ヨハネ4:4
しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。
「イエス・キリストの御名を受ける」2018年10月、ロバート・C・ゲイ、七十人会長会
わたしの好きな聖句の一つは,ヨハネによる福音書第4章4節です。「しかし,イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。」
なぜこの聖句が好きなのかというと,イエスにはサマリヤに行く必要がなかったからです。その時代,ユダヤ人はサマリヤ人をさげすんでいて,サマリヤを迂回する道を通って旅をしていました。しかし,イエスは御自分が約束されたメシヤであることを全世界に向けて初めて宣言するために,あえてそこに行かれたのです。それを伝える相手として,のけ者にされていた民を選んだだけでなく,女性を選ばれました。しかも,罪深い生活をしていた女性,すなわち,当時最も見下げられていた人を選ばれたのです。イエスがそうされたのは,恐れや心の傷,依存症,疑念,誘惑,罪,崩壊した家庭,うつや不安,慢性の病気,貧困,虐待,絶望,孤独などよりも主の愛の方が大いに勝ることを,すべての人が常に理解できるようにするためだったと,わたしは確信しています。(ルカ4:21、ヨハネ4:6-26参照) 御自分の力で癒して,永続する喜びへと導くことのできないものや人はないことを,すべての人に知らせたいと,イエスは望まれたのです。(Neal A. Maxwell "Meeting the Challenges of Today" )
主の恵みは十分なのです。(ラッセル・M・ネルソン「預言者,指導力,神の律法」) 主のみが,すべてのものの下に身を落とされました。主の贖いの力は,人生のどんな重荷をも克服する力です。(イザヤ53:3-5;アルマ7:11-13;教義と聖約122:5-9参照) 井戸の傍らにいた女に与えられたメッセージは,主はわたしたちの生活状況を御存じで,(ジョセフ・スミス—歴史1:17,イレイン・S・ダルトン「主は皆さんの名前を御存じです」 ) わたしたちはどのような状況にあろうといつでも主とともに歩むことができるということです。この女とすべての人に向けて主は述べておられます。「わたしが与える水を飲む者は,いつまでも,かわくことがないばかりか,わたしが与える水は,その人のうちで泉となり,永遠の命に至る水が,わきあがるであろう。」(ヨハネ4:14)
