「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -44ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約 98:1

まことに、わたしは友であるあなたがたに言う。恐れてはならない。心に慰めを得なさい。まことに、いつも喜び、すべてのことについて感謝しなさい。

 

「どんな状況にあっても感謝する」2014年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会

状況は一人一人異なり,誰もが人生の中で他の人と違う経験をします。それでも,わたしは人生で味わう苦痛を取り去ってくれるものがあることを学んできました。人生をもっと幸せと喜びに満ちた,さらには栄光に満ちたものにするために,できることが一つあります。

 

それは感謝することです。

 

悲しみの重荷を負っている人に,神に感謝をささげるように勧めるのは,世の知恵に反しているように聞こえるかもしれません。しかし,つらい思いを脇に置いて感謝の杯を手に取る人は,それを飲むときに癒やしと平安と理解を授かり,清められるのです。

 

キリストの弟子として,わたしたちは「すべてのことについて,主なる〔わたしたちの〕神に感謝し」,教義と聖約59:7エペソ5:201テサロニケ5:18モーサヤ26:39アルマ7:23教義と聖約98:1も参照)「主に感謝して歌〔い〕」,詩篇147:7「神への感謝で心を満た〔す〕」アルマ37:37ように命じられています。

 

なぜ神は感謝するようにわたしたちにお命じになるのでしょうか。

 

神の戒めは全て,わたしたちが祝福を受けられるようにするために与えられます。戒めは,選択の自由を行使し,祝福を受ける機会です。愛にあふれる天の御父は,感謝の精神を育むという選択がわたしたちに真の喜びと大きな幸せをもたらすことを御存じなのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約 98:1

まことに、わたしは友であるあなたがたに言う。恐れてはならない。心に慰めを得なさい。まことに、いつも喜び、すべてのことについて感謝しなさい。

 

「イエス・キリストは青少年の力です」2022年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

愛する若い友人の皆さん,もしも救い主が今,この場におられたなら,皆さんに何と言われるでしょうか。

 

皆さんを深く愛していることをまずお伝えになると思います。言葉でお伝えになるでしょうが,その愛は救い主の存在そのものからも,とてつもない力で伝わってくるでしょう。それは間違いようもなく明白で,皆さんの心の奥底にまで届き,皆さんの心に満ちることでしょう。

 

それでも,わたしたちは皆弱くて不完全ですから,幾つか不安が心をよぎります。犯した過ちや,誘惑に屈してしまったときのこと,しなければよかったのに,あるいは,もっとよくやっておけばよかったのにと思うことを,思い出すかもしれません。

 

救い主はそれを察して,聖文で語られた言葉で皆さんを安心させてくださると,わたしは思います。

 

「恐れることはない。」ルカ5:108:5012:7教義と聖約38:1550:4198:1

 

「疑ってはならない。」教義と聖約6:36

 

「元気を出しなさい。」マタイ14:27ヨハネ16:33教義と聖約61:3668:678:18

 

「あなたがたは心を騒がせるな。」ヨハネ14:1,27

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約97:8-9

まことに、わたしはあなたがたに言う。彼らの中で、その心が正直で、打ち砕かれていて、かつその霊が悔いていることを知っており、また犠牲を払って、すなわち主なるわたしが命じるあらゆる犠牲を払って自分の聖約を進んで守ろうとするすべての者は、わたしに受け入れられる。

主なるわたしは、良い土地で清らかな流れのほとりに植えられた、多くの貴い実を結ぶ実り豊かな木のように、彼らに実を結ばせるからである。

 

「奉仕の召し」2002年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

わたしたちが今日,このような境遇に置かれることはまずないでしょうが,それでも,主の御業を果たすために多大の犠牲を払う宣教師,教会員はたくさんいます。祝福が注がれ,教会が発展していく過程で,奉仕に伴う犠牲がこれまでお話ししてきた初期の教会員たちのように大きなものにならないことを,わたしたちは皆,願っています。それでも,今日宣教師たちが勝利の歌を歌いながらオズロからオソルノへ,またシアトルからセブへと召されて行くとき,わたしたちは「奉仕の召し(『賛美歌』157番参照) を受けているのです。家庭を養いながら忠実に教会の召しを果たし,しかも自分の力以上に速く走らないようにするためにはモーサヤ4:27参照),知恵,判断力,神の助けが必要です。それに加えて,ある程度の犠牲を払うことも避けられません。アダムの時代から現代まで,主イエス・キリストに対する信仰には常に犠牲をささげることが伴ってきました。わたしたちのささげる小さな犠牲によって,主のささげられた大いなる犠牲を思い起こすためです。(この教義は非常に多くの箇所に見られるため,ここでは典拠をすべては列挙しない。モーセ5:4-83ニーファイ9:17-21教義と聖約59:8-1297:8-9参照) 預言者ジョセフ・スミスはイエス・キリストの贖いをしっかりと心に留めて,犠牲をささげる聖約を伴わない宗教が,永遠の命を約束することはあり得ないと教えました。(Lectures on Faith (1985年),68-69参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)