「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -419ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従って来なさい」

 

 

ヨハネ3:3-7
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。


「イエス・キリスト ― 偉大な癒し主」2005年10月、ラッセル・M・ネルソン 十二使徒定員会
主が教えられるパターンには深い意味があります。信仰,悔い改め,バプテスマ,証と絶えざる改心は,わたしたちを主の癒しの力へと導いてくれます。バプテスマは聖約を結ぶ行為であり,決意と約束のしるしです。証は,聖霊が熱心な真理の探究者に確信をお与えになるときにはぐくまれます。真の証は信仰を育て,悔い改めて従順になるよう促します。証は神と人とに仕えたいという熱意を生み出します。(ルカ10:27) 

 

改心とは「……に向きを変える」という意味です。改心は世の道から主の道へ方向転換すること,そして主の道にとどまることを意味します。改心には悔い改めと従順が含まれます。改心は大きな心の変化をもたらします。(モーサヤ5:2アルマ5:12-14参照) したがって,真の改心をした者は「再び生まれ」(ヨハネ3:3-71 ペテロ1::23モーサヤ27:24-26アルマ5:497:14モーセ6:59)  新しい命(ローマ6:3-4参照) とともに歩むのです。

真に改心した者として,わたしたちは主が望まれていることを行い,(モーサヤ5:2-5参照) 主が望まれる人物になりたいと願います。(3ニーファイ27:21,27参照) 罪を捨てることは,神の赦しをもたらし,心を癒します。

どうしたら真に改心しているか分かるのでしょう。自己診断テストは聖文の中にあります。バプテスマを受ける前の改心の度合いを測るものもあれば,(教義と聖約20:37 参照。モーサヤ18:10参照) 隣人に進んで奉仕しているか測るものもあります。主は弟子のペテロにこうおっしゃいました。「わたしはあなたの信仰がなくならないように,あなたのために祈った。それで,あなたが改心したときには,兄弟たちを力づけてやりなさい。」(欽定訳ルカ22:32から和訳) 人に仕え,力づける意欲は,癒されることをどれほど望んでいるかを示します。

 

 

 


今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ3:3
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。


「神によって生まれる」(英文)1985年10月、エズラ・タフト・ベンソン、十二使徒定員会
救い主に従うということは, 生き方を変えることを意味します。


マッケイ大管長は次のように語っています。「人は皆,ナザレのイエスの教えを日々の生活の中に取り入れようと真剣に決意するならば, 自分の性質が変化することに気づくであろう。『新しく生まれ変わる』という言葉には, 多くの人々が考えているよりも深い意味がある。この微妙な感覚の違いは言葉で説明することができないが, 実際に存在するものである。」(「大会報告」1962年4月,p.7)

人の心は変えることができるのでしょうか。そのとおり, 変えられるのです。教会の偉大な伝道のみ業の中で, それは毎日のように起きており, キリストが行なわれる現代の奇跡の中で, もっとも頻繁に起きている奇跡です。あなたの生活の中でそのような奇跡の起きたことがまだないとすれば, あなた自身がそのような奇跡を経験する必要があります。

主はニコデモにこう言われました。「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ, 神の国を見ることはできない。」(ヨハネ3:3) キンボール大管長は救い主のこの言葉に触れて, 次のように語っています。「ほかのいかなる事項にも増して重要な問題への, 簡潔で完全な答えがここにあります。… … 永遠の生命を得るには, 自己革新, 新しく生まれ変わる必要があるのです。」(「大会報告」1958年4月,p.14)

キリストはニコデモの「内なる人」が「完全に変わること」を求められた, とマッケイ大管長は教えました。「霊的な事柄に対する彼の考え方, 思い, 行ないを本質的, かつ永久的に変える必要があったのである。」(「大会報告」1960年4月,P.26)

 

 

 

 


 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ヨハネ2:1-11
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。


「くすしきみわざを行なわれる神」(英文)1989年4月、ハワード・W・ハンター、十二使徒定員会
たとえば, 新約聖書に記されているイエスが行なった最初の奇跡は, カナの婚礼で水をぶどう酒に変えたことでした。(ヨハネ2:1-11参照) しかしながら,石のかめの中でぶどう酒を作ることは,美しいぶどうの木とたわわに実るぶどうの実を創造したことと比較すれば, 大したことではないとも言えましょう。あの婚礼の席で起こった奇跡について, 説明できる人はだれもいないでしょう。主はぶどう園, すなわちこの地を創造され,私たちは日々その祝福にあずかっています。この大きな奇跡をだれが説明できるでしょう。

耳の聞こえない人が聞こえるようになるのを目撃するのは, 実に驚くべきことです。しかしそうした偉大な奇跡も, 骨と肉と神経などが組み合わさってできている私たちの肉体が美しい音の世界を聞きとるという偉大な奇跡と比べれば, 何ら驚くに当たりません。失われた聴覚を取り戻したときと同じように, この耳が聞こえるという祝福におそれかしこみ,そのような奇跡を行なう神に栄光を帰すべきではないでしょうか。

また, 目の見えない人が見えるようになったり, 話せない人が話せるようになるという奇跡や, 復活という最大の奇跡でさえも, 創造のみ業に比べればそれほど驚くべきことではありません。天父が創造されたこの世界には, もっと驚くべきことがたくさんあります。まず第一に,私たちが生を受け, 肉体があって, 物を見, 話す力があることが, 最大の奇跡ではないでしょうか。そうです。私たちに見る目と聞く耳があれば, たくさんの奇跡を見いだすことができるのです。