マタイ5:3
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
「壊れたものを元どおりに」(英文)2006年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
大いなる山上の垂訓でイエスが最初に語られた言葉は,悩んでいる人や落胆している人,意気消沈している人に向けたものでした。「こころの貧しい人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである」とおっしゃったのです。(マタイ5:3) わたしは,個人的な試練に直面している人や,家庭内の問題で苦しんでいる人たちに向かって話します。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員か,それとも今朝わたしの話を聞いてくださっている,会員でない大勢の人たちの一人であるかにかかわらず話します。心の内の葛藤に独りで耐えている人,洪水のように押し寄せて来る絶望の波を,時には押し流されそうになりながら,必死でせき止めようと努めている人に向かって話します。特に,自分の人生が崩壊してしまって,もはや取り返しがつかないと感じている人たちに向けて話したいと思います。
そのような人すべてに,わたしの知っている,慰めに満ちた確かな解決策を教えましょう。それは,世の救い主御自身が与えてくださった明確な教えの中にあります。これについて救い主は,教え導く業を始めたときに語っておられますし,業を終えるときにも話しておられます。信者に対しても,確かな信仰を持っていない人に対しても言われました。個人的な問題がどのようなものであれ,すべての人に向けて,次のように言われたのです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ11:28–29)
この約束の最初の部分にある,「わたしのもとにきなさい」という言葉は非常に大切です。この言葉は,わたしたちが求めている平安と休息を得るための鍵です。しかも,復活された後に救い主は,アメリカ大陸の神殿でニーファイ人たちに向かって,このような言葉で説教を始められました。
「わたしのもとに来る心の貧しい人々は,さいわいである。天の王国は彼らのものだからである。」(3ニーファイ12:3)
アンデレとヨハネは,初めてキリストの話を聞いたときに大きく心を動かされ,群集から離れて歩いて行かれるイエスの後を付いて行きました。だれかが付いて来るのを感じ取られたイエスは振り向き,二人に向かって,「何か願いがあるのか」とお尋ねになりました。二人は,「どこにおとまりなのですか」と尋ねました。するとキリストはこうお答えになりました。「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう。」翌日イエスは,もう一人の弟子となるピリポに出会い,彼にも,「わたしに従ってきなさい」という簡単な言葉をおかけになりました。(ヨハネ1:35–39,43) 程なくイエスは,ペテロをはじめほかの新たな使徒たちを召されましたが,そのときも同じように「わたしについてきなさい」とお招きになりました。(マタイ 4:19)
わたしたちの務めに欠かすことのできないもの,この世での生活の根本にある義務が,この短い言葉に集約されていることは明らかです。地上での務めを果たしておられたとき,救い主は様々な場面でこの言葉をおっしゃいました。主はわたしたちにこう言っておられるのです。「わたしを信頼して,わたしから学び,わたしが行うように行いなさい。そうすれば,わたしが行こうとしている場所に向かって歩きながら,あなたが行こうとしている場所や,あなたが直面している問題,抱えている悩みについて,ともに話すことができます。わたしに従って来るなら,あなたを暗闇から連れ出しましょう。」そしてこう約束しておられます。「祈りに答えを与えましょう。また,あなたの魂に休みを与えましょう。」
愛する友人の皆さん,思いがけない困難や問題が山積した人生の中で,道を誤らずに安全に生きる方法は,これ以外にありません。重荷を負うことのできる方法や,モルモン書の中でヤコブが述べている「聖徒たちのために用意されているあの幸福」を見いだす方法は,これ以外にありません。(2ニーファイ9:43)
では,どうすればこの変わることのない招きに従って「キリストのもとに来」ることができるのでしょうか。聖文の中には数多くの実例や方法が挙げられています。皆さんはその中の最も基本的なものをよく知っているでしょう。最も簡単で第1に行う必要があるのは,心から願うことです。これは,わたしたちが知る最も基本的な信仰の形です。アルマは,「たとえ信じようとする望みを持つだけでもよい」と言っています。「ごくわずかな信仰でも働かせようと」努め,神の約束「の一部分でも受け入れることができる」ようになれば,第一歩としては十分です。(アルマ 32:27) 「ごくわずかな」信仰であろうと,ただ信じ続けてください。まだ見てはいないけれども人生で確かに与えられるはずのものを待ち望むのです。(アルマ 32:21) この簡単なステップを,主イエス・キリストを中心に据えて行うことこそが,主の永遠の福音の第一原則なのです。この原則は過去も将来も変わることがありません。これこそが,絶望の淵から這い上がる第一歩なのです。


