「親である皆さんに、子供たちを福音の原則の中で教え育てることに全力を尽してくださるようお願いいたします。そのことによって子供たちは教会に活発であり続けるでしょう。家庭は義にかなった生活の基であり、ほかのどのような手段も、家庭に代わる役割を果たし得ませんし、神から与えられたこの責任を遂行するうえでの大切な役割を果たしてはくれません。」

 

両親は何を教えるべきか

 

この神聖な指示を念頭に置きながら、何を教えるべきかについて考えてみましょう。聖文は両親に、イエス・キリストへの信仰、悔い改め、バプテスマ、聖霊の賜物について教えるように命じています。モロナイ8:10教義と聖約19:3168:25-34138:33, 信仰箇条1:4参照) 両親は救いの計画モーセ6 :58-62参照) と神の戒めに完全に従って生活することの大切さを教えなければなりません。レビ10 :11申命6:7モーサヤ4:14参照)そうしなければ、子どもたちは贖い自由をもたらす神の律法を知らずに苦しむでしょう。 2ニーファイ2:26モーサヤ1:3; 5:8教義と聖約98:8参照)また両親は、地上に教会と神の王国を築くためにジョセフ・スミス訳マタイ6:38参照)時間と才能、什分の一、財産モーサヤ4:21-2618:27アルマ1:27参照)をささげ、生活を奉献する方法を模範によって教えなければなりません。そのような生活は確かに子孫に祝福をもたらします。聖文にこうあります。「あなたの務めはとこしえに教会に対するものである。これはあなたの家族のゆえである。」教義と聖約23:3

 

※ゴードン・B・ヒンクレー大管長、トーマス・S・モンソン副管長、およびジェームズ・E・ファウスト副管長の署名がなされている]1999年2月11日付けの同手紙では、両親が行うことも述べられている。「わたしたちは親の皆さんと子供たちに、家族の祈り、家庭の夕べ、福音の研究と指導、そして健金な家族活動を最優先するようにお勧めします。必要とされるそのほかの事柄や活動がどれほど価値のある適切なものであったとしても、それらは、親と家族だけが全うできる天与の義務に取って代えられるものでは決してありません。」“Policies, Announcements, and Appointments,” Ensign、1999年6月号、80で引用)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約98:3

それゆえ、主は、祈りはかなえられるという不変の聖約をもって、あなたがたに約束を与える。また、あなたがたを苦しめたすべてのことは、あなたがたの益のために、またわたしの名の栄光のためにともに働く、と主は言う。

 

「主を待ち望む-みこころが行われますように」2011年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

わたしたちは主を待ち望むとき,「いつの日かあらゆる苦難を離れて休める」(アルマ34:41)と理解しながら,「確固として動かずに神の戒めを守り」(アルマ1:25)ます。

 

そして,「〔わたしたち〕を苦しめたすべてのことは,〔わたしたち〕の益のために……ともに働く」ことを信じ教義と聖約98:3,「〔わたしたちの〕確信を放棄し」ヘブル10:35ないのです。

 

こうした苦難にはあらゆる形と程度があります。ヨブの経験はわたしたちがどのような忍耐を求められるかを思い起こさせます。ヨブは持てるものすべて,土地と家と家畜,家族,名声,健康,精神の安定さえも失いました。にもかかわらず,主を待ち望み,自らの力強い証を述べたのです。

 

「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる,後の日には彼は必ず地の上に立たれる。

 

わたしの皮がこのように滅ぼされたのち,わたしは肉を離れて神を見るであろう。」ヨブ19:25-26

 

しかしわたしたちは,ヨブ,預言者,救い主の類いまれな模範をもってしても,主を待ち望むことが難しいことがあります。特に,わたしたちのために用意された主の計画と目的を十分に理解できないときがそうです。この理解はほとんどの場合「教えに教え,〔そして〕訓戒に訓戒」2ニーファイ28:30を加えて深まります。

 

人生の中で時々祈りの答えを受けないのは,まだわたしの準備が整っていないことを主が御存じだからだと学びました。主がこたえてくださるときはたいてい,「ここにも少し,そこにも少し」2ニーファイ28:30なのです。それは,わたしにはそれしか耐えられないか,進んで行えないからです。

 

忍耐力を与えてくださいと祈りながら,今すぐに欲しいということがしばしばあります。デビッド・O・マッケイ大管長は若いころ,福音が真実だという証を祈り求めました。何年も後,スコットランドで伝道しているときに,ついにその証を得ました。後にこう書いています。「心からの祈りは『いつか,どこかで』こたえられるという確信を得た。」歴代大管長の教え-デビッド・O・マッケイ』(2003年))

 

主の答えがいつ,どのようにして与えられるか分かりませんが,主の時に,主の方法でこたえられることを証します。来世に行くまで待たなくてはならない答えもあるでしょう。祝福文の約束や家族に授けられた祝福の中には,それに当てはまるものもあるでしょう。主への信頼を絶やさないようにしましょう。主の祝福は一時的なものではなく,永遠のものです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約98:2-3

忍耐強く主を待ち望みなさい。あなたがたの祈りはサバオスの主の耳に達しており、この封印と証をもって記録されているからである。すなわち、祈りがかなえられることを、主は誓って定めた。

それゆえ、主は、祈りはかなえられるという不変の聖約をもって、あなたがたに約束を与える。また、あなたがたを苦しめたすべてのことは、あなたがたの益のために、またわたしの名の栄光のためにともに働く、と主は言う。

 

「信仰をもって将来に臨む」2011年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

永遠の展望をもって祈るならば,涙ながらの切々たる懇願が聞かれているかどうかを疑問に思う必要はありません。次のような主の約束が教義と聖約第98章に記録されています。

 

「あなたがたの祈りは・・・主の耳に達しており,この封印と証をもって記録されているからである。すなわち,祈りがかなえられることを,主は誓って定めた。

 

それゆえ,主は,祈りはかなえられるという不変の聖約をもって,あなたがたに約束を与える。また,あなたがたを苦しめたすべてのことは,あなたがたの益のために,またわたしの名の栄光のためにともに働く,と主は言う。」教義と聖約98:2-3

 

主はわたしたちを安心させるために最も力強い言葉を選ばれました。封印,証,誓い,定め,不変の聖約。兄弟姉妹,主を信じてください。神は皆さんの誠実な心からの祈りを心に留められます。そして,皆さんの信仰は強くされるでしょう。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)