「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -405ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ11:11
あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。 


「倣うべき模範」2002年10月、卜一マス・S・モンソン、大管長会
ヨハネのメッセージは簡潔でした。信仰,悔い改め,水に沈めるバプテスマ,そして自身の権能よりも偉大な権能によって聖霊が授けられることを説いたのです。ヨハネは自分の忠実な弟子たちにこのように語りました。「わたしはキリストではなく,そのかたよりも先につかわされた者である。」(ヨハネ3:28) 「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが,わたしよりも力のあるかたが,おいでになる。……このかたは,聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」(ルカ3:16)

それからバプテスマのヨハネによってキリストにバプテスマが施されます。後にイエスはこう証されました。「女の産んだ者の中で,バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。」(マタイ11:11)

今日の世を生きるわたしたちは皆,判断基準を必要としています。倣うべき模範が要るのです。バプテスマのヨハネは真の謙遜さという完全な模範をわたしたちに示しています。ヨハネは常に自分の後に来られる御方人類の救い主に服従したのです。

神を信頼し,その教えに従った人々について学ぶとき,細い声が心にこう語りかけてきます。「静まって,わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10) これらの人々は確固として神の戒めを守り,神を信頼し,祝福を受けたのです。その模範に倣うなら,わたしたちも今日のこの時代にあって同様の祝福を受けることでしょう。一人一人が倣うべき模範になるのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ11:7
彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。


「心に決めなさい」(英文)1992年10月、二一ル・A・マックスウェル、十二使徒定員会
イエスは弟子たちにこう忠告されました。「それであるから,わたしが教え命じたことを行なうように, この事をよく心に決めなさい。」ジョセフ・スミス訳ルカ14:28) 献身するためには, まず心を定めなければなりません。予言者ジョセフ・スミスは福音の知識は「やみや不安,疑いを取り除く」と言い,「不安の苦しみほどつらいものはない」とも言っています。(「ジョセフ・スミスの教え」p.288) 決心することで,小さなさざ波のような意見の違いに,まるで津波に対するような反応を示すことがなくなります。私たちは「風に揺らぐ葦」のように動揺する者ではなくマタイ11: 7) 弟子であることを求められているのです。もっと多くの会員が,「決心する」ことから得られる計り知れない安堵感と平安を味わう必要があります。そうしなければ,「静まることができない」「波の荒い海」のようになってしまうでしょう。イザヤ57: 20)

決心するのには,もうひとつ特別な理由があります。それは, 私たちが「すべての物事が混乱する」時代に向かっているからです。教義と聖約88:91 ;45:26) 今日の世の中の不確かさ,動乱,混乱の中にあって,ごまかしたり迷ったりしている人たちは,ひどい乱気流に飲まれて転げ回ることになるでしょう。

終わりに,より深い献身をしりごみする人は,私たちのために贖いの苦悶に耐え抜いて「しりごみ」なさらなかった主にふさわしくないと申しあげます。教義と聖約19:18) しりごみするどころか,イエスは務めにまい進し,すべてを捧げ尽くして,そのすばらしい「人の子らのためにわたしの備え」を成し遂げられたのです。教義と聖約19:19)

もし,イエスのこの世における救世主としての務めが,優れた説教を残すだけだったとしたらどうでしょうか。また,説教に加えて癒しとほかの奇跡を行なったけれども,ゲッセマネやカルバリの苦悩に満ちた,しかし聖なる贖いの時がなかったらどうでしょう。私たちはイエスの使命をどう思うでしょうか。また人類はどうなっているでしょうか。

兄弟姉妹の皆さん,イエスとそのみ業を受け入れようとせずに,ほかの何を受け入れても,私たちが神の王国に入って主に受け入れられることはないのです。モルモン6: 17参照)

今こそ決心し,神の玉国に導き入れられる,その比類なくすばらしい瞬間に備えることができますように。イエス・キリストのみ名により申しあげます。アーメン。

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ11:5
盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。


「見よ,わたしは奇跡の神である」2021年4月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会
初期の使徒たちは,イエス・キリストに従い,イエスが福音を教えておられるのを聞きながら,多くの奇跡を目撃しました。「盲人は見え,足なえは歩き,重い皮膚病にかかった人はきよまり,耳しいは聞え,死人は生きかえり,貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ11:5) のを,彼らは目にしたのです。

今日,イエス・キリストに従う人々の間に,皆さんやわたしの生活に,奇跡,しるし,不思議がたくさんあります。奇跡は,神の無限の力による神聖な業,その力の現れ,発現であり,神が「昨日も,今日も,とこしえに変わらない御方である」ことを肯定します。(モロナイ10:19) 海を造られたイエス・キリストは海を静めることがおできになります。目の見えない人に視力を与えられた主はわたしたちの目を天に向け,重い皮膚病の人を清められた主はわたしたちの病気を治し,歩く力のない人を癒された主は「わたしに従ってきなさい」という呼びかけでわたしたちを立ち上がらせることがおできになります。(ルカ18:22)

皆さんの多くは,自分で思っている以上に多くの奇跡を目撃しています。イエスが死者をよみがえらせられたことに比べれば,それらは小さく思われるかもしれません。しかし,奇跡はその大きさではなく,ただ神から来たかによって区別されます。奇跡はただの偶然,あるいはまったくの幸運だと言う人々がいます。しかし,預言者ニーファイは,「神の力と奇跡を侮り,自分の知恵と学識を自賛して,利益を求め〔る〕」人々を非難しています。(2ニーファイ26:20)

奇跡は,「救う力を持つ」御方による神聖な力によって起こされるのです。(教義と聖約133:47) 奇跡は,神の永遠の計画の延長であり,奇跡は天から地へのライフラインなのです。