ヨハネ2:1-11
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。
「くすしきみわざを行なわれる神」(英文)1989年4月、ハワード・W・ハンター、十二使徒定員会
たとえば, 新約聖書に記されているイエスが行なった最初の奇跡は, カナの婚礼で水をぶどう酒に変えたことでした。(ヨハネ2:1-11参照) しかしながら,石のかめの中でぶどう酒を作ることは,美しいぶどうの木とたわわに実るぶどうの実を創造したことと比較すれば, 大したことではないとも言えましょう。あの婚礼の席で起こった奇跡について, 説明できる人はだれもいないでしょう。主はぶどう園, すなわちこの地を創造され,私たちは日々その祝福にあずかっています。この大きな奇跡をだれが説明できるでしょう。
耳の聞こえない人が聞こえるようになるのを目撃するのは, 実に驚くべきことです。しかしそうした偉大な奇跡も, 骨と肉と神経などが組み合わさってできている私たちの肉体が美しい音の世界を聞きとるという偉大な奇跡と比べれば, 何ら驚くに当たりません。失われた聴覚を取り戻したときと同じように, この耳が聞こえるという祝福におそれかしこみ,そのような奇跡を行なう神に栄光を帰すべきではないでしょうか。
また, 目の見えない人が見えるようになったり, 話せない人が話せるようになるという奇跡や, 復活という最大の奇跡でさえも, 創造のみ業に比べればそれほど驚くべきことではありません。天父が創造されたこの世界には, もっと驚くべきことがたくさんあります。まず第一に,私たちが生を受け, 肉体があって, 物を見, 話す力があることが, 最大の奇跡ではないでしょうか。そうです。私たちに見る目と聞く耳があれば, たくさんの奇跡を見いだすことができるのです。
