「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -418ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ3:16-17
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。


「引き上げてくれる真の友」(英文)、1988年10月、リチャード・G・スコット、十二使徒定員会
私は主の力, 尊厳, 完壁さを知り尽くしているわけではありません。しかし,主の愛, 憐れみ, 慈悲を幾分か理解しています。

主が取り除くことのできない重荷はありません。

主が清め, 喜びで満たすことのできない心はありません。

主が洗い清め, 建て直すことのできない生活はありません。

そのための条件といえば, ただ主の教えに従うことだけです。

多くの友が皆さんを主のみもとに導いてくれるでしょう。しかし, 主を見いだすには, 皆さん自身が, 真心からへりくだって祈り, 従順と信仰を示さなければなりません。

聖典には次のように記されています。「神はそのひとり子を賜わったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで, 永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは, 世をさばくためではなく, 御子によって,この世が救われるためである。」(ヨハネ3:16-17)

また, モルモン書には救い主の次のような慰めの言葉が記録されています。

「まことに、わたしのもとに来る心の貧しい人々は、幸いである。天の王国は彼らのものだからである。
また、悲しむ人々は皆、幸いである。彼らは慰められるからである。
柔和な人々は、幸いである。彼らは地を受け継ぐからである。
義に飢え渇いている人々は皆、幸いである。彼らは聖霊に満たされるからである。
憐れみ深い人々は、幸いである。彼らは憐れみを受けるからである。
心の清い人々は皆、幸いである。彼らは神を見るからである。」(3二一ファイ12:3-8)

イエスが謙遜に, 信仰と人々に対する熱意をもって御父に祈られると, 御父はそれに答えられました。イエスが最大の窮境に臨んで力と慰めを求めて祈られ,悔い改めを条件として人類に赦しの奇跡が与えれるよう, 世の罪を負って贖罪の犠牲を捧げられたとき, 御父は答えられました。

天父は皆さんの父でもあります。天父に祈ってください。もしも, 生活が乱れていて自分が清くないために祈るにもふさわしくないし, その気持ちになれないと思っても, 心配しないでください。主はすべてのことをすでにご存じなのです。ただ, 皆さんが謙遜になってひざまずき,最初の第一歩を踏み出すのを待っておられるのです。力を求めて祈ってください。皆さんを支え, 導き, 引き上げてくれる人々が現われるように祈ってください。救い主の愛が胸に注がれるように祈ってください。自分を変えたいと願うなら,贖いの奇跡によって赦しがもたらされるように祈ってください。こうした祈りは必ず答えられます。神は皆さんを愛しておられるからです。御子は皆さんのために命を捧げられたのです。おふた方が皆さんを助けてくださることを私は知っています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 


「どんな出来事も愛しなさい」2008年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
わたしたちにできる4つ目のこと,それは天の御父とその御子イエス・キリストを信頼することです。

「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。」(ヨハネ3:16) 主イエス・キリストはわたしたちの仲間,助け手,弁護者であられます。主はわたしたちが幸福になり,成功するよう望んでおられます。わたしたちが自分の分を果たすなら,主は助けてくださいます。

万物の下に身を落とした御方が助けに来てくださいます。主はわたしたちを慰め,支えてくださいます。弱さを強くし,悲嘆の中にいるわたしたちを強めてくださいます。弱さを強さに変えてくださいます。(エテル12:27参照)

娘の一人が赤ちゃんを出産した後に重い病気になりました。わたしたちは彼女のために祈り,癒しの祝福を施し,できるかぎり支えました。彼女が祝福されて癒されることを願っていましたが,数日が数か月に,数か月が数年になりました。あるとき,これは一生闘わなければならない病気かもしれないとわたしは娘に告げました。

ある朝,小さなカードを取り出してタイプライターに挟みました。次の言葉はそのとき娘のためにタイプした言葉の一節です。「簡単な秘訣を教えよう。主を信頼し,最善を尽くしたら,後は主にお任せすることだ。」

娘は確かに神を信頼していました。しかし病気はよくならず何年も苦しみました。でも時がたち,主が娘を祝福され,次第に健康を取り戻しました。

この娘の性分からすると,たとえ病気が和らがなかったとしても,天の御父を信頼し「後は主にお任せ」していたことでしょう。

母は随分前に永遠の報いを受け取りに逝ってしまいましたが,母の言葉は常に心の中に残っています。遠い昔,わたしのフットボールチームが負けたときの助言を今も覚えています。「どんな出来事も愛しなさい。」

すべての事物になぜ反対のものが必要なのか,わたしは知っています。正しく扱うなら,逆境から祝福が得られ,わたしたちは逆境を愛せるようになるのです。

ユーモアを探し,永遠の見地を求め,報いの原則を理解し,天の御父に近づくときに,困難や試練を堪え忍ぶことができます。わたしの母のように「どんな出来事も愛しなさい」と言うことができるのです。

 

 

 

今週の「わたしに従って来なさい」

 

 

ヨハネ3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。


「良い羊飼い,神の小羊」2019年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会
この復活祭の季節に,わたしたちは神の小羊とも呼ばれる,良い羊飼いのことを祝います。主のあらゆる聖なる称号の中で,これほど愛情がこもった,人の心に響く称号はありません。救い主が御自身を「良い羊飼い」と呼ばれ,預言者たちが救い主を「神の小羊」であると証していることから,わたしたちは多くのことを学びます。これら二つの役割と象徴は,非常によく補い合っています。「良い羊飼い」以上に,大切な羊を一匹ずつ助け出せる人がいるでしょうか。そして,「神の小羊」以上に,わたしたちの「良い羊飼い」としてふさわしい御方がおられるでしょうか。

なぜならば,「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さ〔り〕」,また神の独り子は,進んで御父に従って御自分の命をささげられたからです。(ヨハネ3:16) イエスは証しています。「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は,羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11) イエスは御自分の命を捨てる力と,その命を再び得る力を備えておられました。(ヨハネ10:15,17-18参照)救い主は,良い羊飼いとして,そして神の小羊として,御父と一つとなって特別な方法でわたしたちを祝福してくださいます。

わたしたちの良い羊飼いとして,イエス・キリストは,わたしたちを御自分の声とその御名によりお呼びになります。わたしたちを捜し出して集められます。